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リーディング小説「お市さんforever」第十九話 女は蜜を忍ばせ、男の懐に入っていく

女は蜜を忍ばせ、男の懐に入っていく

表向きは織田の跡目争い、という形を取っていたが、時局は完全に勝家と猿こと秀吉に、二分された。
武将たちはどちらの陣営に着くのが有利なのか、義理と人情を秤にかけ敵味方に分かれた。
みなより抜きんでて天下統一に王手をかけた兄上という重石を失った世は、新たな戦乱の火種を持ち、それはすべてを焼き尽くす大火事になる危険性をはらんでいた。

私も勝家に味方する武将が少しでも多くなるよう、影から手をまわした。
だが甥である兄上の次男信雄は、弟の信孝が勝家についたのに対抗し、秀吉側についてしまった。
文でそれを知った私は、読み終えた文を握り締め「なんて馬鹿なやつ!」と思わず下品な言葉を吐いてしまった。信雄が秀吉側に着くことで猿は次男を擁護する、という大義名分を堂々と持ち、勝家と争う格好の材料になった。私は怒りが収まず文を破り捨てた。それでも気が収まらず立ち上がり、炎のように燃えている胸を押さえた。信雄は秀吉に利用されることがわからないのだろうか?そんな奴が兄上の息子で身内だなんて、本当に情けない!そう思いながら目を閉じた。

人はその渦中にいる時、全体図が見えにくくなる。
その場の状況や勝ち負けだけしか、目に映らない。
時代の流れや人の気持ちの移り変わりが、見えなくなる。
気づけばたくさんいた味方が逃げ去り、自分だけが残り裸の王様で負けるパターンだ。私は勝家がそうならないよう、しっかり目を見開ておこう。
俯瞰して物事が冷静に判断でき、どうしたらいいか対応策が練れるのは。その渦中から一歩引いている人物。

それはわたし達、女だ。
男達の権力争いを冷静に見ている。
そうやって状況を把握しながら、女は影で色々手を回す。
どの着物が高く売れ、武器や食料に変わるのか、どれくらい兵糧米があるのか。戦になると、女達はすばやく計算し立ちまわる。勝ち目がないとわかったら、何をもって逃げるのか、どうやったら自分を美しく見せ、高く売れるか考える。いつの時代も美しい女は、命を救われてきた。
私も小谷城から出て来る時、着の身着のままで出てきたわけではない。
嫁に持たされた高価な道具や金や着物は、侍女達に持たせ城を出た。
高価な物をやすやすと、燃やされる城に残す必要はない。
戦をしながら、戦が終わった時のことも考えるのが女だ。

私は少しずつ冷静になりながら、息を鎮めた。まだ戦は始まっていない。
だが猿はジワジワと包囲網を張り勝家を追い詰めているから、戦になるのは時間の問題だ。
どう転ぶかわからない状況で、私まで猿と険悪な仲になるのは避けておいた方がいい。奴は私に対し、長政様を討った負い目もあるはず。そこにつけ込むの。私が動くのは、自分のためでなく娘達のためだ。
あの子達を戦の巻き添えにさせないため、私は勝家に嫁いだ。
勝家という馬を走らせながら、猿も飼いならす必要がある。
だけど、どうすればいいのだろう。私はこの城を出るわけには行かない。

私はパッ、と目を見開き、息を整え机の前に座った。墨と紙を目の前にし、私は見せかけの甘いあま~い蜜を添えて猿に密書を書いた。
「もし勝家が負けてあなたが勝ったらあなたのものになってもよろしくってよ」もちろん、そんな身もふたもないような書き方はせず、そこはかとなく、そんなニュアンスを感じさせる文章にしたのよ。私は書いた文の墨が早く乾くよう親指と中指でつまみ、ひらひらと揺らせた。この手紙が偽薬のように奴に効き、プラシーボ効果で猿をウットリさせるだろう。そう思いながらも、この偽薬が効きすぎ、奴に明確なゴールを与えることも恐れていた。

その時、私は指でつまんでいた文を畳に落とした。もしかして私がこうやって猿に偽薬を送る時点で、勝家の負けをどこかで知っているのかもしれない。それは長政さんの時にも味わった直感だった。激しい痛みが胸を貫いた。文を拾い、机の上に置いた。机の上で私は両手を握り締めた。
私は長政さんと約束したように、娘達と一緒には生き延びなければならない。今まで秀吉は、自分と争い負けた武将たちの妻子を愛人にしていた。
農民から成り上がった奴の勲章が、手に入れた女達だった。
兄上が亡くなった時点で私を側室に向かえるのは、奴にとっても私にとっても世間体が悪かった。

そこで私は二つの案を考えた。

もし勝家が負けた場合(プランA)
その時こそ勝家の妻だった私を側室に迎えても、誰も何も言わないし、言えないだろう。
勝家に勝った秀吉は、正々堂々と兄上の後継者。
新たに、天下統一に王手をかけた人物となるはずだ。

もし勝家が勝った場合(プランB)
その時は、私はこのまま勝家が天下を取るサポートすればいい。

そこまで考え、私はため息をついた。
どうしてだか勝家が猿に勝ち、天下を采配するイメージが見えない。だからこそ、私は猿に蜜を送る。
女は蜜を忍ばせ、男の懐に入っていく。
まだ表立って戦の火ぶたは、切られていない。
だけどその足音は、はっきり聞こえる。
そしてすでに私の中で戦は始まっている。

「さぁ、奴の心を射抜いてらっしゃい」
私はすっかり墨が渇いた文を舌で舐め、封をした。

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