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実は私はお笑い系CAでした・・・

ありがたいことに昨日から明日にかけて三日間、私の本を編集した記事がプレジデントオンラインに掲載されています。

本当にありがたいことです。
本は大和出版の優秀な編集者の礒田さんが編集してくださり
大和出版の編集部の皆さまでタイトルを考えてくださいました。

私はJALトップCAではありません!
謙遜ではなく、口が裂けてもそんなこと言えません。
なぜなら、私はお笑い系CAだからです。

この本を手にした私を知っている先輩や同僚、後輩は
「え?トップCA?桜井さんて、
あのユニークで面白いぶっ飛んだことするあの桜井さん?」

そう首をかしげている姿が
まさにリアルに想像できます。

昨日も期が近い先輩とチャットして
「妙ちゃ~ん。何度見ても本のタイトル笑っちゃうよ~。
妙ちゃんや私って、どう考えてもお笑い系では?
私たち、面白いことばっかやってて
とても世の中のイメージのスマートなCAとは違うよね、あはは」

はい、その通りでございます。

「Tさん、その通りなんですが、
あのタイトルは私も穴があったら入りたいです。
でも、あの当時のJALのCAって変わっていた人ばっかりでしたね。
たぶん会社にはお笑い系枠と奇人変人枠があったんですよ。
そうじゃなきゃ、私合格する筈ないですね!
きゃははは」

最近外資系の元CAのお笑い芸人の方が活躍されています。
Youtubeで英語の講座やっているので私も視聴していますが
この方には、私はすごくシンパシー感じます。

そして、うん十年前のJALのCAは
自由で面白くユニークな人ばかりでした。

私はテレビ番組でかっこいいCA像を期待して入社。
現実はかっこいい先輩もたくさんいらしたのですが
その方達の多くはなんか変わっていて
とにかく仕事中も仕事がオフのときも
変わったCAや面白いCREWの話で盛り上がりました。

JALではANAやJASのCAは
皆すごい!と思っていたのです。

ANAやJASの友人や知人は
飛び始めても厳しく指導されていました。
千歳のホテルで他社で働いてる高校時代の同級生のCA
と同じ日に宿泊したときに
情報交換をしました。

飛び始めても厳しく指導されている話を聴き
本当に驚いたことがあります。

浦安に住んでいたとき
隣の部屋の方はなんとANAのチーフでした。
まさに絵に描いたようにスキのないCAという印象で
他社のチーフなのですが、なんかオーラで圧倒されてしまい
玄関で会うとき凄まじく緊張しました。

たぶん
私はANAやJAS受験していたら
絶対に不合格だったと思います。

JALのCAは自由でした。

何をやってもいいというわけではありませんが
地上研修という制度のおかげで
入社しても他の部署との接点が多く
幅広く航空業界のことを学べました。

お作法やマナーやしつけが厳しい
といったことは殆どありません。
マナーは一度も習ったことはありません。

CA時代を思い出すと頭に浮かぶのは
いつも仲間と冗談言って笑っていたことだけです。

フライト後にパイロットと一緒に食事に行ったときも
他の変なCREWの話題でよく笑いました。

機内でもお客様と冗談を言ってよく笑いました。

今は規定が変わってしまい、空港も機内も厳しく管理されていますが
当時はこんなこともできました。


他のお二人の許可を得てないので
怒られたら削除しますが、もう全員退職して何年もたっているし
許してくれると思います。

右のショートカットが私ですが
見た目はどこにでもいる普通の子。
仕事中だから笑顔だというだけです。

私は
昔から変わっていたことは自覚しています。

小学生のとき、テストで悩んだら答えの欄に
「AかBです。」と二つ答えを書いていて
先生はそのどちらかが合っていたら〇をくれていました。

田舎の一クラスしかない小学校だったので
先生はおおらかだったのかもしれません。

答えは一つしか書いてはいけない
ということを知ったのは中学校1年生のときです。

中学は色々な小学校から合流していたので
いきなりクラスは7クラスになり

その時に先生から
「桜井、お前はなんで二つ答えを書くのだ?」と指摘され
「げっ」と答えに詰まりました。

中1でテストには答えを一つしか書いていけないことを
知りましたなんて、アホみたいです。

この記述を読むと
私だけが変人みたいに聞こえますが

フライト後に皆で食事をしたときに
賢そうな後輩が
「私、子どもの頃親と喧嘩ばっかしていたんです。
ある日親が切れて『お前は出ていけ!』っていうから
本当に荷物をまとめて家を出ていこうとしたら
親が『ばか!何も持っていくな!』と叱られて
悔しく感じたので洋服全部脱いで
素っ裸になって走って家を出ました。」

皆で「え~~~!素っ裸?」と絶句。


「大丈夫ですよ。
小学校4年生のときですから平気です。
そうしたら外は冬だからすごく寒くて
速攻家に帰って
『ごめんなさい』と泣きながら謝りました」

何が大丈夫で、どう平気なのか分かりませんが
すごい度胸です。

私も小1のとき、
母に叱られて折り紙だけ持って
とぼとぼと家出したので共感しました。

なんて、話を平気で
先輩達とカミングアウトしながら食事をするのです。

そうやって日々のストレスを発散しながら
そしてコミュニケーションを深めていました。

そして会社に行くのがすごく楽しかったです。

タイトルの写真は
私が企画したハンドベル演奏です。

大阪国際空港で自分達のフライトの前に
搭乗口で演奏しました。

その2年前に羽田空港で同じように
自分達のフライトで演奏したのが最初です。

なんか
かっこよく聞こえるかもしれませんが

本当は欽ちゃんの仮装大賞に皆で出て
笑いをとりたかったのです。

仮装大賞は皆で真剣に考えて準備していました。
しかし、応募者が多いことを知り断念。
知り合いのご主人様がテレビ局に勤務していたので
こっそり聞いてみたら、コネなど通用しませんと
断られて玉砕しました。

とにかく楽しいことばかりやっていました。
当時のCAはスチュワーデスと呼ばれていましたが
JALは世界の美女シリーズのカレンダーが人気で
JALスチュワーデスカレンダーも販売しはじめました。

でも
会社のカレンダーに選ばれるのは
若くて本当の美人の子ばかり。

選ばれない私たちは拗ねる代わりに
では自分達だけが楽しめる
お笑いCAカレンダーを作成することにしました。

若くて美人をちやほやする世の中への
私たちの隠れリベンジです。

12カ月テーマを決めて
見て笑える本格的な内容のカレンダーです。

グループの仲間で写真を撮り
一部3000円で仲間に販売しました。

この企画はグループの男性チーフがカメラが趣味だったこと
そしてその上の男性マネージャーも参加して
会社のモックアップを借りて撮影しました。

会社もよくOK出したと思います。

そういうアホ乗りが大好きで
笑いのためなら何でもやるという雰囲気が
当時のJALにはありました。

そこで味をしめて
私は「日航不経済新聞」という嘘の新聞も作りました。

パソコンがない時代でしたから、手書きでイラストと
ウソの記事を書いて仲間でげらげら笑って楽しんでいたら
その新聞は本部長にも読まれていることが分かりました。

それがクビになるどころか
一度も叱られたことはなく
本部長も笑って読んでいると上司が教えてくれました。

ほんとうに何やるか分からない私たちを
野放しで許してくれる懐の深さがありました。

講師になってから
ワークエンゲイジメントという言葉を知りました。

楽しいから仕事をする
リスクなんか考えないで企画して行動する。

会社をあてにしない自分のお金と時間を使い
会社の雰囲気が楽しくなることを
まさに当時実行していました。

仕事中はキリリと仕事をしていましたが
心の中は遊び心でいっぱいで
よく働きよく笑い
そしてすっごくよく食べて
ストレスのバランスを取っていたんだと思います。

私は接客力の本よりも
楽しい職場の作り方の本のほうが
もっともっと面白いこと書けます。

しかし
JALは破綻後大きく変わりました。

国民の皆さまから助けて頂いた会社ですから
その当時の社員たちは、必死に会社を復活させようとしていて
真面目に取り組んできて接客も本当に素晴らしいです。

今はたぶん
お笑い採用枠や奇人変人枠なんかないしょでしょう。

頑張っている現在の後輩たちの足はひっぱるようなことは
書いてはいけませんが、noteだけで
こっそりカミングアウトです。

今のJALCAの皆さんはすごいです。

でも
どこかに私たちのDNAがこっそり残っているかも
と期待しながら一人の旅客としてJALに乗っています。
今は
JALに乗るのを楽しみに今絶賛マイル修行中です。

そんなここだけの裏話を知りつつ
私の本を読んでくださると方が一人でも増えたら
大和出版の編集部の方に恩返しできます。

本を読んでくださると
文中にところどころ面白い表現や言葉の使いまわしをしているのも
納得されると思います。

さて、これからポッドキャスト
イエスユーキュン♪録音と2週間後に迫った
新入職員研修のテキストを真面目に作ります!

今はフランスと日本を拠点にして
色々なことにチャレンジ中。

あきらめない
くじけない
がんばらないをモットーに

明るく楽しく失敗しながら頑張ってます。



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