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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第八話 それがわたしの闇

それがわたしの闇 

その事件が起こった時、秀吉は備中高松で毛利と戦っておりました。
そこで信長様が明智光秀に本能寺で討たれたことを知ったのです。
秀吉はすぐさま毛利と和睦を結び兵を引き連れ、瞬く間に京に戻ってまいりました。
その速さはすざましく、後にそれは「中国大返し」と呼ばれるようになりました。
京に戻る秀吉の胸の内は、十七才から仕え父のごとく慕っていた信長様を失った悲しみと、明智に対する怒り、そして信長様亡き後の天下統一を成し遂げるためどう動くか、という思惑で渦巻いておりました。

わずか十日間の大強行軍で京に戻ってきた秀吉は、山崎で明智と戦いました。
明智にしたら、備中高松で毛利と戦っていた秀吉がわずか十日で京に戻るなど予想もしておりませんでした。
信長様の有力家臣達はみな秀吉の味方をしたのです。そこで明智と秀吉に圧倒的な兵力の差が生まれました。
明智は援軍もなく十分な準備が出来ないまま、秀吉と闘う羽目になりました。こうして秀吉は明智を破り、見事弔い合戦を果たしたのです。

この時、秀吉は目の前にハッキリと具体的な「天下統一」というゴールを見ました。
これまでそのゴールは、ぼんやりとした夢でした。
けれど天下統一まであと一歩に迫った主君信長様を討った明智を成敗したことで、秀吉の野心が激しく燃え上がりました。
明智を討った後、意気揚々と秀吉は城に戻ってきました。

「寧々、わしは信長様の仇を討ったぞ!!」

そんな彼をわたしは笑顔で迎えました。

ところが秀吉はそう言い終わると、いきなりわたしに抱きつき子供のようにワンワン泣き始めたのです。

「もう信長様は、おらん!
どこにもおらんのじゃ!!
わしがいくら頑張っても、もうほめてもらえんのじゃ!
わしの前にはもう二度と、信長様のような方は現れぬ!!」

髪を振り乱し、涙も鼻水も盛大にもらしながら、秀吉は大声で泣き叫びました。そんな秀吉を抱きしめながら、わたしもこれまでこらえていた涙が堰を切ったようにあふれ出しました。
わたしも信長様を失った悲しみで、ポッカリ心に大きな穴が空いておりました。そして秀吉と抱き合い、さめざめと泣きました。
とにかく寂しかったのです。
悲しかったのです。
信長様はわたしが多くを語らずとも、わたしの気持ちを理解して下さった数少ないお方で、わたしの理解者でした。
そのような方を失い、わたしも道に迷った子どもような寄るすべもない、心もとない思いでした。

わたしが自分の悲しみに浸っていたその時、秀吉はガバリ、と顔を上げました。その顔には涙のあとが残っていました。

「なぁ、寧々、これはチャンスぞ。
わしが信長様の後を継ぎ、天下を取る唯一無二のチャンスがやってきたぞ。
二十七日に信長様の跡継ぎを決める会議が、清州で開かれる。
わしはそこで秘策を思いついたぞ。
爆弾を仕掛け、他のものに先んじるぞ。
見とけよ、寧々。
あと少ししたら、その爆弾をお前に預けるからな、頼むぞ」

今まで派手に泣き叫んでいた顔はどこへやら、いつの間にか秀吉はニヤリとした笑みを浮かべていました。その目は冷たく、残忍な影がありました。
わたしはゾォッ、と背中が震えました。
ついさっきまで、わたしの膝で泣いていた彼とはまるで別人です。
「お前様、爆弾とは?」

「信長様の長男、信忠様の長男の三法師様じゃ。
信長様のお孫で、正当な血筋を引き継いだ立派な跡継ぎじゃ」
「でも、三法師様はまだ小さいのでは?」

「三歳じゃ」

「なんと!三歳のお子を信長様の跡継ぎになど無茶です!!」

「無茶だからこそ、わしが後見人につくのよ。
柴田様は、信長様の他のお子たちを後釜候補に持ってくるだろうが、そうはさせぬ。
正式な血筋は、三法師様じゃ。
そして、三法師様をわしが支えるのじゃ」

そう言うと、秀吉は不敵な笑みを浮かべました。
秀吉の闇の顔を初めてみた瞬間でした。
人たらしの陽気で明るい所とは正反対の、闇の顔。

自分に従うものにはやさしいけれど、自分に歯向かうものには冷酷無比。
一度欲しい、と思ったものはどうやってでも手に入れる欲望の深さ。
人を踏みのけていく野心と、見下されたくない思いの強さ。
わたしに女や妻としての生き方を禁じ母親にした、身勝手で利己主義なところ。

彼はずっと明るい表の顔と、底知れぬほど暗い闇の顔を持っていました。
わたしはこのことに薄々気づいていながら、見ないふりをしていました。
そして彼を一番に思い、大切にしてきました。
でも、もしかしたらそれは「秀吉」というモンスターを、育てていたのかもしれません。わたしの胸に不安と疑惑が沸き上がりましたが、すばやくもみ消しました。けれどそれらはぶすぶすと煙を吐き、心に黒いすすを残しました。

しばらくして、秀吉は三法師様を連れてきました。
まだあどけない幼子です。不安そうな顔をしていたお子でしたが、わたしの顔を見て安心したように少し笑いました。わたしは秀吉から三法師様を受け取ると、しっかり胸に抱き寄せました。秀吉は満足そうに顎を二回動かしました。わたしの胸に抱かれたこの幼子が、これからかけひきの道具になるのです。三法師様はしっかりわたしの着物の襟をつかみました。三歳とは言え、ご自分の境遇が変わることを予感しているようです。
かけひきに使われた後のこの子の行く末はどうなるのか、考えると胸が痛みます。
秀吉が使い捨てたとしたら、わたしがしっかりその後を面倒見よう、と決めました。

やがて三法師様は疲れたのか、わたしの腕の中で眠ってしまいました。すやすや眠る顔を見ていると、秀吉の寝顔を思い出しました。もちろん三法師様のように気品ある寝顔ではありません。寝相も悪いし、いびきや歯ぎしりもすごいです。けれど秀吉がモンスターだとしても、わたしにとっては愛おしい子どもなのです。

彼が闇の顔を持ちわたしがそこに反応するのなら、わたしにも同じような闇の顔があるでしょう。わたしはそっと、眠っている三法師様のお餅のようなぷくっとした頬をつつきました。
彼と結婚する時、わたしは彼の才能と運に賭けました。
それはきっと、彼のモンスターとしての才能と運をかぎ取ったからです。
女だからできないことを、彼に映し出しやらせているのは、わたしです。
潜在的に意図して、彼を育てたのです。それがわたしの闇です。
だからこそ、秀吉の闇がわかった上でも彼を愛し続けられるのです。
秀吉がモンスターなら、そのモンスターの素質を見抜き、育てたわたしはラスボスではありませんか!!
最後の強敵、ラスボス・・・・・・
その事実に気づいたわたしは、愕然としました。

その時信長様の声が、どこかで聞こえた気がしました。

「お前が男であれば、さぞ優れた武将になったことだろう。
じゃが、お前は女だ。
女には、女でしかできぬ戦がある。
お前ならその戦を、しなやかにしたたかに美しく生き抜いて生きそうじゃな」

わたしは眠ったままの三法師様を抱きながら、目を閉じました。もしわたしが三法師様くらいの年齢から秀吉を育てていたら、きっと今の秀吉にはなっていなかったでしょう。秀吉はわたしの闇をも引き出し、自分の闇のエサにしたのです。

信長様。わたしは心の中で亡き信長様に呼びかけました。

わたしは自分の闇を受け入れます。
受けいれた上で、その闇を手なずけます。
わたしはしなやかにしたたかに美しいラスボスとして、生きてまいります。
そしてモンスターとなった秀吉と共に、歩いて行きます。
信長様が亡くなり、乱世に戻りかけた今の世で、必ず秀吉に天下を取らせてみせます。清州会議は、その前哨戦でございます。

そう心を奮い立たせた時、ある女性の顔が浮かび上がりました。

お市様でした。

突然深い池の奥からあぶくのように浮かんだお市様の姿に、おののきました。お市様は冷たい目で、こちらをみておりました。

あの美しい方は、これからどう動かれるのでしょう。
秀吉はきっとまだあのお方を、思い続けているでしょう。

その時、ふっと秀吉はお市様を側室に迎える気がする、と感じました。
何の根拠もない、だからこそ確かな女の勘です。
それはまちがいない気がしました。わたしは秀吉の執念を甘く見てはいけない事を知っています。

そう考えたわたしは、墨を取り出しました。しばらく文箱の墨と紙を見つめ、自分が何をするべきか考えました。そして意を決して、ある方に向けて文を書きました。この文が清須会議でまた爆弾となることを知っています。知りながらその方に送りました。

信長様、あなたの言う通りです。

「女には、女でしかできぬ戦がある」

本当にそうですわ。

わたしも戦を仕向けましたよ。

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