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諦めるには命は長すぎる

もう1か月近くもnoteを書けてなかった。

なんだか、色々と心がざわつく出来事があったり、定期的に来る自信喪失週間が来たりしていて、書きたいのに書けない日々が続いていた。

私にとって「書く」という事は1番最上級のアウトプットで、自分に嘘をつけない作業なのかもしれない。心が元気じゃなかったり、ざわついていると文章が書けなくなる。そして「書けない」ということが本当につらい。少しずつ窒息するような感覚だ。

私はよく、行動力があると言われる事があるが、自分から見た自分ってかなりフットワーク重くて石橋を叩いて渡るタイプだ。そのくせ計画を立てるのがキライだから、1年先、自分がどこにいるか分からないまま進んでいる。

人から見たら私って頑張ってるように見えるのかもしれないけど、自分では全然頑張りが足りないなあと思ってふがいない。毎日、ああもっと頑張れたはず、と思いながら眠りについている。

でも自分が尊敬してる、いつも頑張ってるように見える人だってきっと大なり小なり同じようなことを悩んでいるのだと思う。

世の中のいわゆる「成功した人」を見ると「わあ、すごいなあ」と思う1秒後には劣等感と嫉妬と、自分は何をしてるんだろう?という疑問のようなものが湧き上がる。

でも冷静に考えると、私は「成功者」になりたいわけじゃない。お金持ちになりたいわけでもない。お金があったらこれを買いたい、あれを食べたいと思うものもない。

Radwimpsの「うたかた歌」という歌の歌詞にお気に入りのフレーズがある。

「走るにはどうやら命は長すぎて
悔やむにはどうやら命は短すぎて
諦めるにはどうやら命は長すぎて
分かるにはどうやら命は短すぎる」


人生って長すぎて、ずっと走ってたら息切れしちゃうけど、何かを後悔して過ごすことに限りある命を使うのはもったいない。
やりたいことを諦めるには長すぎる。
何かを本当に理解するのには短すぎる。

うーん、深い。
ジムで走りながらこれを聞くと、
「やっぱぜってえ諦めねー!!」って私の中の中2男子が夕陽に向かって叫ぶんだ。

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