三文日記

小学校教員です。3→4→1。考えを書き殴ることもあります。

三文日記

小学校教員です。3→4→1。考えを書き殴ることもあります。

マガジン

最近の記事

子どもが活きた授業とは何か。

子どもが活きた授業ってなんだろう?ってことを、最近よく考える。 以前までは、 ・挙手が多い ・子供のつぶやきを活かす ・考えをガツガツ書いている などを意識していた。 だけど、そんなことって子ども自身の学びの文脈において、つぶやき、挙手、書くという行為は、どれだけ活きていることを表してるのか。 例えば、授業の最初では全員が答えられるような発問をする。 いかにも全員参加のように見せる手立てだけど、最後も全員が答えられなかったら意味ないだろうと思う。 さらにいえ

    • 真ん中の難しさ

      2年連続でベテランと自分より若手に挟まれていて、2年連続で若手のクラスが大変そう。 だけど、ベテランの先生もいる手前、ましてまだまだ若手の私が、口出ししていいものか…と悩んでいる。 もちろん、話は聞くし、見かけたら見るようにはしてるんだけど、どこまでやっていいものか塩梅が難しい。 そんな悩みを抱えているが、学級は普通だ。持ち上がりだがシャッフルされていて、もちろんまだ話の聴き方にはとっても課題があるし、昨年度より個別支援が必要な子が多い。そこで、今年は特別支援教育につい

      • 2020年度を振り返って

        先日、今年度が終わった。 最終日は通知表わたして、大掃除して、ビデオみて終わり。 最後、ビデオで泣いてる子もいたのだけれど、その子たちを見て、楽しく過ごせたならそれでいいなと思った。最後の日だけはできるようになったこととかさておき、楽しく過ごせたかで終われてよかった。 さて、人生初の一年生だったわけで、振り返りたいことは山ほどあるけど、書けないことだらけである。 まずコロナで入学式短縮、6月まで顔と名前すらわからないみたいな状況。しかも、分散登校からスタート。 でも

        • 一年生の図書

           今日は図書があった。週に一回しかない図書だが、みんなどんどん読むので、あのねちょうで書かせた。すると、意外にタイトルを覚えてないのである。もっとこれ読みたいって気持ちで読んでて、タイトルもばっいひ覚えてるもんだと思ってたから意外だった。表面上じゃなく、子供の姿を見るっていうのは改めて難しいなと思った。  国語では、紙芝居づくり。グループで協力してがんばってた。そのおかげで、他のクラスに授業を学びに行けた。ありがとう。  体育では、三角走やら、バランスゲームやら、バトンを

        子どもが活きた授業とは何か。

        マガジン

        • 教育観2021
          4本
        • 三文日記
          2本
        • 教育観2020
          7本

        記事

          SNSと教育

          近年、SNSが普及し、それらの情報の確実性が疑われていながら、それらの情報を信じるという二面性が生じているように思います。 そして、SNSにおいて、何らかの要因によってフォロワーを多くもつものをインフルエンサーと呼び、彼らの発信は若年層にとって影響力を多分にもちます。 そんな中、経済界の専門家やインフルエンサーが教育について語ることも多くあります。そして、しつけは古いとか、学校なんて行かなくていいという語りも出てきたり、それに過度に影響される層も出てきたりしています。

          SNSと教育

          0108未来志向

          SNSには様々な批判がありますが、私がいま欲しいのは批判するための批判と愚痴(同義?)をミュートする機能。 せっかく有益な情報を得ることができるツールなのに、それらがあるとなんのためにもならず価値が下がるうえ、嫌な気分にもなります。 本来、批判はよりよい未来を創造するためにすべきではないでしょうか。

          0108未来志向

          0106冬休みおわり

          今日で冬休みもおわり。 今年の冬休みは頭でっかちにならずにすんだ。 むしろ、リセットできてよかったのかもしれない。 明日から仕事。さぁ福笑いの準備でもするか。

          0106冬休みおわり

          0104どう幸せになるかで考える

          管理職にキャリアプランを申告したり、どんな教師になりたいかを述べたりすることがある。 ですが、あれって結局私の人生ではなく、職業教員としてのあり方を聞かれてるにすぎないと思います。 私としては、 教員としてどんな人生を送るかではなく、 どう幸せな人生を送るかをベースとして、 職業"教員"を選択しているわけです。 なのに、教員としてどうなりたいか?みたいな話は私にとっては手段と目的の混合で、なんの価値も持たないです。 とはいえ、管理職にそんなことを言うわけにいかな

          0104どう幸せになるかで考える

          0103競争と伸び

          学校教育って、競争場面が多すぎる。 テストの点数、体育の授業… 挙手の回数もしちゃってる人もいる。 でも、本質的には一人一人が伸びればいいんだよね。 なんでそんなに競わせるんだろう?なんで勝った子の自信には目を向けるのに、負けた子の劣等感には目を背けるのだろう? 教師がもっともっともーっと、一人一人の伸びを大事にすればいい。そのために、何もしてないときを記録して授業後を記録して、比較して伸びを感じさせるんだ。体育だって競争はいらない。全部、その子の伸び。

          0103競争と伸び

          20210102

          私は基本3冊くらい並行読書する。 いまは、シンニホン、嫌われる勇気、そして今日から13歳からのアート思考を読み始めた。 自分の既成概念が揺さぶられているのがわかり、楽しい。

          2021年の目標

          昨年度も目標立てたのですが、どっかいってしまいました。 今年度の目標は3つです。 ①筋トレをして10kg痩せる。②特別支援について学び、教科ごとに個別の配慮を当たり前にし、それらとその効果をすべて記録する。③子供の様子を数値化することを通して教育論文を2本書く。 3つの設定にあたっては、 ・どれほど自分のためになっているかわからなくなるため、行為を目標にしないこと。(本を何冊読むなど) ・感覚目標ではなく数値目標にすること。(子供達にとって居心地がいい学級経営など。

          2021年の目標

          今年から毎日少しずつ書きます

          去年は自分の考えの備忘録として活用しました。 ですが、それは別に誰でもできることですし、日々の積み重ねがない。また、突然考えを書き殴ったところで、自分で読み返してもどういう日々があってこうなったかがわからないことに気づきました。 ということで、本年は毎日の成功も失敗もできる限り書いていこうと思います。本年もよろしくお願いします。

          今年から毎日少しずつ書きます

          研究授業のとき

          研究授業のとき、短冊や挿絵、アンケート、、、盛りだくさんに準備しますか? 私は指導案は練りますが、過度な物の準備はしない派です。 なぜなら、日々の実践からかけ離れたものにしたくないから。教師にとっては特に特に特に大切な1時間でも(もちろん、すべての時間のすべての授業に全力ですが)、子供にとっては年間の約1000時間のうちの1時間にすぎません。日々の実践でやっていないことをやってしまっては、研究にはつながらないと思うのです。 しかし、一方で研究授業には提案性も不可欠です。

          研究授業のとき

          0ベースで学校を考える

          0から学校を考えてみると、学校における大事なことが見えて来ると思います。 学ぶ環境は教室じゃなきゃだめか。 例えば校庭。隣のクラスの声とか聞こえてうるさそうだなー。やっぱ箱がいいのかも。 じゃあ机はいるか?個人的には床でやるとか机でやるとかは選べるといいのかもと思う。下らん学習規律を指導しなくて済む。(中学で学習規律が必要とか言うが、そもそも中学でも学習規律を強いることはあってるのかって話。) 稚拙な例え話だが、(これ以上書くのが億劫なので)なにが言いたいかというと、

          0ベースで学校を考える

          信じて任せることの可能性

          今年度意識している二つあります。 とことん教えず、子供の中にある仮の答えを問いで引き出すこと。 子供より先に反応しないようにすること。 これを続けているからか、子供がほんとに自分で考えて動くようになってきました。 スタートカリキュラムの作成も進めていたため、保育園・幼稚園でのリーダー経験を生かすことを第一に考え、学校に来てからの動きすら教えず、どうしたら早くできるかを考えさせてきました。 最初はもちろん3クラスの中で一番遅かったです笑 でも、教えてもらえない彼らは

          信じて任せることの可能性

          子供の声を聴くということ

          最近、我ながら授業がうまく行ってることが多い。 というのも、自分の中で3年目にしてようやく子供の声を聴くとはどういうことかわかってきた(ような気でいる)からだ。 今までは、子供の声(以下発言含む)を聴くというと、指名しての発表を聴くとか、対角線に立つとか、小さい声のときはあえて遠くに離れて聴くとか、そんなハウツーばかり気をつけていた。 しかし、それは教師としての立ち振る舞いにすぎない。授業における聴くになっていない。授業において、子供の声を聴いているのは教師だけではない

          子供の声を聴くということ