子どもが活きた授業とは何か。

子どもが活きた授業ってなんだろう?ってことを、最近よく考える。

以前までは、

・挙手が多い

・子供のつぶやきを活かす

・考えをガツガツ書いている

などを意識していた。

だけど、そんなことって子ども自身の学びの文脈において、つぶやき、挙手、書くという行為は、どれだけ活きていることを表してるのか。

例えば、授業の最初では全員が答えられるような発問をする。

いかにも全員参加のように見せる手立てだけど、最後も全員が答えられなかったら意味ないだろうと思う。

さらにいえば、全員が挙手できるような発問なんてのは、挙手-指名という教室空間特有のローカルルールあってこそ価値をもつのであって、挙手-指名のルールを無くせば、価値を持たない。もちろん、自分の考えをもてる発問としての価値はあるだろう。

でも、自分の考えをもてることに発問としての価値をおくなら、全員が挙手する発問など本来目指す必要はない。だから、"全員が挙手する"とか"挙手が多いor少ない"ということに価値は全くなく、

本来考えるべきなのは、全員が狙いに迫る考えをもてるかどうかなのじゃないか。


そうなってくると、挙手指名方式はやはり邪魔でしかない。もちろん、大勢の前での発表力は大切だけど、どうしても子供も大人も挙手という行為そのものに価値を見出しがちじゃないか。

ということで、

挙手指名方式をやめる

相談をみんなにしてみようと思う。

でもいきなりやめて、当てられるから授業やだってなっても困る。

タブレットでモニタリングするとか、

モニタリングのための机間指導をするとか、

時間で思考時間をくぎらないとか、

考え中という言葉を教えるとか……

子供たちと話し合いながら、一人一人が学びやすい環境を作りたいなぁ。

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