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平凡な会社員がパーソナルカラーで独立開業した話

最近、DMやメールで
「どうやってサロンを開業しましたか?」
「パーソナルカラーやイメコンを仕事にするにはどうすればいいですか?」
「美容学校を出ていなくてもできますか?」

などのご質問を頂く事が多くあります。

私は元々平凡な会社員でした。
今時珍しい話でもありませんが、仕事で心が折れてしまい退職。
その後再就職…ではなくパーソナルカラーサロンを開きます。
これだけだと何が何だか、だと思います。

長い話にはなりますが、
平凡な会社員がなぜ突然起業したのか?
なぜパーソナルカラーだったのか?
なぜサロンを持てたのか?
なぜ集客できたのか?
詳しい経緯をお話ししていきます。

このnoteは
・パーソナルカラーやイメコンを仕事にしたいけど何をすればいいのか分からない人
・集客出来るか不安な人
・家族に反対されている人
・一歩を踏み出せない人
・進路や就職に迷っている人
・単純に興味がある人

に読んでいただければと思います。

※この通りにやれば良い!という訳ではなく、あくまで私の場合の一例としてお読み下さい。


【1.“普通”への挫折】


私はずっと所謂『普通』の人生を歩んできました。
中堅と言われる高校に行き、みんながやってるから何となく部活もしておいて、
大学は潰しが効きそうなイメージの経済学部に。サークルやアルバイトもそれなりに楽しみました。
就活時期になっても特にやりたい事などなく、企業選びは完全に『条件』のみ。『好き』と『仕事は』別物だと考え、これまた中堅と言われるような企業に就職しました。

本題と関係がないので詳細は省きますが、就職してから2年半が経つ頃、社内の人間関係に悩み鬱病になってしまいます。
それまでずっと明るい、元気、能天気と言われ続けてきた私は「自分はそういう事とは無縁だ。」という謎の自信があったので、かなりの衝撃でした。
そんな事になる前に辞めれば良いのに、と思う方も勿論いると思います。この頃の私は、『普通』だと思ってきた人生から外れる事を強く恐れていて、その気持ちに支配されていました。
「新卒で就職したなら◯年は続けないと次の転職先なんてない」など誰が言い出したかも分からないような事を鵜呑みにして必死にしがみついていたのです。
その結果、心身共に壊れてしまい回復には大きな時間を要する事になります。


【2.パーソナルカラーとの出会い】


会社に行けなくなって数ヶ月、ほとんど外出もせず接するのは家族のみの状況が続いていました。
そんな時、私の人生を変えたのがベッドの中で何となく開いたツイッターです。
偶然、RTか何かでパーソナルカラー診断のレポートが目に入りました。
ちょうど半年先には前々から予定していた結婚式も控えており、担当の医師からも少しずつ外出を増やしていくようにも言われていた所でした。
思い切って母と一緒に診断を受けてみる事に。

結果、自分の予想とは全く違う色が似合うという事が分かります。
勧めてもらったコスメを使ってみると、長らくまともに化粧もしていなかった顔が心なしか華やかになり、自分が生まれ変わったみたいで少し気持ちが軽くなりました。
何よりも久しぶりに興味を持てるものができた事が本当に嬉しくて、同じ気持ちを誰かと共有したくて、ツイッターでパーソナルカラーやコスメ専用のアカウントを作ります。
名前は『さくら』
これが今の『佐倉かりん』の始まりです。画像1

こういった経緯なので、最初は全くもってパーソナルカラーを仕事にする気はありませんでした。
ただ1人の消費者として純粋に似合うコスメや美容の情報を交換するのが楽しくて、色々な人との交流しているとそれが良いリハビリになっていました。
このアカウントが、後の開業への大きな鍵になります。

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