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私の「夢」を、聞いてくれますか?

パニック障害10年、適応障害2年。
これが私の履歴書。

医師は私に頓服の薬を渡すだけだった。
不調のきっかけは家族だったから、家族に話すことさえできなかった。
一種の、アダルトチルドレン、機能不全家族、というものである。
変わった繊細な性質で、学校で友達もいなかった。
いつもひとりぼっちだった。
就活時にパニック発作が出て、あらゆる場面で発作が出るようになってきた。

さらに。

彼氏に振られて、希死念慮を持った。

希死念慮を持った私は、ただただ死にたかったけれど、そこまでの勇気は持てなかった。
誤魔化し誤魔化し生きている内に、体が起こせなくなった。
死ぬのならばと思って、家の近くにできた整体に通い始めた。
これが、5年前。

希死念慮は少しずつ良くなっていった。
根本的な部分はなかなか解決しなかったけれど、体は少し動き始めた。
これでうまくいくかも、と思った矢先。

仕事で嫌な人が現れて、喘息になった。

希死念慮を持っていた時、呼吸で体が楽になってから、「ヨガがやりたい」と思っていた。
思い切ってヨガを始めた。
すべてが、うまくいき始めた。
すりガラス越しだった世界がクリアになり、呼吸が深くなって、生きる喜びが見え始めた。
何が楽しいのか、あまりよく分からない人生だったから。
これでうまくいくかも、と思った矢先。

会社の組織変更があり、その波に巻き込まれた。

ひとりで10プロジェクトを抱えた。
頼りにしていた上長はいなくなった。
全て自分の責任を抱え込んだ。
エナジーバンパイアが現れた。
やりたくもない仕事をやらざるを得ない状況になった。
体が起こせなくとも、責任感と義務感で働いた。

適応障害と診断された。
家の外に全く出られない。
家の中でも、発作に悩まされる。
家で一人でいられない。
生きていることがしんどい。
常に恐怖と不安がつきまとう。
なにもおいしくない。
なにが楽しいのか分からない。

――「何かが間違っている」。
そう確信した。
わたしの人生、何かがずっと、方向が違う。

気配はずっと察知していたけれど、その実態はつかめず。
それは、一昨年の秋に、天から降ってきた。

「外側からの評価などという、目に見えるものばかり追っていて、自分の感情を筆頭に、目に見えないものを蔑ろにしすぎていないか?」
と。

その後、心理学や哲学、スピリチュアルに足を突っ込み、
信頼のできるカウンセラーさんに出会い、
現在のパートナーに出会って、
私は人生を取り戻し始めた。

わたしの「夢」は、「わたしが何を間違っていたか」この世の中に遺すこと。

わたしと同じように苦しむ人が、減ること。
意味の分からない、迷路のような苦しみは、つらすぎる。
周りから理解されづらいメンタル不調は、つらすぎる。
こんなの、いらないの。

こころとからだを緩めて、本音の自分で、生きていく。
世の中の人、全員がそうなれたら、きっと戦争なんてなくなるし、理不尽なことも苦しいこともなくなる。
夢物語かもしれないけれど、つらすぎることなんて、この世の中からはもういらない。

緩めても、生きていける。
世間が怖いと思っていたのは、わたし。
緩めた方が、より良く生きられる。

だから、今日も、私は自分の心身で試行錯誤をしている。

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