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リーディング小説「お市さんforever」第十話 愛の言霊

愛の言霊

この日、兄上率いる織田軍は、舅のいる場所から攻めた。それはどこかで情報がもれていたかのように、きっちり居場所を特定されていた。
舅の浅井久正は四方八方塞がれ、自害した。
そして私達と夫は援軍など来るはずもない孤立無援状態で、立ちこもっていた。私は夫の顔から流れる汗をふきながら、こうやって一緒に居られるのはあとどれくらいだろう?と考えた。時は刻々と過ぎていく。声遠くで兵士達の声が聞こえていた。残された時間は限りなく少ない。やがてこちらに近づく足音が聞こえてきた。私達はみなでぎゅっと固まり、夫や残された家臣達が私達を取り巻くように輪になった。足音は一つだけだった。それは私達の潜んでいる奥の間の前で止まった。

「ごめん!」そう叫んで一人の男がひざまづいた。舅を自害させ夫の命を奪うためにやってきたのは、兄上が目をかけている部下の羽柴秀吉だった。
私は彼をにらんだ。私は彼が嫌いだ。ずるがしこい猿のような男でひょうきんだが、目は笑っていない。
兄信長をとても慕っているようだが、女としての直感が彼に心を許せない。身分をわきまえず、時折私をねっちょりした目で見るのもゾッとする。

秀吉がやってくる前から、夫は覚悟を決めていたのだろう。
彼は一度輪を離れ、固い顔で私のところにやってきた。
夫の手には、一輪の花が握られていた。その花を見て私の目に涙があふれた。いつの間に取ってきたのだろう?それは庭で咲いていた白百合だった。
白百合は夫の手につかまり、ゆらゆら震えていた。
その花は凛と背を伸ばし、女王のように美しく咲き誇っていた。夫は目にするたびいつも「あの花は、お市のようだ」と言っていた。

夫は今にも泣きだしそうな子供のような顔で
「お市に最後に渡すプレゼントが、こんな花になってしまったよ」
と言った。その唇が、ブルブルと震えているのを私は見逃さなかった。彼は私の肩を強く掴んで言った。
「さぁ、早く!この花を持って、茶々と初達を連れこの城から出るんだ!
信長殿も、妹のお前や姪になるこの子達に危害を加えることはないだろう。
すぐに支度をしなさい」
「・・・・・」
予期していたはずなのに私はその場で固まり、身動き一つできなかった。
ついに来るべき時が来た。
頭ではわかっているけど、身体が反応しない。娘達を抱いている手だけがブルブル震えていた。
「お市!!」
夫が、叫んだ。

「わかってるわ!
 つらいのは、あなただけじゃないの!
後に残された方だって、命を断たれるほどつらいの。
理屈でも、本能でも、生きていかねばならないことはわかってる。
娘達もいるし、それが私の役目だと知っている。
でも、私はやっぱりあなたとここに居たい!
娘達だけ逃し、私は最後まであなたとここに居る!!」

そう叫んだ瞬間、お腹に強い痛みが走った。
「こんな時に、陣痛が始まったのかもしれない・・・
なんていうこと・・・」歯ぎしりしながら思ったが、強い痛みにこれ以上立ち続けることができず、お腹を抱えその場に座り込んだ。
夫も私の目線まで膝を折り、じっと私を見つめた。今までに見たことがない菩薩のような顔だった。そして優しく私に語りかけた。

「なぁ、お市・・・お腹の子もお前と一緒に生きて、この世が見たい、と言っているじゃないか。
その子に、この世界を見せておやり。こんな戦乱の世の中だが、この子が無事に産まれ成長したあかつきには、世は収まり平和になっているかもしれない。
 浅井はこのような結末になったが、お前達と一緒に生きて、すばらしいこともたくさんあった。
この子に、その世界を見せてやりたい。
私とお前の子だ。
きっと強く生きていくだろう。
男子であれば命を取られるだろうが、たぶんこの子は女子だ。
茶々と初の妹だ。」

そう言って愛おしそうに私のお腹を撫でた。私は身が張り裂けそうな痛みに耐えながら、微笑んだがもうすでに涙は決壊した。愛する長政さんの顔がにじんで見える。ああ、神様、涙を止めて、私にあの人の顔を覚えさせて。私の心と身体に彼を刻印して!とお願いした。けれど彼はまるでピクニックにでも出かけるような口ぶりで言った。
「そうだな・・・会えぬこの子に、名前を残しておこう。
この子の名に、近江の地を残そう。
この子は、「江ごう」だ。
この子が無事に生まれたら「江ごう」と名付け、大切に育ててほしい。
戦乱の世を鎮め、平和な世になるよう祈りを込めて育ててほしい」

そう言って夫は私の両手を包み込んだ。その手は燃えるように熱かった。私は最後の力をふり絞り、プライドも平常心も何もかも捨て、愛する人に取りすがった。

「愛してる、て言って。
 前の奥さんより、誰よりも、この私を!!
この世で一番愛している、と言って!!」

髪を振り乱し、血走った眼で、鋭い痛みに耐えながら必死に叫ぶ私は、まるで魔女のようだったに違いない。
だけど、周りにどう見られるかなんて、どうでもよかった。ただ、一言だけ、この言葉がほしかった。それは私にとっても命綱だ。
この先、愛するあなたがこの世から消えても、私はこの言葉にすがって生きたい。
この言葉が私をこの先、生かすことを知っていた。
この言葉を胸に、生きて生きて生き抜くの!!

夫ははぁはぁ肩で息をし、両手で地面をつかんだ私を強く抱きしめて言った。「お市・・・誰よりもお前を愛している。
前の妻よりも、これまでの側室よりも、親よりも。誰よりもこの世で一番お前を愛している」
痛いほど強く抱かれながら、夫は一番ほしかった言葉を与えてくれた。その言葉は一条の光となり、真っ暗で明けぬ闇のようだった身体の隅々まで貫いた。
その光がお腹の子に届いたのだろうか。
陣痛は、ひととき収まった。
でも、じきまた強い痛みがやってくるだろう。

私は息を整え、いつもの美しさを取り戻し微笑んで言った。

「ありがとう・・・
私も、この世で一番あなたを愛している。
この先、どうなろうと、あなただけが私の夫。」
私達は、最後の口づけを交わした。
「さぁ、もう行きなさい」
夫が言った。
それは「生きなさい」と、私に聞こえた。
もう後ろは振り向かなかった。
侍女達に囲まれ、茶々と初の手を握りしめ、前だけ向いて歩いた。


さっきまで不安な顔をしていた茶々が、無邪気に私に言った。

「ねぇ、父上は?
 一緒に行かないの?」
「父上は、先にいってるの。
私達もいつかそこにいくのよ」
「どこにいくの?」
「極楽浄土よ」
「それは、どこにあるの?
遠い?
いつ行けるの?
いつ会えるの?」
「いつか、もっと先よ。
 遠い遠いところにあるの。
父上はそこで、私達が行くのを待っているわ」
「ふ~ん、早く会いたいねぇ」

そう話しながら私達は、久しぶりに城の外に出た。夜の中に新鮮な木々の匂いを感じだ。その時、先頭を歩いていた猿のような小男が私のところに来た。
「お市様!
ご無事で何よりです!!
おお、この先は姫達は私が連れてまいります」
と言ったが、その言葉を無視して私は娘達の手をしっかり握り、夜の中で火の手が上がった城を見上げた。「さよなら、愛おしい人」心の中でそっとつぶやいた。もう涙は乾ききっていた。


その時、大きな波のような陣痛にまた襲われた。
私はその場に倒れ込んだ。
「お市様!!」
侍女の叫ぶ声、ザワザワしたいくつもの声に混じって、風に舞う木の葉に乗ってきたように、かすかな声が聞こえた。
「お市、愛している・・・・・・」
「私も・・・ 愛している・・・」
城に向かって手を伸ばしつぶやいたまま、波に飲まれ意識が遠のいた。

私はその後、あの時を何度も思い出した。お腹の子は、つらい現実から目をそらせるため、私を助けてくれたに違いない、と。
小谷城は、それから間もなく落城した。
愛する夫は、城の中で自害した。
享年29歳。


夫の予言した通り、生まれてきた子は女子だった。
名前を「江ごう」と名付けた。それは父親に会えなかった子が唯一父親から受け取ったギフトだった。
「江、一緒に強く生きていこうね。
生きて生きて、生き抜こうね」
無心に乳を吸う江に、語りかけた。

さよなら、愛する人・・・
最愛の人・・・
それでも、私は生きていく。
生まれたばかりの赤子の手を握り、改めて誓った。

外で茶々と初の笑い声が聞こえた。笑い声のした方に振り向いた。
ここはもう1人の兄信包の城で、子供達は庭で遊んでいた。そしてよく見ると、この城の庭にも白百合の花が揺れていた。
夫は私のようだ、と言ったが、風に揺られている背の高い花は背高のっぽの夫のように見える。
「いつもお市のそばにいるよ」
と語りかけているようだった。

私は白百合に微笑んだ。ええ、私の心はいつもあなたといっしょにある。
だけど、身体は生きていくしかない。
私はこの先も生きていく。
もしこの先、身体は他の男に抱かれても、心は誰にも与えない。

私が抱かれるのは、あなたからもらった言葉にだけ。
その言葉だけが、私を濡らす。
そうやって生きていくと決めたの。
あなたと約束した通り、生きて生きて、生き抜くの。

私は笑顔で、茶々と初に手を振った。

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しなやかに生きて幸せになるガイドブック

あなたは素直に、大すきな人に、「大すき」
愛する人に「愛している」と言っていますか?

たかが、言葉、と思わないで下さいね。
言葉には、言霊という強いチカラがあります。

その言霊があなたを支えます。

あなたが思っている以上に、あなたを励ます言葉は大いなる力となります。

あなたが欲しい言葉は、まずあなたから自分や周りの人に与えましょう。

自分が欲しい言葉を、自分に与え受け取りましょう。

愛の言霊は自分にこそ与えましょう。

それが、女性のしなやかさ。


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