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心のうちの声、言語化の癖

こんばんは!諏訪です。
昨日、今日ととてもつめたいよるで、
家までの道のりをとても長く感じます。2月ってさぶい。

さて、今日は「心のうちの声を言語化する習慣化は大事なんじゃないか」という話です。

みなさんは「将来どうなりたい?」と聞かれて、
すぐにこたえられますか?

なりたい自分とは?という問をされました。
結論から言うと、そのとき自分は答えに詰まってしまった。

こうなりたい、こうなりたくない
それは比較的人より強くあるんだけれど、全然言語化できない。

たとえば、いくつかは思いつくんです。

自分の後も生きていく人たちににいい影響を与えられる人になりたいとか、
自分が関わる範囲の人に笑顔を増やしたいとか、
生きる世界に肯定できるものを増やしたいとか。
誰かが大切にしているものを大切にし続けるとか、
誰も一人ぼっちにしないこと、とか。

そう、心の中に、何か大切にしているものは確実にある。
でもそれを言葉にする機会がないと、
それを全然言葉にできないんだということを痛感しました。

パッとそれっぽいものをその場で思いついたとしても、言っていいのか迷うんだよね。、

ずっと抱えていた本心というより、今自分が代表の前でいいことを言おうとしてそういう言葉が出てきているだけなんじゃないかとか。
あと、と、ちょっとずれるかもだけど、「なりたいものの答え」って、そもそもそういう答え方じゃないのかな、もっと面白いことをいったほうがいいのかな〜とか。笑

結局、言葉にすぐできなかった。いちばんだめなやつ。
でも、もし普段から言葉にする癖があれば当然、
こんなこともなかっただろうな〜とおもいます。

ただすくなくとも、今の自分でも、なんとなくぼんやりとまでしか、
なりたいものがわかっていないんだということに気づきました。
言葉にしようと思ったから気づけたこと。

聞かれたときにぱっと「自分はこうなりたい。」といえたほうが、
周りの力も借りれるし、何より自分自身が言葉の力をコンパスにもっと頑張れると思う。

ただ注意として、もし少しもそういう思いがないのなら、
「なりたい姿がない」からといって、落ち込む必要はきっとない。
あるのに言語化できてないのは悔しいよなって話であるので。

だから、もっと言葉にしていかないとなって思っています。
たとえそれがいつか変わりそうでも。

そのためにも、こう言った文章を書くことはうってつけですね。

これからこんなふうに文章にすることで、
こうしてパソコンで文章を打ち込む前に、
今自分が自身でも気づかないことで思っていたことに耳を済ませようとする時間ができるから。

こういう時間を、もっと日々の中で確保していきたいなと思う。

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