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好きだったという記憶。

こんばんは。今日も一日お疲れ様です。

さて、今夜は、確かに好きだったのにもう好きではないこの気持ちの整理をさせてください。

私は私自身のことを自分でもよくわからないと思うことが結構ある。例えば、緊張しいだと思ったら、本番は堂々とできるところ。あとは、いろんな人に自分から話しかけることができる積極的な日となんだか冴えないコミュニケーションしか取れない日があること。それから、この女優さんすごく憧れるんだよなと思ってたら、1ヶ月後には全然興味がなくなってしまっているところ。

そして、すごく好きだった人なのに好きが徐々になくなり、確かに好きだったという記憶だけが残ってしまうところ。

中学生の時も高校生の時も、大学生の今でも好きな人はできたけれど、それはずっと続いていくものではなくて、私の彼らに対する熱は静かに、そして確実に冷めていった。

これは、彼のこんな部分が見えて嫌いになったとか、こんなふうだと思っていなかったとか、そのような理由ではないと思っている。自分の理想と現実のギャップで冷めたということでは決してない。

なぜあんなにも好きだったのに冷めてしまうのか。できれば自分を冷めさせたくはないのだけれど。


理由1
知った気になっている。

私はおそらく飽き性である。行ったことのある場所に何回も足を運ぶよりも、断然行ったことのない場所に行く方がワクワクするし、楽しい。
その人のことを短期間で知った気になってしまうのはそれが原因かもしれない。他人を完全に理解することなんてできないとわかっているのに。

理由2
恋愛に安心を求めていない

私にとって安心できる場所は自分のアパートであり、一人の時間である。恋愛には安心よりも刺激があるくらいの方が理想なのかもしれない。

なるほどね。そうだったのか自分。笑

好きだったという微熱だけは確かに自分の中に存在してる。いつかその微熱だけでも人を愛せる人になってみたいな。


こんな雑なメモを最後まで読んでくださった方がいらしたら感謝を申し上げます。ありがとうございました。

それでは良い夜を。
おやすみなさい。



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