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2023.4.2 知られざる日米同盟の生みの親
若くして亡くなった天才学者の遺言
1941年12月31日…。
「アメリカは、この戦争が終わったら日本と同盟を組む必要がある」
![](https://assets.st-note.com/img/1680415295500-nH5537nYGZ.png?width=800)
真珠湾攻撃から僅か3週間後のこと。
アメリカで行われていた学会では、怒号が飛び交っていました。
「そんな馬鹿げた提案があるか!」
「恥を知れ!」
![](https://assets.st-note.com/img/1680415599792-pPJSS8EPLW.png?width=800)
会場にいた学者たちの怒りの矛先は、一人の男…。
彼は、自分の研究成果の発表を終えた後に、日米同盟の必要性を説きました。
この発言が物議を醸したのです。
それもそのはず。
![](https://assets.st-note.com/img/1680415665828-xIaC9vQ5Ha.png?width=800)
世間では、卑怯な騙し討ちを行った日本に対し、
「リメンバー・パールハーバー」
という掛け声と共に、日米大戦に突入。
日本に対し、憎悪の感情がピークに達している時期でした。
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