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わたしの話

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自叙伝っぽいやつ。本マガジンの記事は、特に、気分次第で消したり出したりするかもしれません。
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#振り返りnote

スピリチュアルと現実の狭間

現代科学で立証されていないものを全てスピリチュアルと呼ぶなら、この世の中のほとんどはスピリチュアルでできている。 と、ガチ理系の私は言いたい。 現代科学は、この世の中の氷山の一角にもなっていないかもしれない。 「客観的に、誰から見ても同じように観測される」 哲学者カントのこの提唱は、スケールが大きいものには適用されるけれど、量子力学的なスケールの小ささの場合、観測するという行為が観察される対象に影響を与えるパターンがある。 現代科学は人生の解法にはなりえない。 人生ほ

何のために生きているんだろ…

「生きることに意味がない」ことは、最大のギフトだ。 と言った宇宙人がいるとか、いないとか。 結局のところ、我々は自分の主観で作り上げた人生のストーリーを生きている。 それ以上でも、それ以下でもない。 「生きることに意味はない」。 でも、人間、「生きることに意味付けをしたい」生き物である。 その料理具合が、人それぞれの人生の癖であり味なのだと思う。 私の人生の意味は? なんのために生きているの? そのために、今日は何をする? ぼんやり生きるには人生は長すぎる。 何かを成

私には悪い魔法がかかっていた【アダルトチルドレン】

noteには基本的につぶやきめいた素直な気持ちを書こうかなと思ったので、素直に今の気持ちを書いてみる。 (ネットに思いを書くことは良いことだよね!) 気持ちが落ち込むことがある。 ネットに言葉や声を置くと、忘れていた昔の記憶が蘇ってくる。一種の、脳の整理をしているのかもしれない。瞑想めいた行為なのかも? 今の私は、昔の状態に戻っている。 母への一番の恨みは、「どうして私を生んだのか?」。 「生まれなきゃ良かった」 この思いを抱いて20年。 ここ数年はこの思いを捨て

独りよがりな私【アダルトチルドレン】

母に心に寄り添われた記憶がない。 私がどれだけ困っていても、 「そんなのダメ」 「頑張りなさい」 と、私の気持ちを跳ね返して、受け止めてくれない。 それは昔から現在に至るまで、変わらない。 去年はそういう母を酷く恨んだけれども、 今は「そういう人なんだな」と淡々と感じている。 母も祖母からそのような扱いを受けていたから。 支配的な扱いを受けていたから。 それが伝播しただけ。 ただ、それだけなのだ。 アスペルガー風味で学校でろくに友達ができなかった私は、 人との交流

私の「夢」を、聞いてくれますか?

パニック障害10年、適応障害2年。 これが私の履歴書。 医師は私に頓服の薬を渡すだけだった。 不調のきっかけは家族だったから、家族に話すことさえできなかった。 一種の、アダルトチルドレン、機能不全家族、というものである。 変わった繊細な性質で、学校で友達もいなかった。 いつもひとりぼっちだった。 就活時にパニック発作が出て、あらゆる場面で発作が出るようになってきた。 さらに。 彼氏に振られて、希死念慮を持った。 希死念慮を持った私は、ただただ死にたかったけれど、そこま

「好きなようにやる」が難しい

アダルトチルドレン。 なんてひとことで表すのは、味気ないけれど。 「好きなようにやる」が難しいわたしは、その気があるんだろうなー、と思っている。 「相手が何を求めているのか」察する能力がわたしにあるのかは分からないけれど、古い記憶によると、幼稚園の時から「察しようとしていた」。 「好きなようにやる」を全くしてこなかったわけではないが、日常の意志が希薄な部分は、"思い込み"に支配されている。 ご飯を食べる。 お風呂に入る。 掃除をする。 お出かけをする。 仕事

世界を恨んでいたけど、「ありがとう」に変わった日

整体。ヨガ。 これらの先生との出会いがなければ、今、わたしはこうやっていない、と断言できる。 からだに諸々の不調があって、運動どころではなかったけど、整体でヨガに通うエネルギーを得た。 ヨガをはじめてからは、 「これが必要だったのだ」 「今まで暗い霧の中にいたけれど、人生の方向がようやくわかってきた気がする」 と、興奮して熱心に通った。 スムーズにその方向に行けばよかったのだけれど……。 長年からだに降り積もった不調和は、そう簡単には離れてくれないし、そんなに

呼吸に命をすくわれた瞬間

「わたし、人生まちがってた!」 を人生で何回か繰り返しているのだけれど、最初の大きな「まちがってた!」が、整体に通い始める直前に起きた。 5年前のGW、わたしはからだを起こせなかった。 心身を酷使し、メンタルの不調和が極まった結果だ。 西洋医学の病院では、自律神経の乱れが根本的にどうにもならないことを悟っていた。 西洋医学の病院的には、わたしは健康だ。 「どうにもならないのなら」と、最後の手に出た。 ゴリゴリの理系、理屈っぽいわたしは、実証できないものを嫌ってい

女に生まれていなければ

歯車が狂い始めたのは、きっと母の言葉から。 「あなたが悪い」 ひとりぼっち、周りに馴染めずに困っていたわたしに、母はこう言った。 そもそも、生まれつき?まあ神経質なタイプで、「居場所がない」と幼稚園の頃から感じていた。(HSP?) また、中学生になると、周りの情緒の発達にまったくついていけなくなった。(発達障害?) 女子校で生きづらさMAXだったわたしが勇気を振り絞って相談した結果は、"自己責任"だった。 元々、大人しいタイプで、小学生の頃も仲が良い子としか話せな