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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第一話生きて生きて、生き延びてきたのは、彼のためだけ

生きて生きて、生き延びてきたのは、彼のためだけ


「淀様!もう火の手がすぐそこまで迫っています!」城は赤い火に包まれ、灰色の煙がどんどんこちらに近づいてくる。大野治長がすがるような目つきで私に言った。今、ここにいるのはほんの数人だけだが、誰も声を出さない。異様な静けさが私達を覆っている。
「そうか・・・もう、ここまでね」
私は息子、秀頼の顔を見上げた。
私に似て秀頼は背が高い。
そして私が母上から受け継いだ美貌も、彼はそのまま引継いだ。
端正で気品ある顔立ちは、まさに天下人そのものだ。
けれどその顔は、この世の苦しみを一手に引き受けたように目を閉じ、痛みに耐えていた。私はそっと指で息子の顔を撫でた。そして彼の手を取り、やさしくささやいた。
「もうよいのですよ、秀頼。
あなたは、よくやった。
豊臣をここまで続かせたのは、あなただからできたことです」
「母上・・・」
目を開き私を見た秀頼は、今にも泣きそうな顔になっていた。その顔を見て、この子は幼い時から何かをあきらめる時、こんな切ない顔をしていた、と思い出した。
周りは、秀頼は太閤の息子として生まれ何不自由なく育ち、あきらめるものは何もない、と思っていただろう。
だが私は秀頼がたくさんのものをあきらめ、悲しみと一緒に手放したことを知っていた。
その中に最も大切なものがあった。
それを手放した次に手放すのは自分の命だ、と彼は知っていた。
「もう、よい。もう、よいのです」
私は秀頼にそう言いながら背中を撫で、自分自身にも言い聞かせた。

私はこれまでの人生を思い返した。
生まれ育った小谷の城。
母が再婚した北ノ庄城。
そして、この大阪城。私は三度滅びる。
三度目でようやく母のように城に抱かれ、旅立つことができる。

母は「自分の本音を開き、正直に生きよ」と言った。
「誰かのために生きるのではなく、自分のために生きるように」
と言った。けれどその生き方は、とてもむつかしかった。
自分の本音に耳を傾けていたら、どこかで壊れていた。
誰かのために生きていなければ、とうていここまで生きられなかった。
生きて生きて、生き延びてきたのは、彼のため。
彼がいたから、この世界が輝いた。
彼がいたから、自分を偽って生きられた。

だけどそれも、今日でおしまい。
ようやく私は、背負い続けて来た重い荷物をおろせる。
強い思いは、重たい。
心だけでなく、身体を重くし、その場から動けなくする。
でも私にはもう必要ない。

帯をとくように、重い戒めをはらり、とほどいた。
固く結ばれていた心から、絵巻物を開いたように色とりどりの思い出がよみがえる。
幼い頃、父と母と過ごした笑顔で過ごした日々。
妹達が生まれうれしかった時。
涙が枯れるほど泣き、心が固くなった時。
「したたかな女だ」そう言って私を抱いた男の声も聞こえた。

合間に何度もリフレインし現れる、美しい母上の笑顔と男達を虜にした、妖艶な姿。
母上こそ私が憧れ、なりたかった理想の女性。
でも、私は母上のようになれなかった。
いつもその幻影を追いかけ、おびえていた。
母上のようになれない自分にコンプレックスを持っていた。

美しい母は父上亡き後、何人もの男達と肌を重ねていた。
私は「女」を見せるあなたに嫌悪感を持ちながら、羨んでいた。
どこにいても自分を貫き自由にふるまえる、あなたのような女性になりたかった。

私は過去に足止めされたままの自分を振り切るように、首を反らせ頭を振った。これだけは母に似た長い黒髪が、大きく揺れた。その時また、母の幻影が目をかすめた。もう許して・・・・・・そう叫ぶ自分の心のまま、母の面影を両手で握りつぶす。
母上・・・・・・私はあなたからも自由になります。

コンプレックスも母への嫉妬もすべて手放し、大きく一つ息を吐く。これようやく軽やかになって、あの世に旅立てる。だけどその前にやることがある。
旅立つ前にこれだけは伝えたい。これだけは開きたい。これを言わずに死ねない。

私はまっすぐ彼に向き、勇気を出して告げた。
「愛している。あなただけを」私の声は少女のように震えた。
けれど長い間封じ込めた思いを開いた私の身体はふっ、と軽くなった。
心のつかえが取れた今、もう何も思い残すことはない。私は晴れ晴れとした笑顔になった。
徳川がこの国を治めようと、どうしようと、すきにすればいい。
私達は先に逝く。

生涯、ただ一度だけ口に出した言葉・・・
「愛している」
そう彼に伝えられた私は、本当に幸せだ。
あの世にいく寸前に、喜びとエクスタシーが頭の先から爪先まで満ち満ち溢れた。私は頬を赤く染め、一番の快感を得る時のようにぐっ、と身体をそらせた。子宮から女の歓びが私を貫く。

その時「淀様!もうお時間がありません!」
また治長が背中を押し、私はハッ、と現実に引き戻された。閉じた目を開き、じっと治長の顔を見て静かに言った。
「わかった。もう、よい」
シュッと音がして、治長は刀を抜いた。
私は愛する人の顔をしっかり見つめ、愛おしい面影を胸に刻んだ。ようやく自由になれる解放感に満たされた。目を閉じた私のまぶたに刻印したのは、彼の面影だけ。もう何も偽らなくてもいい。私は自分を赦したどこまでも広がる穏やかな気持ちに抱かれた。

大きく振られた刀が私の身体に突き刺さった時、すっと私の魂はその身を離れた。人生の最後のさいご、私はとてつもなく幸せだった。誰に何と言われようと、私は最後に幸せをつかんだ。

そんな私の物語をあなたに伝えよう。
あの世からふり返った、私の一生。

今を生きるあなたに話そう。

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したたかに生き愛を生むガイドブック

したたか
この言葉を、あなたはどう捉えますか?

茶々は、したたかに乱世を生きた女性でした。

あなたは茶々から何を受け取るのでしょう?

「もう、茶々ってば~」
そう思うかもしれません。

あなたが学ぶしたたかさは、何でしょう?



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