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片付けにかける熱量。

「趣味・特技」を聞かれれば、「片付け」と答えるようにしている。

ほかにはこれといって、自信をもって得意なこととか趣味とかいえるものがないからだ。

自分が片付けのできる人だとわかったのは、いつ頃からだろう。子どものころは母に片付けなさい!としょっちゅう叱られていたから、もって生まれた性質というわけではなさそうだ。

大学時代には、サークルの部室の掃除に情熱を燃やしていた。大勢が使う共同の場所でも、自分の居場所が散らかってたりゴミが溜まってたりするのが耐えられなかった。その頃には多少潔癖症で多少神経質な側面があったのか。しかし部室は片付けても片付けてもすぐに絶望的に汚くなったので、諦めて、ゴミだらけのソファにうずもれてうたたねしたりもした。そのおかげでだいぶ、潔癖に傾きかけた性質が中和されたのかもしれない。

長年勤めていた団体の事務所は、これまた相当なカオスで、常に人と物とイベントでごった返していた。デスクの移動もしょっちゅうだった。私は自分なりに整理整頓して自分の領域を保っていたが、あるとき、同僚が私のデスクを見て「超キレイだ!」と称賛した。周囲に目を向けると、カオスの城壁が築かれているデスクがけっこうあった。私にはその環境で仕事ができることのほうが不思議だった。
一度は年末の大掃除で、ある同僚と声を荒げて口論になった。私は大掃除というくらいだから全体的にきれいさっぱりと片付けたかったが、同僚は「自分なりに整頓してあるんだからこれでいいのだ」を一歩も譲りたくなかったようだ。片付けなんかよりもやらなきゃならない仕事が山積みだったから。そこそこ長年勤めたベテランの二人が、仕事納めの日に、片付ける片付けないでマジギレ大喧嘩を繰り広げたので、これは後々まで事務所の笑い種となった。

自分の片付けに対する妙な執着を考えるとき、このときの大掃除事件を苦笑しながら思い出す。

世の中には片付けができる人と、片付けができない人がいる。もっと細かくいうと、片付けられないわけではないがその優先順位がかぎりなく低い人、片付けたいけれど本当にやり方が分からない人、片付けがひたすら大嫌いな人、などがいるものだ。私はたまたま、片付けることに苦を感じない性質だっただけで、これはただ単に、個々の特性の違いなんじゃないかと思う。

やりたくなかったりなかなか進まない仕事を抱えているとき、私にとって片付けの時間はむしろご褒美としてぶらさげておくものだ。これさえ終わったら、片付けをやろう、と。時間がぽっかり空いたとき、思う存分片付けるのはカタルシスだ。散らばったものをあるべき位置に戻し、汚れたものを洗ったり拭いたり掃いたりし、物をきちんと一列に並べて、空間をつくる。片付けは解き方のわかる公式のようなもので、時間と余裕さえあれば答えにたどり着くから、こんがらがった頭を解放するのにとても良い。

しかし。こんな風に書いてみると、さぞかしわが家は塵一つなくモデルルームのように綺麗なように思えてしまうが、見回してみると、まったくそうではなかった。いまだって、目の前に脱ぎっぱなしの靴下と、取り込んだ洗濯物がそのままヤマになっている。自分で「片付け上手」を豪語すると、自分の首を絞めることになるなあ。

ただ、私の片付けにはルールがあって、これだけでもやれたらそんなに散らからないのに、と思うことがある。そのルールをまとめてみようと思いつつ、そこにたどり着かなかった。これはまた、いつかの宿題に。

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