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インド人彼氏の浮気相手と3人で魚のつみれを丸めた日の話

先日、福岡のお気に入りの温泉に浸かって滝を見つめていた時のこと。

あぁ、そろそろあの魚のつみれのエピソードも文章にできるなあ、と思った。自分の人生に起こったエモーショナルな出来事を文章にするのは、なかなか勇気と気力がいる。

でも私は、文章にできた時本当の意味で自分の中で昇華される気がしている。もう時効だなあ、と思う。

そう、あれは私が大学3年の時だった。

春休みに訪れたインドのデリーで泊まったゲストハウスのマネージャーと、いつのまにか付き合っていた。

当時私はストリートチルドレンや児童労働の実態を知るべく、現地のNGOにコンタクトを取ってインターンに行っていた。

彼は元ストリートチルドレンでそのNGOの施設で子ども時代を過ごしたのだ。

そんな人が、たまたま予約した宿のマネージャーをしているとは、世界って不思議なもんだ。彼はホスピタリティあふれる青年で、世界中から来るゲストたちをいつもひょうきんなことをして笑わせていた。英語がペラペラで知的な人だった。

春休みが終わって私は日本に帰り、遠距離恋愛がスタートした。私はデパ地下でサラダを売るバイトに励み、半年後の夏休みはまたインドに飛んだ。また違うNGOでインターンしつつ、彼とのつかの間の再会を楽しんだ。

この頃からなんとなく、彼の心には誰にも埋められない穴が空いているのではないか、と感じていた。一緒にいても常にどこか気を張っているような、さみしげなような。

彼はインドの田舎出身で、幼い時に家出して首都デリーに来た。最初は軽い気持ちだったが、戻るに戻れず駅のホームやストリートで寝起きするうちに、ストリートチルドレンの仲間ができて、1年も路上で暮らした。その後NGOに保護されて施設から学校に通い、高校卒業と同時に施設を出てそれからはレストランやホテルなどで働いてきた。

心理学用語では「愛着障害」というのだが、子どもの時に親から十分な愛情を受けられないと、大人になってもパートナーと恋愛関係をうまく築けなかったりすることが多いそうだ。

なんとなく、私では彼の心の穴を埋められないのではないか…そんな思いを抱えながらも遠距離恋愛は続いた。

しかし私も日本の大学で政治について語り合うサークルを立ち上げたりと、毎日忙しく過ごしていた。彼からの連絡頻度が少しづつ減り、返信が3日返ってこなかったりしても、「まあ忙しいんかな」くらいにあまり気にしていなかった。

その年の大晦日、事件は起きた。実家でぬくぬくと過ごしていた私の元に、彼から一通のメッセージ。

「他の女性と3ヶ月関係を続けている。アイムソーソーリー。」

目の前が真っ暗になった。まだ純情そのものだった私は、2週間くらいご飯がのどを通らなくなった。彼が3ヶ月も浮気していたことに全く気づかなかったし疑いも持たなかった自分がなさけなくて、ふがいなかった。せっかくのおせちも楽しめなくて心底悲しくなったのを今でも覚えている。

話を聞くと、相手は宿に長期で泊まってデリーで働いているベトナム人女性。抜けたくても抜けられない関係とのこと。私は、「私1人がいちぬけぴしたら丸くおさまるなら抜けよう」と思い彼と別れることにした。

しかし何とも悲しいことに、私は2ヶ月後の春休みに向けてインド行きの航空券をすでに買っていたのだ。往復5万くらいだろうか。大学生にとっては大金だ。来る日も来る日もサラダを汗水垂らして売りさばいて得たお金だ。

でも傷心の状態で(元)彼と会えないインドに行くのはつらいのではないかと思って悩んだ。悩みすぎてなぜか当時のゼミの先生(アメリカ人)にアポを取って研究室まで相談に行ったくらいだ。先生はゼミ生からの突然のナナメ上の相談内容にびっくりしていたけど、「つらいなら行かなくたっていい。すべては自由だよ。」とさすが自由の国アメリカから来た人だけあるお言葉をくれた。

そして私は悩んだ末にインドへ旅立った。どうせなら浮気の詳細をきちんと彼から聞いて正式にお別れしようと思い、彼に会ってから次の町へ移動することにした。

そして深夜デリーに着いて、危ないから迎えに行くと行った彼と一緒に空港に現れたのは浮気相手(ベトナム人女性)だった。ワーオ、さっそく修羅場。

長時間のフライトで疲れ切っていた私は、タクシーで移動したホテルのロビーで彼女に「私とこの人はもう完全に別れている。深夜着は危ないから迎えに来てくれただけ。もう何も心配しないで」と伝えて彼らと別れた。

翌日、ケリをつけるために彼の勤めるゲストハウスを訪ねた。彼女は仕事に行っている。屋上で、この3ヶ月間の事のなりゆきを聞いた。不思議ともう何も感じない自分がいた。「ああ、ふっきれたなあ」そう感じた。

話を終えてさあ帰ろう、という頃に彼女が帰って来た。気まずい。

「一緒に夕飯を作りましょう。」誰が言い出したか覚えていないが、気づいたら私の(元)彼と浮気相手と私は3人でキッチンに立ち、魚のつみれを練っていた。私は気まずい空気に耐えながらも、「いつかこれがネタになる日が来るさ。」と自分を鼓舞した。

あまり味のしないベトナム風の夕飯を口に運び終わった後、彼女と私は2人で少し話をした。私は今日、彼と正式にお別れするために来たことと、もう会わないこと、次の街へ明日移動することを告げた。

彼女はいい子だと思った。異国に来てまじめに仕事をしていて、ただ好きになった相手に彼女がいただけ。それだけだった。そして彼は私と遠距離でさみしかった。さみしさに耐えられるくらい強くなかった。私はこのふたりを応援したい、そんな気持ちにすらなっていた。

そして移動した次の街で、私は軽率にまた恋をしてその彼氏と1年半付き合うことになるのだが。スパン早すぎてインド人もびっくりだよ。

さて、先述した「愛着障害」については彼と別れた後も、何度も何度も考えることになった。この彼と付き合ったことがきっかけで、ストリートチルドレンや児童養護施設で暮らす子どもたちのことについて関心が高まり、のちに進学したインドの大学院では、児童養護施設で育ったことが子どもたちの成人後に与える心理的・社会的影響について研究し論文を書いた。

そしてやっぱり幼い頃に家族と離れて施設で育った人たちは、どこかさみしげで孤独感を感じていそうな人が多かった。もちろんあたたかな家族をきずいたりパートナーを得て幸せに生きている人もいたが。

私には彼の心の穴を埋めることはできなかったけど、児童福祉に関わり続けることでこのテーマとはずっと向き合っていきたいと思っている。

日本で児童福祉の職に就きたいので、春から社会福祉士の資格を取るためにまた学校へ行こうと思っている。


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