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「月がきれい」と、伝えてみたいなって。


「月が綺麗ですね」

面白いくらいいろんな文学シーンで見る、
のに、面白いくらい飽きない魅力のあるフレーズ。

かつて、夏目漱石が「I Love You」の和訳としてあてがったと言われている言葉。

このフレーズが元になっているであろう、
「月がきれい」という題名のアニメを先日観た。


内容は、簡潔に言えば中学3年生の恋愛を描いたもの。
主人公は、陸上に打ち込む成績優良な少女、水野茜と
小説の執筆に日々勤しんでいる少年、安曇小太郎の二人。

小太郎は純文学に関心があって、茜に告白をするシーンでも、「月が綺麗ですね」に関する描写が登場する。
また、そんな小太郎に寄せてか、各話のタイトルが日本文学の有名作の題名と同じものになっているのも興味深かった。
要所要所で、「太宰は言った」という切り出しに合わせて太宰治の作中の言葉が引用されるのも独特で面白かった。

このアニメを観終えての感想は「懐かしい」と「苦しい」だった。
あまりに純粋で純朴な中学生の恋愛に、
眩しさと、むせ返るような初々しさと、もどかしさとを感じた。
でもそれと同時に、当時の自分の経験や考えや感情が記憶喚起されて、むず痒いような、喉がきゅっとなるような、心地のよい心地悪さも感じた(※褒めてます)。

LINEするだけで嬉しい、とか
恥ずかしくて付き合っていることを周りの友人に隠す、とか
そのせいで学校ではあんまり恋人と話せない、とか
それゆえにだんだん起こる些細なすれ違い、とか。

(cf. 高校生のとき、当時の恋人との交際を隠していたら、彼が、別のクラスの才色兼備な女の子と「お似合いだよね」と言われていて。それを聞いていたら実際私から見ても二人がお似合いに見えてきてしまって、その状態がしんどくて別れたことがあった……。)

(cf2.中高生の頃、恋人ができた時に周囲に繰り返し「なんで〇〇と付き合ったの?」「見る目ないねー笑笑」と言われ続けたことで、自分としては好きで付き合っていたはずなのにだんだん感情が迷子になり別れてしまったということもあった。未だに人を見る目がないと自己を認識しているおかげで全然次の恋愛に進めない……。)

友達と彼氏、どちらを優先するかでギクシャクしたり、とか
(双方に顔が立たなくなりだんだん虫の居所が悪くなるやつ)

部活を頑張りたい気持ちと恋愛に向く気持ちの両立、とか。
(大会のために練習に励みたい気持ちと恋人をおざなりにしたくない気持ち、時間的にも体力的にも両立できるわけもなく……)

どんな側面を取っても、どんな細かい部分の描写でも、
当時の細かな思い出が蘇ってくることが面白かった。
私が茜だったんじゃないかと思うくらいには思い当たる節だらけだった。
(ただ、茜と小太郎の交際は成功するのに対し、私の交際は現在まで続くような成功例ではなかったので、その点が大きく乖離しているし、私は茜ではないのだと痛感した。早いとこ痛感できてよかった。助かった。)



ここで話を「月が綺麗ですね」というフレーズに少し戻す。

「月が綺麗ですね」にどう返すのが最適解かを、高3の受験期に友達と話したことがあった。
模範解答が「(こんなに綺麗な月をあなたと見れているなら)死んでもいいわ」であることは、私以外の友人には隠した状態で、いわば大喜利のように、みんなで考えていた。
当時は、友人の回答の1つにあった、「あなたと見ているからかもしれないですね」という返しがすごく気に入っていた。

じゃあ、あれから4年が経った今は、どんな返しを考えるだろう。
満月の夜に、空を見上げながらふと考えてみる。

きっと明日の太陽も綺麗だろうね」なんて返したらオシャレかもしれない。
いや、むしろ「私も同じことを思ってた」なんて、シンプルに返すのが案外一番刺さるかもしれない。

こんなことを、使う場面も気にせずに一人で妄想に耽るのが楽しい。
高校時代に、暗い夜道を、友達同士笑い合いながら帰ったあの日を思い出しながら。ノスタルジーに浸りながら飲むお酒が美味しい年になってしまったなぁ、なんてね。

グラスを傾けながら少しスマホを触ると、月以外にもスラング的にいろいろな言い回しが存在することがわかった。

夕日が綺麗ですね」は、「あなたの気持ちが知りたい
雨が止みませんね」は、「もう少し傍にいたい
星が綺麗ですね」は、「あなたに憧れています」や「あなたは私の気持ちに気づいていないでしょうね」 などなど。

こんなのを知っている人はおそらく相当なポエトか、ロマンチストか、私のように興味本位でネット検索をした者くらいだろう。
でも、だからこそ、相手がその言葉の意味を知らなかったとしても、それとなく使ってみたいな、と思ったりした。
相手に気づかれても、気づかれなかったとしても、おしゃれだし面白い言葉。
誰が考えたのかもわからないし、その根拠もわからないけど、なんとなく惹かれてしまう。そんな言葉。

こういった言葉に同じように惹かれる人と、一緒に空を見上げて、一緒に笑いながらお酒を飲む。そんな日々を欲しているのかもしれない。

最近、ちょっと対人関係(異性関係)で色々あったことで、自分の恋愛観?対人観?を考え直したほうがいいのかも、と自己分析&内省をしたことがあった。

恋愛から遠のいてしまっていることで、理想ばかりが高くなっているのかもしれない、と反省をした上で、自分にとって人付き合いをする上で譲れない部分はどこなのか、考えた。

食の好み、お金の使い方、互いの趣味への干渉度合い、連絡頻度、スキンシップの程度…などなど。細かいことは挙げたらキリがない。

でも結局は、お互いを信頼しているか、尊敬できるか、が一番大事だし大事にしたい部分かも、という結論に行き着いた。

そのために、なるべく嘘をつかないで、偽らないで、自然体の、見たまんまの関係性を築いていくことがいい人付き合いに繋がっていくんじゃないかなと思うし、今まではそうやって人に恵まれてきたようにも思った。

正直、相手への信頼があれば多少の価値観のズレもなんとかできるだろうし、
相手への尊敬があれば相手がする選択を肯定していけるように思う。

会話を重ねて、言葉を重ねていけば、仮に納得はできなくとも理解くらいはできるようになるんじゃないかなと思う。
嘘のない言葉で、態度で、自分の感情を封じ込めないで人と関わっていけば、自分も、相手も、自分や相手に関わる周囲の人も苦しい思いをせずにやっていけるんじゃないかなと思う。

もちろん、全ての場面でそれがうまくいくとは言い切れないし思えないけれど。

でもこれが理想論で叶わぬ願いだと言われてしまうなら、結婚や恋愛をしなくても幸せになれる令和のこの時代、無理に相手を探して関係性を構築する必要はないのだろうとすら思ってしまう。



傲慢で、厄介で、理想ばっかり高くなってしまって、
少し嫌にもなるけれど。

夕日や、雨や、星や月に想いを馳せて、
心から、言葉に思いを乗せて、胸を高鳴らせる。

中高生の頃のように、些細なことにときめいて、胸がざわざわして、
自分の心に振り回される。

そんな日が、私にも訪れますように。


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