管理人&相談員のご紹介
さくらワーカーズオフィスをつくるまで
さくらワーカーズオフィスの代表、管理人、相談員(カウンセラー)の山口哲史と申します。
2021年10月、福岡天神に生きづらさや苦しさの中にある若い方々がゆっくり話したり、過ごしたりする場所をつくりました。
今は、NPO法人さくらピアプレイスになって、代表理事となりました。相談や居場所運営をしていたら、こころ優しい利用者や誰かの役に立ちたい方と出会いました。みんなで一緒に活動することに決めて、2024年3月にNPOを設立しました。ずっとひとりで生きてきたので、「みんな」と出会って、「ひとり」でなくなったのがとてもうれしい。ぼっちが集まって何ができるのか、ワクワクしています。
私は大分県に生まれ、子どもの頃から何だか人と違っていて、自分が変だと思って生きてきました。
学校では人と話すのが嫌で、でも学力はとても高くて先生を困らせました。それなりに友人がいて、よく一緒にあちこちを遊び歩きましたが、両親の実家の山村で木々や草花、昆虫などと戯れることが一番好きな時間でした。
知性や感性は豊かで、考えや思いがたくさん湧きますが、言葉に出さないので、何を考えているのわからない不思議な子に見えていたようです。
父は公務員、親戚の多くが公職や政治家でした。
政治や行政のしくみや仕事を知り、人のために汗を流すことをいとわない生き方を教わりました。
政治や行政に不思議なことや理不尽なことがあるとも学びました。
教員の叔父は「人それぞれの器がある」と言い、自分のことだけ考える人、家族のことを考えられる人、友人や仲間のことを考えられる人、地域のことを考えられる人、国のことを考えられる人、世界のことを考えられる人のどれなのかを考えて生きることが大切だと教えてくれました。
九州大学に入学してすぐ、病気治療中だった母が亡くなりました。
当時の私には、「母」と「死」と結びつけることができませんでした。
次第に大学に通わなくなり、友だちとも付き合わなくなり、次第にひきこもって、新聞、雑誌、小説、専門書など大量の活字に埋もれて過ごしました。
その結果、大学を中退し、物流倉庫のアルバイトをしていた生活協同組合に入職しました。
ずっとひきこもっていたため人と話ができず、仕事では苦労しました。
それでも知能の高さが幸いし、43歳でグループ会社の社長に就きました。
話す練習を重ね、多くの聴衆の前でも講演ができるようになりました。
社員約40人の会社だったため、営業、企画、システム、総務、経理、人事などあらゆる仕事を経験し、税務や会計、法律にも詳しくなりました。
ある時、およそ10名、約4分の1の社員が約2年の間に退職しました。
今で言うパワハラを疑うできごとが社内で起きていました。
パワーハラスメントという言葉はそれほど使われていませんでした。
EAPの精神科医に教えてもらいながら、被害者への対応を行いました。
加害者に気質やパーソナリティの問題があることをこのとき知りました。
50代からカウンセリングや教育学、心理学を学び始めました。
ハラスメントは人間関係の中で起きます。
被害者と加害者の双方に関わりながら、組織風土を変えていきます。
ハラスメントで社員が辞めなくなるまで、長い年月が必要でした。
ときに睡眠導入剤や抗うつ薬を飲みながら働くという経験もしました。
グループ会社を後進に引き継いで、一旦親会社に戻ります。
そこで約2年間、障がい者雇用の会社の運営に関わりました。
当時は、精神障がい者が自分の意志で働き、地域で暮らすことができるようになっていました。
民間事業者の手によって、障害福祉の事業所がたくさん作られていました。
玉石混交、金儲けのために参入する事業者も散見されました。
また、学校でインクルージョン(共生)教育が進んでいる一方で、社会や職場には差別や区別、偏見があることを強く感じました。
57歳で生協での仕事に区切りをつけて、カウンセリングや支援の職業を目指すことにしました。
結果として、公的機関で若年者の就職支援に就きました。
平成生まれで令和の時代を創る世代との関わりが始まりました。
技術や社会、価値観などが大きく、速く変化する流れの中を生きる若者の大変さを目の当たりにします。
新しい教育を受け、21世紀の新しい価値観の中にいる若者と、圧倒的に古い昭和の価値観で動くき続ける企業や社会との大きなギャップが生まれています。
新しい価値観のと古い価値観の狭間で苦しみ、もがき、沈みかける若者たちの姿を目にします。
貧困と孤独の時代と言われています。
若い世代が真っ先にそこに落ち込んでいきます。
みなさんの場所をここにつくりました。
苦しいとき、つらいことがあったとき、ひとりで抱え込まないで勇気を出してご連絡ください。
あなたらしい生き方を必ず見つけることができます。
心よりお待ちしております。
生まれ~学校
〇生まれ
1959年 大分県竹田市生まれ
〇小学校
大分市立金池小学校 入学
中津市立豊田小学校 転校
大分市立滝尾小学校 転校・卒業
〇中学校
大分市立滝尾中学校 卒業
〇高等学校
大分県立上野丘高校 卒業
〇大学
大分大学 経済学部 中退
九州大学 経済学部 中退
放送大学 教養学部 教育と心理 卒業
文化科学研究科 臨床心理学プログラム 修士選科生(2年)
職歴
〇生活協同組合 32年間勤務
配属:営業、管理、人事、事業開発、グループ会社役員など
職務:営業、企画、相談・カウンセリング、採用、教育、障害者支援など
〇公的機関 2017年より勤務中
配属:職業相談(学生窓口)
職務:学生・若年者・就職困難者の就職支援、セミナー講師など
〇起業:2021年10月から *公務と兼業
職種:自営=相談支援・居場所管理人
職務:さくらワーカーズオフィスを福岡天神に開室
〇法人化:2024年3月から
職種:NPO法人さくらピアプレイス代表理事 *公務と兼業
職務:生きづらい、働きづらい、死にたい、孤独・孤立、ひきこもりの若
者の支援
〇公的機関 2024年4月から
配属:障害学生支援(学生窓口)
職務:障害や困難がある学生(既卒3年以内の方含む)の専門支援
できること(資格)
■心理カウンセリング
自分自身の存在を信じ、自分のことを自分で決め、自分で成長する力を誰もが持っています。
今、その力が弱くても、ひとりひとりの持つ生きる力を何より大切にします。
カウンセラーと時間と場所をともにして話すことで、こころが癒えて、自分を見つめ、気づき、前に歩むことができます。
傾聴を基礎とする来談者中心カウンセリング(パーソンセンタード・アプローチ)の技法を基本とし、すべての人を信じて接します。
最後まであきらめないで相談者のペースに合わせて一緒に歩みます。
指示的なカウンセリングや治療を目的としたカウンセリングは行いません。
保有資格
〇 産業カウンセラー (一般社団法人 日本産業カウンセラー協会)
〇 認定心理士 (公益社団法人 日本心理学会)
〇 SNSカウンセラー (一般財団法人 全国SNSカウンセリング協議会)
〇 心理相談員 (特別民間法人 中央労働災害防止協会)
■ファイナンシャル・プランニング
生きていくことは、限られたお金を大切に使っていくことです。
人生には、一人暮らしをするとき、会社を休むとき、会社を辞めるとき、生活費が乏しくなったときなど、お金を考えながら使うときがあります。
安定した生活の維持や生き方に合ったお金との関わり方をサポートします。
社会保険(健康保険・年金)、税金、奨学金、家計の見直し、などを得意とするファイナンシャルプランナーです。
退職や休職、転職の際のやりくりやも一緒に考えます。
お金を儲けること、お金を増やすことのアドバイスは行いません。
保有資格
〇 CERTIFIED FINANCIAL PLANNER® (特定活動非営利法人 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会)
〇 1級ファイナンシャル・プランニング技能士 (国家資格)
■キャリア・コンサルティング
人生を自分らしく豊かに生きるための仕事探しをお手伝いします。
いじめやハラスメントから身を守るための相談や、夢を実現するための仕事探しなど、あなたらしい仕事や職場、生き方を見つけるサポートをします。
転職の方法や適職の探し方、履歴書・職務経歴書の書き方、面接の受け方など、仕事や就職活動の相談ができるキャリア・コンサルタントです。
うつや適応障害の方やいじめやハラスメントでお困りの方には、こころや生活(お金)と一緒に考え、トータルでサポートします。
仕事の紹介はしません。仕事の紹介や斡旋はハローワークなどをご利用ください。
保有資格
〇 キャリア・コンサルタント (国家資格)
おまけ
〇好きな人
カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung 精神科医・心理学者)
心の中を「影」「老賢人」のように人っぽく説明するおもしろさがいい。
〇好きな本
モモ(ミヒャエル・エンデ Michael A H Ende作/ドイツの児童文学)
人の話を聞くのが得意な女の子と個性的な仲間のスリリングな旅のお話。
〇特技・趣味
自転車通勤
ここを開くのを機に30年続けたマラソンをやめて、往復40分をランドナー
(自転車)で通勤。
〇相談スタイル
急がずゆっくり、あなたのペースとタイミングで。
〇これまでの仕事で気づいたこと
「自分の人生、ときに休みながら自分のペースで、好きなように生きる」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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