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202.6.21 明治の偉人たちが大躍進した理由

坂本龍馬、勝海舟、吉田松陰。

日本の歴史を大きく変化させた幕末の英傑たち。

そんな彼らが口を揃えて師と仰ぐ、ある男がいました。

その男、明治維新の20年以上も前に『富国強兵』、『殖産興業』の原型を“たった一人”で始めていました。

その業績は、現代の著名な研究家が、
「この男無くして、我が国の近代化は無かった」
と明言するほど。

しかし、現代の教科書には、彼に関する記述はほとんど載っておらず、その名前さえ知らない日本人も少なくありません。

明治維新の礎を作り、維新の英傑を育てた、日本史を語る上で欠かせない人物。

一体、この男は何者でしょうか…?


幕末の英傑たちを生み出した天才学者

1811年。
男は、松代藩(現在の長野県)にて生まれます。

『啓之助』という幼名で育ち、一生の間に幾つもの名を名乗りました。

決して裕福ではない家の出身ではありましたが、文武両道で勉強熱心な父の許で、すくすくと成長しました。

そして、幼少期から神童と呼ばれ、藩校では常に周りから注目を集めることになります。

そして、16歳の時、彼の人生が大きく変わります。

自らの師との出会いです。
その人物の名は、鎌原桐山かんばらとうざん

藩の中で右に出る者がいないほど、学問と人格に優れた名高い男でした。

鎌原の許で8年の修業を積んだ彼は、将来有望な青年へと成長を遂げ、そして、この修行の期間によって、彼の土台が構築されていきました。

修行を終えた彼に、当時では異例のチャンスが訪れます。

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