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【短編小説】いちばん大好きだった

「いまさら無理だよ」

 そう言って、きみは僕から視線をそらした。
 きみに拒絶されたことにショックを受けて、僕は黙り込む。

 小学生の頃から仲がよく、僕たちはいつも一緒に遊んだ。
 きみはとても物知りで、きみが僕に聞かせてくれる物語は、僕をワクワクさせ、ドキドキさせ、せつなくさせ、何度でも聞きたいと思わせた。

 いつも一緒にいた。

 中学生の頃も。高校生の頃も。大学生の頃も。

 けれど、いつのときも僕は、きみと共に歩む道を第二候補として扱っていた。

 ひどい話だ。

 本当は誰よりもきみのことがいちばん好きだったのに。
 自分に自信がなくて、きみに真剣に向き合わなかった。
 きみはいつも僕のそばにいてくれたのに。

 新卒で就職して三年半が経った頃、僕はそれまで三年半つきあってきた子と別れた。ようやくきみとのことを真剣に考えようと思い、自分から別れたんだ。

 それからの僕は、毎日きみのことを考えて過ごした。

 人生は一度きり。
 だったらきみと共に人生を歩めるかどうか試してみたい。
 僕はきみとずっと一緒にいたい。

 その思いだけを胸に、僕はそれまでの人生の中で過去最高と言えるほど本気を出した。
 すると、いつもただ見守っていただけのきみが、段々と自分から僕に近づいてきてくれるようになった。僕は勇気づけられた。

 それが追い風になった。

 そして八ヶ月後、僕はついにきみの手をとることができたんだ。

 あの時のうれしかった気持ちは、いま振り返っても、これまでの人生でいちばんの宝物だ。

 その日から僕は、きみと人生を共に歩き出した。すばらしい毎日だった。

 知らなかった世界の扉がどんどん開かれていく。
 新しい友達がたくさんできた。
 長年あこがれていた雲の上の人達とも話すことができた。

 この時間が永遠に続くことを夢みていた。

 けれど、きみと共に生きるようになってからも自分に自信がないままだった僕は、きみと共に歩むことの厳しさや苦しさを知って、一旦きみから少し離れることを決めた。

 はっきりと別れを告げたわけではない。けれど、徐々にきみとの距離が遠くなる。

 そうしているうちに、僕には他に夢中になれる子ができた。

 その子は僕の時間をすべて奪うくらいに、いつもいつも僕の頭から離れない子だった。気がつくと、僕はきみの姿さえもまったく見ようとしない毎日を過ごしていた。

 そんなふうにきみと離れて九年の月日が経った。

 つきあっていたその子に振り回されクタクタになった僕は、身体をこわし、その子に別れを告げた。
 しばらくはその子に対する未練もあったが、時間が経つと再びきみのことを思い出した。

 勝手な話だと分かってはいたけれど、僕は再びきみと人生を共にできたら、と願った。その日からきみに近づくため、再び必死で努力した。

 けれど、きみはもう振り向いてはくれなかった。

「いまさら無理だよ。ごめんなさい……」

 時代が変わって、いまではスマホアプリの形態になったきみが言った。

「漫画であるわたしを一途に想っていたあの頃のあなたは、もういない。わたしも、もうあの頃のわたしとは違うの」


*****

 僕はとても苦しい気持ちになり目が覚めた。変な夢を見た。

 僕は小学生の頃から漫画家になるのが夢だった。

 漫画はいつも僕のそばにいてくれた。
 中学生の頃も。高校生の頃も。大学生の頃も。

 けれども僕は漫画家になれる確かな実力も自信もなく、漫画家にはなりたかったけれど普通に就職した。

 勤務時間中も漫画のことが頭から離れず、会社でつらいことがあった時は、漫画を描く楽しみを思い浮かべて乗り越えた。漫画はいつだって僕のいちばんの味方だった。

 だから僕は決意した。
 人生は一度きり。
 だったら漫画で食べることができるかどうか一度真剣に試してみよう、と。

 新卒で入社した会社を三年半で辞め、僕は漫画家になるために過去最高といえるほど本気を出した。
 漫画の描き方に関する本には片っ端から目を通し、絵の上手い友達と交流を深めた。好きな漫画家さんの作品を模写してコマ割りやテンポを学んだ。素晴らしいストーリーを作るために、映画を観たり、本を読んだりした。

 すると、投稿した漫画スクールでの成績が徐々に上がっていった。
 最初は小さな賞だった。自分が描いたほんの小さな絵柄と、編集部からの批評が雑誌に掲載された。それがだんだんと一つ上の賞に手が届くようになってきた。そして八ヶ月後、ついに僕は子供の頃から夢みていた漫画家になった。

 あの時のうれしかった気持ちは、いま振り返っても、これまでの人生でいちばんの宝物だ。

 同じ時期にデビューした漫画家さんたちと友達になれた。
 長年あこがれていた大先輩の漫画家さんとも言葉を交わすことができた。

 この時間が永遠に続くことを夢みていた。

 けれど漫画家になってからも僕は、勉強不足や才能のなさに落ち込んで、自分に自信がないままだった。次第に、漫画家だけで食べていくことがとても厳しいと知り、副業としてアルバイトを始めた。

 あたらしく始めたアルバイトは楽しかった。

 もちろん真面目に働いていたが、普通の仕事は出勤するだけでお金がもらえる。漫画は、いくら時間を費やしても本に掲載されなければ一円ももらえない。

 いくつかアルバイトを変え、最後に働いた業界がとても楽しかった。だから、その業界に僕は正社員として中途入社した。

 正社員になると、毎日がその仕事のことだけでいっぱいいっぱいになってしまう。

 僕は徐々に漫画を描くことはおろか、読むことさえもしなくなり、書店ではコミックのコーナーに立ち寄らなくなった。ひたすら新しい仕事に没頭した。

 そして九年が経った頃、僕は体調を崩してその会社を退職した。

 ふさぎ込んでいた僕はネットの世界を泳ぎまわり、久しぶりに漫画を読み漁った。

 すると、ひとつの漫画賞との出会いがあり、再び漫画を描いてみようかと思い立ったのだ。運命かもしれないと感じた。

 九年ぶりに描いた漫画は少しありきたりな物語だったが、自分の中ではそれなりによくできたと思っていた。出版社に送ってみた。

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