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2022.7.23 韓国の反日を煽ったのは『日本人』!?【全文無料(投げ銭記事)】

西岡つとむ教授の40年の戦い

昨年の暮れ、田口八重子さんの兄である飯塚繁雄さんが体調不良を理由に『北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)』の会長を辞任され、横田めぐみさんの弟で同会事務局長だった横田拓也さんにバトンタッチされました。

初代会長の横田めぐみさんの父である横田滋さんが10年、飯塚さんが14年勤められた後での交代です。

横田家二代に渡っての活動を続けなければならない点に、拉致問題の残酷な時間の長さを感じます。

家族会を支援する組織として、『北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)』があります。

西岡力モラロジー道徳教育財団教授が設立に加わり、2010年から10年以上も会長職を続けられています。

西岡教授は朝鮮問題の専門家として、昨年『日韓「歴史認識問題」の40年:誰が元凶か、どう解決するか』を出版されました。

西岡教授は、この40年間、拉致問題と共に慰安婦問題、徴用工問題などに取り組まれ、氏の発言は朝鮮問題に関しては、最も拝聴すべきものと私は考えています。

今回の著書は、西岡教授の40年にわたる左翼勢力の捏造報道との戦いを克明に辿ったものですが、これを読んで、韓国の『反日』は『反日日本人』が火を付けたものだという事がよく分かりました。

反日活動は『反日日本人』の旗振りから始まっている

今日の『慰安婦強制連行』や『徴用工』など韓国による反日活動の経緯を概観すると、以下のようになります。

⑴1982〜83年:吉田清治と朝日の『慰安婦強制連行』証言報道
⑵1991年:朝日記者の植村隆による金学順『被害者』証言報道
⑶1992年:朝日による『日本軍関与文書』報道
⑷1992〜96年:戸塚悦朗えつろう弁護士による国連での『性奴隷』訴え
⑸1995年〜: 和田春樹東大名誉教授らによる『統治不法論』訴え

驚くべきは、これらの活動が、全て『反日日本人』によって計画実行されたものだということです。

韓国官民は彼らの旗振りに従って反日外交を行い、国際社会で反日活動を展開しているのです。

では、上記の5項目を順次、見ていこうと思います。

1982〜83年:吉田清治と朝日の『慰安婦強制連行』報道

『従軍慰安婦』問題の発端は吉田清治による、
「軍命令に従って済州島に行って女性たちを女子挺身隊として強制連行した」
という証言です。

『女子挺身隊』とは大戦中の女性の勤労動員のことですが、これを『従軍慰安婦』と捻じ曲げて、でっち上げたのです。

この吉田清治証言を世に広めたのは、朝日新聞の1982年9月の記事でした。

その後、吉田は著書、
『私の戦争犯罪──朝鮮人強制連行』
で加害証言を詳しく書きました。

この証言は、歴史家の秦郁彦氏による済州島での調査結果から虚偽の疑いが強まり、朝日新聞は30年以上も後の2014年に、
「虚偽だと判断し、記事を取り消します」
と表明しました。

確かに、当初はあまりにも突飛な証言だったせいか、朝日においても、その後の慰安婦関連の記事は、せいぜい年に1本程度しか掲載されませんでした。

ところが、1991年になって朝日新聞は突然、大々的な『従軍慰安婦キャンペーン』を始めます。
慰安婦関連記事は1991年に12本、1992年13本と急増します。

このキャンペーンによって、
「女子挺身隊の名の下に、約20万人の朝鮮人女性が動員され、うち5万〜7万人が慰安婦にされ、彼女たちは日本軍が退却する際に放置され、多くが死んだ」
などという途方もない説が、広く信じられるようになりました。

1991年:朝日記者の植村隆による金学順『被害者』証言

このキャンペーンの一環でしょう、当時、朝日新聞記者の植村隆が1991年8月11日に、韓国在住の元慰安婦の証言を、
「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦」
「戦後半世紀 重い口開く」
という見出しで記事を書きました。

元慰安婦がメディアで証言したのは初めてで、大きな反響を呼びました。

この記事で植村記者は、元慰安婦が『女子挺身隊』の名で、
「17歳の時、だまされて慰安婦にされ、2300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれた」
と書きました。

しかし、4日後の8月15日、韓国のハンギョレ新聞は、この元慰安婦の金学順さんが、ソウル市内で語った内容を以下のように紹介しています。

<生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(養成所)に売られていった。
3年後の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、キーセン検番の養父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった。>

金さん自身の
「母親に売られ、養父に連れて行かれた」
という証言の後も、植村元記者は12月の記事でも、
「私と、友人は将校のような人に、中国人が使っていた空き家の暗い部屋にじ込められたのです」
と、さも日本軍に強制連行されたように描いています。

この記事を西岡教授は『捏造記事』と批判しました。
それを2014年に吉田証言が虚偽だと判明した後に、朝日新聞をすでに退職していた植村隆元記者が、西岡教授を名誉毀損だと訴えたのです。

朝日は植村記事に関しては、取り消しも謝罪もしていません。
他人の本は虚偽だとしても、自社の記事に関しては頬被りしていたのです。

しかし、植村元記者への批判が高まり、それをかわすために西岡教授を訴えたようです。

2015年1月に提訴がなされ、2019年6月に東京地裁で西岡教授の完全勝訴。

植村氏は控訴しましたが、2020年3月、またも西岡教授の完全勝訴。
植村氏は最高裁に上告しましたが、2021年3月に上告棄却という結果で終わりました。

植村記事が捏造であるという西岡教授の批判は‟真実性”があると、日本の裁判所が認めたのです。

1992年:朝日による『日本軍関与文書』発見記事

慰安婦キャンペーンの最中、朝日新聞は1992年1月11日、宮沢首相の訪韓の5日前に1面トップで、<慰安所 軍関与示す資料>と報じました。

「いよいよ軍が組織的に慰安婦強制連行を仕組んだ資料が見つかった」
と思わせるように仕組んだ記事でした。

記事の中では、
<宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされることになる>と、‟予言”までしています。

その‟予言”通り、ソウル市内で抗議や糾弾のデモや集会が相次いで、宮沢首相は真相を調べる時間もなく、何度も謝罪をする破目となりました。

しかし、そもそも文書をよく読めば、悪徳業者が女性を騙したり、誘拐したりする問題が多発しているので、
「業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ」
という陸軍省の慰安所に対する通知でした。

‟軍による強制連行”とは正反対の人道的な‟関与”だったのです。

こうして、強制連行の‟実行犯”である吉田清治の自供、‟被害者”である金学順の証言、そして日本軍の‟関与資料”と、『従軍慰安婦は日本軍の組織的犯行』を‟立証”する三点セットを朝日は揃えたのです。
とはいえ、全てが捏造か誘導報道でしたが…。

今日でも韓国国民のほとんどは、
「日本軍が従軍慰安婦を強制連行した」
と信じ込んでいますが、

そこから生まれる『反日』は、朝日新聞が火を付け、煽ったものです。

1992〜96年:戸塚悦朗弁護士による国連での『性奴隷』訴え

慰安婦問題を国連に持ち込んだのが、日弁連(日本弁護士連合会) で国際的活動を担っていた戸塚悦朗弁護士でした。

戸塚弁護士は慰安婦に対して、『性奴隷』という用語をでっち上げ、NGOとして執拗に国連人権委員会などに働きかけました。

氏は1992年2月から1996年2月までの4年間で18回、2ヶ月半に1回のペースで国連を訪問して『性奴隷』説を訴え続けました。

活動開始2年後の1994年3月、国連の人権委員会は、『女性に対する暴力に関する特別報告官』としてスリランカのラディカ・クマラスワミ女史を任命しました。

クマラスワミ女史は、旧ユーゴやルワンダで起きた女性への暴力など、現代の人権侵害を調べることを任務にしていたのですが、1995年7月に提出された付属文書で慰安婦問題も取り上げ、慰安婦は『性奴隷』であると明記しました。

戸塚弁護士の活動から、『性奴隷』という造語が国連文書にも記載されたのです。

『性奴隷』という言葉によって、慰安婦問題はナチスのユダヤ人虐殺などと同レベルの『人道に対する罪』に格上げされ、米国とEUの議会が『性奴隷』という言葉を使って、日本を糾弾する決議を行いました。

韓国政府は1993年8月の『河野談話』で日本政府と手打ちをしてから、約18年間、慰安婦問題を外交に持ち出していなかったのですが、韓国国会も慰安婦決議を採択し、これらを根拠に韓国憲法裁判所が、2011年に、
「慰安婦問題で韓国政府が日本政府に外交交渉をしないことは違憲だ」
とする判決を下し、再度、慰安婦問題を日韓間の外交問題にさせたのです。

戸塚弁護士は、韓国憲法裁判所に意見書を出しており、判決はその意見書を添付しています。

そこでは、『性奴隷』は当時の国際法によっても人道に反する罪として不法行為であり、その被害に対する補償請求権は、いかなる外交交渉によっても消滅しないと主張しています。

この凄腕の日本人弁護士によって、韓国政府は慰安婦問題で立ち上がらざるを得ない状態に追い込まれたのです。

1995年〜: 和田春樹東大名誉教授らによる『統治不法論』訴え

『従軍慰安婦』問題と並んで、韓国の反日のもう一つの柱が『徴用工』問題です。

この問題を煽ってきたのも反日日本人でした。

和田春樹東大名誉教授らは、日本の朝鮮統治を不法なものと位置づけ、その下で行われた戦時労働動員も不法行為だから慰謝料請求権があると1984年頃から主張し始めました。

西岡教授は、この主張を『統治不法論』と呼んでいます。

彼らは、まず村山富市政権下で、1995年の『村山談話』を出させるという結果を達成しました。

しかし、『村山談話』は、和田教授らが目指した統治不法論までは認めず、日本政府は韓国統治は両国の条約に基づく合法的なものという、従来からの姿勢は変えませんでした。

和田教授らは、その後も韓国の親北左派と連携を深めながら、反日運動を続けました。

2010年、韓国併合100周年を迎え、和田教授らは日韓の知識人約1000人の署名を集めて共同声明を出し、菅直人首相に統治不法論に立つ談話を出すように運動したが、それもぎりぎりのところで失敗しました。

しかし、これを契機に韓国の政界、言論界、学界の多くの人々が和田教授らを‟良心的日本人”として称賛し、『統治不法論』を日本政府に認めさせることを目標とする議論が噴出しました。

その2年後、戦時労働者らが日本企業に賠償支払いを求めて提訴していた裁判で、地裁、高裁では原告敗訴判決を出していたのを、韓国の最高裁判所である大法院の小法廷が、それを覆す差し戻し判決を下ました。
初めて韓国の裁判所が『統治不法論』を採用したのです。

その延長線上で『統治不法論』を最大の論拠として、2018年10月と11月、新日鐵住金と三菱重工の敗訴確定の大法院判決が下されました。

そして、2021年1月には慰安婦に対しても、『統治不法論』を根拠とした判決が下されました。

『統治不法論』を認めることは、1965年の日韓基本条約と請求権協定が否定されることを意味します。

日韓基本条約は足かけ14年もかけて、日本の韓国統治は不法ではなく、賠償すべき請求権は存在しないが、8億ドル(当時の韓国の輸出額の20年分)もの無償援助、低利融資などの経済協力によって、
「請求権に関する問題が、・・・完全かつ最終的に解決された」
と取り決めた条約です。

韓国側が、国際法も国際条約も無視したトンデモ法理論である『統治不法論』に基づいて、日本企業から賠償としてその財産を没収したら、日韓関係は完全に破壊されるでしょう。

韓国は、民主主義陣営が築きつつある対中包囲網の最も弱い部分ですから、そうなれば喜ぶ国はどこかは明らかです。

日本の集団徳性はこの程度

西岡教授の著書『でっちあげの徴用工問題』と『増補新版よく分かる慰安婦問題』は韓国語に訳され、韓国で出版されています。

韓国の反日左派を批判した『反日種族主義』の共著者である金容三キムヨンサム氏は、前者を読んでこう語っています。

<この本を書いた西岡先生の心情を、私はある程度推察してみたのです。
「本当に韓国人たちはあまりにもひどすぎる。政府もそうだし、大法院もそうだ。集団的な一種の精神疾患にかかっているのではないか」
と感じるくらいですよ。
・・・
私はこの西岡先生の本を読みながら、本当に辛かったです。
われわれはこの程度でしかない国なのか。
韓国の集団知性はこの程度の、ゴミ箱にしかならない状況なのか。>

確かに、韓国の反日活動は、全て『反日日本人』による捏造記事やトンデモ法理論に基づいています。

「韓国の集団知性はこの程度」
と嘆く金容三氏の辛い思いは理解できます。

しかし、日本人の方も平気で捏造記事を書いたり、トンデモ法理論をでっち上げているわけで、私たち日本国民も
「日本の集団徳性はこの程度」
という辛い思いを持たなければならないのです。

それは一部の『反日日本人』の仕業ですが、私たち大多数の国民も
「我関せず」
と、西岡教授の批判活動を広く支持せずに、彼らに言いたい放題、やりたい放題させてきたという、徳性の欠如は痛感しなければなりません。

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