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2021.11.2 岸田総理vs文在寅~韓国の腹の底~

自民党が議席を減らすも、立憲民主党も数を減らし、維新の会が議席を増やした開票結果でした。
大物議員の敗退やら役職辞任などありますが、現段階では政局に大きな変化は見られない、そんな感じがします。

さて、2022年5月。
任期を終える韓国の文在寅大統領。

先日就任した岸田総理との電話会談を、かなり後回しにされたにも関わらず、やっと回ってきた会談の場では
「慰安婦問題を解決しろ!」
の一点張り。

一体、なぜここまで歴史問題を蒸し返し続けるのか?

そこで今回は、韓国が決して反日をやめられないカラクリを解き明かした1冊を紹介しながら記事を書いていこうと思います。

朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との戦い

文在寅政権は、今も韓国を日米から離反させ北朝鮮、中国の仲間入りさせようとしています。

中国と北朝鮮は、共に中華型の全体主義体制をとっており、皇帝独裁を支える伝統的な朱子学と親和性が高い国家です。

麗澤大学の西岡力客員教授は、
<つまり、いま韓国で展開している戦いは、朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ>
と総括しています。

韓国内だけではありません。
日米対中朝の争いも同様に、両勢力の命運を賭けた戦いです。

これに負ければ、我々日本国民も自由、人権、民主主義を失います。

そういう戦いが目の前で展開されているのです。

この“朱子学的全体主義勢力”の本質を学問的に明らかにした『反日種族主義』が、韓国で10万部を超えるベストセラーとなり、日本語版も発売わずか2週間で20万部を超えました。

これを読むと、韓国内の前近代的な『種族主義』、すなわち思想的文化的に閉ざされた集団に閉じこもり、他集団を敵とする古代呪術的体制が学問的に解剖されており、こういう集団には、史実も学問的議論も国際常識も通用しない事がよく判ります。

こういう種族主義的勢力に対抗して、生命の危険を賭けても学問的に正しい事実を伝えようとする著者の李栄薫イヨンフン氏のような『文明勢力』がいることを知ると、少しは希望も湧いてきます。

日帝をどのように批判したらいいのか分からなくなる

『反日種族主義』では、「従軍慰安婦」「徴用工」「植民地化」など韓国の訴える『反日』について、史実を踏まえて、その“嘘”が暴かれています。

講義を聞いた韓国の学生たちは、次のような感想を漏らします。

<今まで教科書で習って来たことが事実ではないという点を受け入れると、日帝(日本帝国主義)をどのように批判したらいいのか分からなくなる>

<日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる>

この感想自体が、韓国での研究も教育も非学問的なレベルのものである事をよく現しています。

というのは、学生たちは
「日帝は批判すべきもの」
という前提を信じ込んでいるからです。

すなわち
「日帝とは悪魔のように呪詛すべきもの」
という『呪術的信仰』が暗黙の前提となっているのです。

これがまさに『反日種族主義』の正体です。

日帝の所業に間違いない

『呪術的信仰』の典型が”鉄杭騒動”です。

日本は朝鮮を併合した後、土地調査のため朝鮮の歴史上、初めての近代的測量を行いました。

その過程で、測量基準点の標識を朝鮮全土の高い山に設置しました。

朝鮮では、土地には人体のように気脈が流れているという古代中国起源の風水の自然観が信じられていました。

近代的測量の目的も技術も知らない当時の朝鮮人たちは、大地に打ち込まれた鉄杭を見て、
「倭人たちが朝鮮に人材が出ないように穴(急所:ツボ)を塞ぎ回っている」
と噂し、それを広めました。

住人たちは夜、山に登っては、この棒を抜いて、金槌で砕いたといいます。

この迷信を国策に利用したのが、金永三キムヨンサム政権が1995(平成7)年2月に始めた『光復50周年記念力点推進事業』でした。

大統領の指示を受けた内務省が、全国の地方自治体に公文を送り、日帝が打ち込んだ鉄杭を見つけて抜くよう指示をしました。

6ヶ月間で全国から439件の申告があり、うち日帝が打ち込んだ鉄杭だとして除去されたものは18本でした。

当時、『月刊朝鮮』の記者だった金容三キムヨンサム氏は、この18本の鉄杭除去現場を訪ね事実を調査。

慶尚道キョンサンド亀尾市クミシの金烏市で除去された鉄杭を鑑定したのは、易術人のミンスンマン氏だった。

彼は、
「金烏山に鉄杭が打たれている場所は、風水学的に明堂(優れた場所)だ」

「龍が天に向かって立ち上がる場所に仏が横たわっており、その額の部分に鉄杭が打たれていた」と言った。

金氏が、
「仮にそうだとしても、この鉄杭が日帝が打ったという科学的で客観的な証拠は何ですか」と訊くと、

彼は、
「証拠はないが、金烏山は風水的観点からして非常に重要なので、日帝の所業に間違いないと推定した」
と答えた。

日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと

忠清北道チュンチョンプクト永同郡ヨンドングンで除去された鉄杭に関しては、郡庁の担当公務員が、
「日帝が打ったと言う根拠がなく、そうなのかどうなのか迷いながら抜いた」
と語った。

しかし、同年6月5日午後、盛大な山神祭と共に除去されました。

その行事は、日本のNHKやTBSも取材に来て、撮影したといいます。

同じ地方の永春面ヨンチュンミョン(面は日本の村に相当)でも3本の鉄杭が発見され、情報提供者たちは、
「1905年頃、永春面で抗日義兵と日本軍の間で大きな戦争が起こった。それで、抗日運動が再び起こらないように、日帝が将来、将軍の生所となる場所に鉄杭を打ち込んだのだ」
と主張した。

永春面の前面長であったゲホン氏は、
「それは日帝が打ったものではなくて、解放後、住民たちが北壁の下に舟の綱を結ぶために打ち込んだものだ」
と証言した。

禹氏は、
「郡庁の人たちにこの事実を何度も説明したけれど、どんなに話をしても聞き入れてくれず、日帝が打った鉄杭に化けてしまった」
と虚しく語った。

江原道カンウォンド揚口郡ヤンググンでは3本の鉄杭が除去されました。

それは表面に錆もなく、あまりにも新しくきれいなので、最近作られたものに間違いないと金氏は思った。

もしも、日帝の仕業でなかったらどうしようかと心配した人々が、
「専門家の考証を受けた後で除去するのが良さそうだ」
という意見を出したが無視された。

この鉄杭も、マスコミの大々的な注目を浴びながら引き抜かれ、ソウル国立民族博物館で開かれた光復50周年記念の一部として展示されました。

そこには、次のような説明文がつけられました。

<民族抹殺政策の一環として、日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと、全国の名山に鉄杭を打ったり、鉄を溶かして注いだり、炭や瓶を埋めた。風水地理的に有名な名山に鉄杭を打ち込み、地気を押さえ人材輩出と精気を抑え付けようとしたのだ。>

祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果

住民たちが舟の綱を結ぶために打ち込んだ鉄杭まで持ち出して、それを
「日帝が民族の精気と脈を抹殺」
するために打ったものだとする。

何の証拠もなく、自分たちの古代的信仰をそのまま日本への糾弾に使う。

それは事実ではない、という地元の証言も聞き入れない。

しかも、それを首都の国立民族博物館という学問的な権威が必要とされる場所で堂々と語る。

ここには、近代的学問の論理的な姿勢はまるでない。

そして、それがいかに恥ずかしい事かという認識もない。

李永薫教授は、韓国の教科書を執筆した歴史家は、
「日帝には『土地だけでなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された』と教科書に書いてきました。その全てがでたらめな学説です」
と述べています。

その精しい内容は、実証的な事実によって『反日種族主義』で検証されていますが、“でたらめな学説”が横行している理由について、こう述べています。

<歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます。>

すなわち『鉄杭』神話は、風水説という『伝統文化』に引きずられて生み出され広められたものです。

そこには、史実も合理性も学問的検証もありません。

ただ、空理空論で世界のあるべき姿を追求した朱子学的世界観です。

李栄薫教授ら『文明勢力』が戦っているのは、このような前近代的思考に閉じこもった人々なのです。

風水で朝鮮総督府庁舎も解体

金永三大統領は、鉄杭の除去に留まらず、旧朝鮮総督府の庁舎と総督官邸の解体まで指示。

その理由も、風水研究家が以下のような主張をして、世論をリードしたからだった。

<北岳はソウルの主山だが、その優れた気脈が景福宮の勤政殿まで伸び、その血脈を広げ、そこから国中に白頭山の精気を分け与えるというのが、伝統地理家たちの考えだ。ところが倭人たちが国土を強占した後、北岳の精気が景福宮に続く所に彼らの頭領である朝鮮総督の宿所を造り、気脈の首を絞め、国気の出発点である景福宮南側に総督府の庁舎を造り、首を絞め、口を塞ぐはめになった。当然二つの建物を撤去し原状復旧することが風水の正道だ。>

文化界の有名人氏たちも、
「日帝が朝鮮王朝の景福宮を破壊し、そこに朝鮮総督府の建物を建てたため、国の脈が切れて国土が分断され、同族を殺し合う悲劇が訪れた」
と賛同した。

朝鮮戦争まで風水で説明してしまう。

1995年8月15日の光復50周年慶祝式で、朝鮮総督府庁舎の撤去作業が始まり、翌年11月13日、建物の地上部分の撤去が完了。

朝鮮総督府は、日本統治時代に10年の工期を費やして完成した建物で、当時はイギリスのインド総督府やオランダのボルネオ総督府を凌駕する東洋最大の近代式建築物でした。

恥ずかしく清算すべき歴史

朝鮮総督府庁舎は、戦後も大韓民国の重要な歴史が刻まれた舞台でした。

1945年9月9日、ここで第9代朝鮮総督・阿部信行が、アメリカ第24軍軍団長ジョン・ホッジ中将に降伏文書を手渡しました。

ソウルに進駐した米軍は、ここを米軍政庁として使いました。

1948年5月31日、中央庁の中央ホールで大韓民国の国会が開かれ、同年7月17日には憲法がこの場で公布されました。

続いて7月24日には、大韓民国の初代大統領の就任式が、8月15日には大韓民国政府の樹立の宣布が中央庁の広場で行なわれました。

この建物は、1950年10月7日まで国会議事堂として使われ、その後は李承晩大統領の執務室となり、朝鮮戦争で火を放たれたが、1962年11月22日に復旧され、その後、中央行政府の庁舎として使用されてきました。

朝鮮総督府庁舎は、大韓民国の建国以来の歴史の中心的舞台だったのです。

それを風水で、
「国の脈が切れて国土が分断」
された事を理由として、解体撤去するというのはどういう心理なのだろうか。

風水を信ずる多くの韓国民は快哉を叫んだが、金永三大統領の真の目的は別の所にあった。

金泳三大統領の秘書官・金正男キムジョンナムは、『月刊朝鮮』におけるインタビューで、「金泳三大統領は、中央庁の建物で展開された韓国現代史が、自分の政権の正統性とはほど遠い恥ずかしく清算すべき歴史なので、その建物に対し愛着を感じなかったようだ」
と発言している。

今までの韓国現代史を
「恥ずかしく清算すべき歴史」
とするのが、金永三大統領の歴史観でした。

それは、現在の文在寅大統領にも継承されています。

その歴史観を李永薫教授は、自著の『大韓民国の物語』で次のように要約しています。

<日本の植民地時代に、民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った。>

すなわち、現在の大韓民国とは、『日帝時代の親日勢力』の残党がアメリカと結託して建てた国であり、本来の正統的国家は北朝鮮だというのです。

3代続いている北朝鮮の金王朝こそ、朝鮮の正統な支配者であり、またその背後にある習近平の独裁政権も伝統的な中華帝国の支配者と見ます。

中国も北朝鮮も、それぞれの前近代的な伝統に基づく独裁国家です。

そこには自由、人権、法治、市場経済という文明的概念はありません。

こういう東アジアの朱子学的全体主義勢力と戦っているのが、韓国内の自由民主主義文明勢力なのです。

今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ

2019年8月15日にもソウルで、反文在寅の『太極旗デモ』が行われ、参加者は「日本は敵ではない」「反日は反逆だ」などのスローガンを大声で叫んだ。

演説会でも、
「文在寅政権の反日は親北容共で韓国に有害だ」
「反日は愛国ではなく反逆、利敵だ」
「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」
という発言が相次ぎ、参加者が大声で唱和した。

西岡力客員教授の結論。
<現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する「親北反日」で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ。>

香港のデモも本質は同じでしょう。

自由な日本と台湾のすぐ隣、大陸との境界では、『激しい政治的、思想的内戦』が起こっていることを我々は認識しなければなりません。

『反日種族主義』が韓国でベストセラーになったのは、自由民主主義文明勢力の反撃の狼煙なのです。

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