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2023.1.20 葬られた戦国三英傑の功績

現代の日本を形作った戦国武将の誇るべき偉業

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康…、『戦国三英傑』と呼ばれた三人が共通して大切にしていた文化を貴方はご存知でしょうか?

桶狭間の戦いで自身の強さを天下に知らしめた信長や天下を取った秀吉、そして家康。

戦乱の世に大きく名を馳せた三人ですが、彼らが大切にしていたその文化とは、戦からは程遠い、ある意外なものでした。

それは、彼らだけでなく、貴方にとっても身近にあるものです。

この文化によって、今の日本は、戦争の無い平和な暮らしを送ることができていると言っても過言ではありません。
さて、一体その“文化”とは何でしょうか?
今回は、その秘密について書き綴っていこうと思います。


「このままでは、国そのものが駄目になってしまう…」

時は14世紀、室町時代。

1395年、室町幕府代々の将軍で最も力が有ったと言われていた足利義満が倒れると、幕府は財政破綻に陥り、政治は儘ならず、人々は不安に包まれていた。

その状況に更なる追い打ちを掛けたのが、1420年に起きた『応永の飢饉』である。

日照りや大雨、洪水などが度々起きるという事態が発生。
貴校の影響に大きく左右される農作物は、ほぼ収穫出来なくなってしまった。

大飢饉は全国規模で起こり、やがて多くの人々がご飯を食べることが出来ず、飢えに苦しんだのである。
それ以降も止まらない飢饉に、拍車を掛けるように疫病が流行り出すと、人々はもう心身共にすっかり疲弊しきっていた。

1573年、遂には幕府が滅亡。
弱く脆くなった政治に加え、人々は飢饉に苦しんでいる…。
状況は、
「最悪だ」
「もう、この国は駄目だ…」
誰もがそう思っていただろう。

しかし…、
「これ以上見過ごすことは出来ない。今すぐ日本を立て直さねばならない。きっとそれが、儂の役目でもあるのだ」
こうして1人の男が立ち上がる。
その男とは、『第六天魔王』と恐れられ、戦乱の世を代表する武将『織田信長』だった。

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