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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第二十五話 「愛」には、いろんなカタチがある

「愛」には、いろんなカタチがある

茶々様と秀頼様がわたしと秀吉のいる伏見城で、一緒に暮らす生活が始まりました。
秀吉はわたしに遠慮せず申し訳ながる風もなく、堂々と茶々様や秀頼様のところに渡ります。わたしは一人残され、心に冬の冷たい風が吹くのを感じます。そんな時はいつも「家族三人」という言葉が浮かびます。
わたしだけ、蚊帳の外です。
母は息子の家族に入ってはいけないのでしょうか?

やがて昼間だけでなく、夜も茶々様のところで過ごすことも多くなりました。夜、わたしの布団の横に秀吉の布団も敷かれていますが、そこで彼が眠ることは、ほとんどありません。暖められることのない冷たい布団を横目で見ながら、寂しくて涙が出そうになるのをこらえます。
秀吉と手をつないで一緒に眠らなくなって、どれくらい経つでしょうか?もう数える事も止めました。

わたしはすっかり女、という性を捨てていました。
秀吉がそうあることを、わたしに望んだからです。
愛する人の望みを叶えたのに、この現実です。
わたしは一人です。独りぼっちで孤独に耐えています。
秀吉と同じ城に居ながら、彼は百万光年遠く離れた場所にいるようです。
わたしの心は、泣いています。
わたしの子宮は、枯れています。わたしは布団の中で、誰にも抱かれたことがないまま渇き枯れゆく、年老いた自分の体をそっと抱きしめました。

秀吉は自分の死が近づくのを知っているように、秀頼様のため自分亡き後のバックアップ体制を整えました。
いつも幼い秀頼様を腕の中に抱きかかえ、大名たちに指図し命じました。
秀頼様に秀吉なりの帝王学を、肌身で学ばせていたようです。
わたしは一歩離れ、その姿をじっと見つめました。
もう豊臣は茶々様と秀頼様のものになり、わたしの手から飛んで行きました。豊臣の母としての役目を去る時が来たのです。
悲しく寂しい気持ちの中に、咀嚼しきれない苦い思いも混じっています。
けれど豊臣を茶々様と秀頼様に託すことが秀吉の望みなら、これまでもそうだったようにわたしは従います。
わたしは最後の豊臣の母としての役目を閉じるため、心の中で秀頼様に豊臣のバトンをお渡しました。

慶長三年三月十五日秀頼様が五歳の時、秀吉は京都の醍醐寺に大きな庭を造らせ、日本各地から七百本の桜を集めた花見大会を催しました。それは醍醐の花見として、後世に語り継がれるほどの壮麗な宴会でした。
わたしや茶々様、他の側室たちもすべて招きずらりと並んだ、それはそれは華やかな宴会でございました。
七百本の美しい桜で、あたり一面はピンク色の花吹雪で覆われました。
豊臣の栄華を表すような、美しく夢のように儚い光景でした。

桜の花が咲き誇る様は、どうしてほんのり悲しみを感じるのでしょう。
この時の桜は、ことのほか心に染み入りました。
わたしは秀吉と手を携え、ここにたどり着くまでの道をしみじみ思い出しました。幾多の喜びと悲しみと苦しみを超え、わたし達はここに登って来ました。
おびただしい血も流しました。
そこには近しい身内の秀次達もいました。

今、わたし達はこの国の頂点にいます。
その頂点からすばらしい光景を見降ろしています。
けれど頂点にいるということは、これから降りていくことです。
降りていく悲しみや切なさをどこかで知っているからこそ、よけいに満開の桜の美しさが響きわたり、切なさを呼びます。

この醍醐寺は応仁の乱のあと、荒れ果てていました。
荒廃した醍醐寺を立て直した座主の義演は、長年秀吉とよい関係を続けていました。
秀吉はたびたび醍醐寺を援助し、義演を助けたのです。
義演は秀吉にとても感謝していました。
彼は秀吉の衰えを敏感に感じていたのでしょう。
このたびの花見が秀吉の最後の大舞台になるかも、という予感があったのかもしれません。
義演は恩ある秀吉のため、壮大な醍醐の花見という舞台を用意してくれました。

宴会中、秀吉はずっとご機嫌でした。
わたしをすぐそばに置き、話しかけてきました。

「のう、寧々や。色々あったが、こうやってわしは天下を手に入れた。
お前に約束したことを、叶えたぞ。
お前を日本一のかか、にしたぞ。ようがんばってくれた。感謝するぞ」
久しぶりに聞いた、秀吉のやさしくあたたかい声でした。
わたしはそれだけで胸がいっぱいになりました。
秀吉はわたしの手を握り、頭を下げました。
そこに「詫び」の気持ちも感じました。

その謝罪の気持ちを受け取った時、ああ、わたしはまだ秀吉とつながっていた、と安堵のあまり涙が出そうでした。
そして彼が結婚した時の約束を覚えていてくれたことに、心臓が止まるほどうれしく感じました。
思わず涙がこぼれ、そっと袂で涙を押さえました。
秀吉はもう片方で握ったわたしの手を、離すことはありませんでした。
そこに確かな「愛」を感じました。

その「愛」は、茶々様や秀頼様に対する「愛」とは別のものでしょう。
「愛」には、いろんなカタチがあるのです。
男が一番、頭が上がらず無条件で愛されている、と感じるのは母親にだけでしょう。
大政所であったお母様が亡くなった今、秀吉の母はわたしだけです。
そういう意味で、わたしは一番秀吉に愛され大切にされた女です。

茶々様は、ピンク色の花びらが風に乗ってほろほろと舞い散る姿を見て、誰に言うともなく、つぶやいていました。
「ほんとうに、美しい桜・・・・・・」

わたしと秀吉も目にしました。
悲しいくらい美しい、一夜の夢のような光景でした。
秀吉はそれを眺め、泣いていました。
わたしは秀吉の涙も、そっと袂でぬぐいました。
わたし達は一緒に、花びらが舞い散る様を眺めていました。

その時わたしは心も体も幸せを感じました。カラカラに乾いた心と体は桜色に染まり、潤い満たされました。
この日だけで、秀吉から何年分もの愛を受け取りました。
いえ、秀吉はずっとわたしに愛を送ってくれていました。
けれどそれは、わたしが望むカタチの愛ではなかったのです。
でもたしかにわたしへの愛がありました。
今、ようやくそのことに気づいたのでございます。

わたしは秀吉に囁きました。

「お前様、もう少し一緒に生きましょう。
秀頼様に関白を譲って隠居し、わたしとゆっくりお茶を飲みましょう。
どこへでもついて行きますよ。
たくさん昔話をしましょう。
まだまだやりたいことは、たくさんありますよ」

秀吉はうれしそうにうなづいて、笑いました。

そう約束したのに、秀吉はこの醍醐の花見からわずか約五ヶ月後、六十二歳でこの世を去りました。

わたしは一人、この世に残されたのでございます。


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