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《恋》という情熱から《愛》を育んでいくパートナーシップ


こんにちは、うみです。
今日は《愛》とか《恋》とかいうものについて綴ってみたいと思います。

旦那さまやパートナーがいる方
または、いたことがある方に質問です!

「あなたは旦那さま(パートナー)を
愛していますか?」

私自身のことになりますが、
私は以前、主人のことを「愛している」
と思ってきました。



しかし、最近になって

《愛》というのは
《無条件に相手を愛している状態》である

という考えにふれる機会がありました。


そうなると…
「私の愛にはまだまだ条件があるなぁ」
と思ったのですよね。
 

相手に期待することがある。
だから叶わないと悲しみや怒りが湧き起こってくる。


でも、無条件の愛の境地ならば
きっとそういった見返りを求める気持ちも、それが叶わなかった時のネガティブな感情もないのではないかと思うんです。


そうやって考えてみると、、、
恋愛って《恋》というドーパミンとかアドレナリンとかによる心地よい麻痺状態からスタートしているわけじゃないですか。


でも…
そういう報酬系のホルモンはその状態に慣れてくると多分出なくなりますよね。というか、きっと長くは続かないですよね。なのでマンネリ化することは至極当然なんだと思うんです。


だからこそ
その先を2人でどう発展させていけるかがすごく大切。


そして
それをうまく表現する言葉が
《愛》を育む
ということなのかな、と。

《愛》は育てるもの。
じゃあ、どうやって育てるかって?


私の考えなのですが
それは、お互いに
【釣った魚に餌をやり続けられる関係性】
でいること。

そしてお互いが
【釣られた魚として餌をもらえるように自分自身に磨きをかける意識を持ち続けること】

また
【お互いの健全なコミュニケーションによって
相互に信頼関係を構築できること】

これらはすごく大切だと思います。



そして、これらの関係性が構築できたならば
本当はモラル的にアウトと言われている《浮気や不倫》といったことでさえ、愛のある2人の間は単なるスパイスになるのではないかとも思っています。

人を豊かにしたり成長させてくれたりする他者との出会いや重ねる時間は、その本人にとってのプラスになるになるだけでなく、その人が関わっていく周囲にもいいエネルギーが波及していくと思うんですよね。


そして、それは旦那さまやお子さんにとっては尚のことそうなのではないか、と思います。

何より、お互いに自分の愛する人が幸せであるならば、それは例え自分ではない別の方が相手であっても、やっぱり喜ばしいことなのではないか…
そう思います。


それにね、
例え旦那さま(奥さま)の浮気がそういう類いではなく、もし一夜限りの火遊びみたいなものだったとしても…
結局のところ起こってしまったことは変えられない(それにね,それがイコールあなたへの愛がなくなったことは思えないケースも多いと思う)

変えられるとしたら
自分自身がそれにたいして《どう考え》
その上で今から先に《どう行動していくのか》という《選択》だけなのではないかと思います。

相手を断罪しても
相手を変えようとしても
得るものは…あるのかな。
ないのではないかな。

だったら
相手をいつまでも許さずにネガティブなループの中に身を置き続けるよりも、そうではない選択をした方が賢い生き方だと私は思うんです。


そして、その選択によってそこから先の自分の人生はかなり変わっていくのではないだろうか、とも思います。

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