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けむさんの棺桶に入れたいお話

その昔、僕は自分から棺桶に入ろうとしたことがある。

でも、そこに持っていく話はなく、暗くて重くて、どす黒いものがグルグルしたような嫌な想いしかなかった。

聖徳太子になりそこねた


聖徳太子は諸説によるが、8人、10人、36人の話を聞き分け、それぞれの話に的確に応じたという。

実は僕にも、その力がある。

耳から入る音が、全て平等に、情報として入る。

目から入る物も、全て平等に、情報として入る。

ただし、私の場合、この力を使いこなせないところに問題がある。

小学校の授業では、友達のしゃべり声、窓から入る外の音、先生の声、鉛筆を落とす音、椅子をガタガタする音、チョークの音、

耳に入る音、全てが平等に脳に入ってくる。

目から入る情報は、それ以上に多い。

窓からの景色、壁の掲示物、友達の消しゴムの柄、ポケモンのTシャツ、落ちた鉛筆、靴下のマーク、先生の服、黒板、机からはみ出ている下敷き、けがをした友達の腕の絆創膏

脳みそを何10個にも分けて、それぞれの音や形に対して対応を決めればよいのだが、僕の場合、脳みそを分割することはできなかった。

結果、

非常に混乱する。

人は、耳に入る音にフィルターをかけて、自分の聞きたい音のみにフォーカスする。自分の聞きたい音以外は雑音として処理し、聞きたい音に集中することができる。小学校の授業で言えば、先生の声以外は気にしないように無視して、先生の声のみを拾って授業を受ける。

目に見えるものに対しても、見たいものだけに注意を向けて、それ以外を背景として処理することができる。

選択的注意、カクテルパーティー、専門用語ではそう呼ばれる。

僕の場合、フィルターがないから、全ての音と形が主張をしてくる。いろんな音と形に反応して、脳みそがあっちこっちを行ったり来たりしている。先生の話す声や黒板の文字は、友達の声や、キャラクターの絵柄の間を縫って途切れ途切れに入ってくる。


ボーっとしている、

落ち着きがない、

と言われた。勉強もできない。


忘れ物も得意分野の一つだ。

忘れ物ばかりする人に対して、軽く「メモ取れば良いじゃん」って言う人に言いたい。本当に、度を越えた忘れっぽい僕が、それで対処できるのか。

メモを一個書き飛ばしたら、どうすれば良いのですか?

持ち物を書いたメモを学校に忘れたらどうすれば良いのですか?

帰宅して、メモを見ることを忘れたら?

用意したものを、ランドセルに入れるのを忘れたら?

せっかく持って行ったのに、ランドセルに入れたことを、忘れたら?

メモ取るだけで対処できるなら、どんなに楽か。


筆箱を忘れて、友達に借りることは、何度もあった。

その度に、先生や友達の「また忘れ物か」という視線が痛い。つらい。


油性のペンで、腕にメモするのがなんだかんだ一番、忘れない確率が高い。メモするのを忘れたら、それでお終いだけれど。


机の中が、汚い、とも言われた。

授業で配られたプリント、親に見てもらう学校からのプリントがぐちゃぐちゃになって机の奥の方に押し込められている。

授業が終わって、プリントをしまおうとするときに、友達に声をかけられると、友達のところへ行ってしまい、プリントが机の上に置き去りになる。

次の授業直前に、置き去りになったプリントの存在に気が付き、暫定的に机の中に入れる。

暫定的に机の中に入るプリントは、日に日に増えて行き、そのまま、少しずつ、机の奥にもぐっていき、数か月後に束になって発見されて、ゴミ箱に入る。

僕の周りは色んなものがごちゃごちゃしているから、必要なものがどこかに紛れてしまう。

なくしものも多かった。


ときどき、誤解も受ける。

例えば調理実習で、友達に

「この揚げ物、見てて」と言われたから、

揚げ物をずっと見ていたのに

「なんで、黒焦げになるまで見てるんだよ!」と後で怒られる。

「揚げ物が、きつね色になったらバットに移して」って言えば、何をすれば良いかがわかるのに。「見る」は「見る」でしょ。


ボーっとしていて、落ち着きもなくて、忘れ物も多くて、机の中がきたなくて、話の通じない子どもだった。


友達と遊ぶよりも一人でいる方が落ち着いた。

小学校で心が安らぐ場所は、ウサギやヤギが住む飼育小屋だった。3年生になると僕は飼育係になって、昼休みには動物たちにエサをまいた。

動物たちを見ているのが好きだった。

中学校では、静かな図書館が好きで、休み時間には図書館で本を読んだ。ファンタジー系の本をたくさん、ナルニア国物語、ハリーポッター、ドラゴンライダーシリーズ等々。授業中も読んでいた。僕の読んだ本を重ねたら、天井よりも高く積み重なると思う。司書の先生は女の先生で、僕に優しく話しかけてくれた。僕が唯一、一緒にいて気持ちが休まる先生だった。

小学校の頃の出来事も、中学校の頃の出来事も、もわっとしていて、覚えていることは少ない。

いじめられていた気がする。

全くもって楽しくなかった、という漠然とした嫌な記憶だけが残っている。


僕なりに一生懸命やっているのに、どうしても、うまくいかない。先生からも友達からも疎まれる。

人と比べると、できない自分が小さいときからずっと、ずっと、ずっと続いている。

このまま、ずっと、ずっと、続くのかな?

カチ、カチ、カチ、と聞こえないくらいの音で、

この頃から自殺へのカウントダウンは始まっていたのかもしれない。


高校は中学校の同級生が行かない、県外の実業系の高校に進み、ふわーっと思って調理師の専門学校へ見学に行き、面白そうだな、と思って調理師の専門学校へ進学した。


カウント0


専門学校を卒業した僕は、都内のレストランに就職した。一人暮らしも始めた。

一人暮らし、就職、新しい人間関係。

初めてのことが、たくさん。

しかも、一人で対処しなくてはいけない。

飲食業界の世界は荒い。使う言葉も、働く人の心も荒い。

人と比べてできない僕は、荒い言葉を浴びながら、必死に働いた。

ガチャガチャ、いろいろな音がある中、新しい指示が入る。目の前の仕事もしなけらばならないが、そっちを優先させなければならない。っていう間に別の指示が入って、今している作業を離れて別の指示に従うと、最初の仕事が終わってなくて、怒られて、あやまって、次の仕事も終わってなくて怒られて、あやまって、最終的に「お前、なんにもできねぇな」と言われる。

こんな毎日を3ケ月間繰り返し、ある日

僕はたくさんの睡眠薬を飲んだ。

眠るように死ねるかと思ったけど、

死ねなくて、

アパートの玄関を出たところで僕は倒れたらしい。それ以降の記憶は、あまり思い出せない。


自殺未遂をして、生まれ変わったら、新しい人生が始まるのか?


始まらない。

実家に戻って、精神科に通院して、2、3年アルバイトをした。

そろそろ仕事を変えたいなと思っていた頃、専門学校の友達が新しい仕事を紹介してくれた。調理スタッフの仕事だ。

新しいお店では、土壇場で配置が換わり、調理スタッフのはずがホールのスタッフとして働くことになった。

ここでも、うまくいかない。

テーブルの片付けは、大皿の上にある食べ残しを捨てることから始まる。

次に皿を洗い場へ持っていき

グラスに入っている飲み残しのお酒を捨てて、洗い場へ持っていき

割りばしなどのごみを捨てて

テーブルを拭けば終わりなのだが、

僕が片付けると

グラスが残っていたり、

ごみが残っていたりする。

きちんと片付けたつもりが、見直すと、片付け損ねたものがテーブルに残っている。

それが1日に3、4回はある。

皆が当たり前にできることが、僕にはできない。


きついな。

できないながらもがんばって仕事を続けていたが、

とうとうある日、ホールで立っていられないくらい気持ち悪くなって、お腹が痛くなった。

頭痛もしてきた。

早退して、総合病院の内科を受診した。

自分を知って自分になる


内科では、いかつい感じの先生が問診してくれた。

検査の結果、僕の体にはどこにも異常がなかったが、次の週も通院することになる。

次の月曜日の待合室は、診察を待つ人が数人。NHKの番組が音もなく、害もなく流されている。

水色のソファに座って僕は本を読みながら、自分の番号が表示されるのを待っていた。

ようやく僕の番号が表示されたころには、本はだいぶ、読み進めてしまった。

診察室に入り、丸椅子に座る。

前回と同じ先生が、目の前でパソコンのマウスをカチカチとクリックしていた。がっしりとして、眼鏡ごしでも、威圧感のある目をギラリと光らせて、私を見た。

「じゃぁ、まず話しますけど、あなたは発達障害です」

「え?」

虚を突かれて、頭の中に空白ができた。

「あなた、発達障害の特徴が濃厚に出ているよ」

人と目を合わすのが苦手

3人以上になると会話ができない

気が散りやすい

片付けられない

物事を順序だてて考えるのが苦手

忘れやすい

先生が挙げてくれた発達障害の特徴は、全て僕に当てはまっていた。


死んでしまいたいくらい、生きずらかった。


その原因がやっとわかった。


安心した。


障害者手帳をもらうための診断を受けることになり、別の病院を紹介してもらって、診察室をでた。

会計を済ませ、自転車をこいで家に帰る。

ゆっくりとペダルを踏みながら、空を見た。

薄い雲がかかっていて、

空は

いつも見ている空よりも、くっきりと青く見えた。

やわらかい風を顔に受けて、

僕は、この日、本当の自分を知って、本当の自分になった。


発達障害、という診断を受けた日を境に

モヤモヤしていた自分の人生は、

少しずつ、形ができてきて

色も鮮やかになってきた。

今は、手帳を取得して、障がい者として雇用され、嘱託社員として働いている。なかぽつ、と呼ばれる障害者就業・生活支援センターの支援員さんが仕事のこと、生活のことをサポートしてくれている。

自分のできること、できないことを支援員さんも理解してくれているから、僕に合った仕事を紹介してくれた。

発達障害という個性は

制御しきれない才能でもある。

その個性をつぶす環境におかれると、何もできない人間になる。

例えば今まで働いていた飲食店がそうだ。

しかし、その個性がバチっとはまると、ものすごい力を発揮する。

1つ、僕の得意なことがある。

興味のあるもの、好きなものに関しては、とことんまで追求することができるのだ。

中学校時代の読書のように、

今は、薬草、ハーブにはまっている。ハーブに関しては、莫大な知識を持っている。

料理の知識を活かしたハーブ料理のレシピや、専門家しか興味を示さないような、ニッチな内容の記事をブログにあげている。

香りに関しても感覚が、鋭敏(悪く言えば過敏)なのでハーブの香りと相性が良い。

レモングラスが好きだ。さわやかな香りで、虫よけにもなる。

料理やお茶にしても、どんなハーブとも合わせやすく、単品でも美味しい。

頭がごちゃごちゃした時に、ハーブの香りをすーっとかぐと、ほんの少し脳の中の雑音が消えてシンと落ち着く。


今、目指しているのは園芸療法士だ。植物の力を借りて、人々の不調を改善する仕事だ。淡路島に専門の園芸学校がある。その学校に入学したいと考えている。

自分の好きな植物を通して、自分のように苦しい思いをしている人が楽になる手助けができれば、と思っている。


僕は、発達障害という診断を受けたことで

自分を責めなくなった。

もう、人と自分を比べない。

できなくても良い。

できない自分を受け入れて、自分らしく生きることを

自分で自分に許可した。


そしたら、すごく楽になった。

いろいろな人が、僕を応援してくれるようになった。


まだまだ自分を好きにはなれないけれど、

今の状態が、自分の人生で一番良いと思っている。



この物語を読んでくれる読者の方に伝えたい。

僕は一度、自分から棺桶に入ろうとした。

それは、障害のせいもあるかもしれないけれど

根源的な原因は

自分を大切にしなかったからだ。


自分の心や気持ちを大切にせずに

周りの人の言うことばかり聞いていた。


周りの言葉に翻弄されて、自分を責め続けた。


自分が一番、自分の味方にならなくてはならないのに、

周りの人と一緒になって、自分で自分をいじめてしまった。


自分を大切にしてほしい。

自分を大切に、

自分を大切にしてほしい。


以上、けむさんの棺桶に入れたいお話でした。

けむさん、ありがとうございました。

けむさんのTwitter

けむさんのブログ


あとがき


圧巻、というのか、「へぇ」って思ったのが

最後のけむさんのメッセージです。

私はけむさんに、読者に伝えたいメッセージは何かを聞きました。

そのとき、心の中で想像していた答えは、

「発達障害や、ADHD、自閉症、ASD、HSPといった特性を理解してほしい」というメッセージでした。

だって、Eテレで放送される番組の当事者は、そんなことを発言しているし、

社会ではまだまだ、特性の理解はもちろん、接し方、言葉のかけ方、環境への配慮が足りていない。

でも、けむさんのメッセージは

「自分を大切にしてほしい」だった

正確には「自分に正直に」とけむさんは伝えてくれたけど、真意を掘り下げると「自分を大切にする」という表現の方が、けむさんの気持ちにより近いかな、と思って「自分を大切にする」と表現しました。

けむさんのメッセージを最後に添えただけで、

この物語は、よくある当事者の経験談ではなくて

けむさんの物語になった。


そして、言葉では表現できないのですが、ただ胸が震えます。


けむさんが自分を責めたのは、けむさんのせいじゃない。

遠い昔の私の無理解が回り回って、私がけむさんを傷つけた。

でも、今は全てを含めて愛で包まなくちゃ。

それしかできないでしょ?


今回は大きなアウトラインはけむさんの話ですが、肉付けは私がこんな感じかな?と思って書きました。

下書きをけむさんに読んでいただいたら、まさかの一発OKでした。

そんなところも、けむさんらしくて面白いです。


それでは、最後まで読んでいただき、

そして

いつもリツイートして、記事を広げてくださり

ありがとうございます。

また、初めて私の記事を読んでくださった方、ありがとうございます。

私は、100人の方からお話を聞いて物語を書くことに挑戦しています。今のところ、20代から60代までの10人のお話を書きました。会社員からトレーダーまで様々な職業の、介護やいじめ、恋愛、家族などいろいろな人生の物語です。

良かったら、読んでいただけると嬉しいです。

誰かの物語は、誰かの心を照らすし、あなたの物語も誰かの心を照らします。

不定期ではありますが、Twitterで主人公の募集を流しているので、私のTwitterをフォローしていただけると、私があなたの物語を書けるかもしれません。

それでは、

みんなが主人公であることを思い出して、自分だけの素敵な物語を紡ぎますように。



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