グラノヴェターから学ぶ組織改革における弱い紐帯(つながり)の重要性〜地方統一選への示唆も〜
はじめに:「弱い紐帯の強さ」理論の誤解
「弱い紐帯の強さ」理論は、転職のときに遠いつながりの人の紹介が活かされていることが多い、というグラノヴェターの研究結果から引用されることが多く、そのために広くつながるとその個人にとっていいことがある、イコール、「異業種交流ウェーイ!!!」という話になりがちだ。
しかしグラノヴェターは1973年の、理論名と同じ題名の論文「弱い紐帯の強さ(The Strength of Weak Ties)」においてそれを、ミクロレベル(個人)とマクロレベル(社会)とを繋ぐ理論として提示していた。そして転職以外の例として、地域コミュニティの話にも触れている。
その問題設定は、こうである。コミュニティにある種の危機が訪れたときに、それに対抗して適切に対応できるコミュニティと、そうでないコミュニティの差は、ネットワーク構造の違いに依拠するのではないか、と。
危機に対応できるコミュニティとそうでないところの違い:弱い紐帯の存在
では具体的に、どのような違いか。それは、地域コミュニティ内に、「橋渡し」をする弱いつながりを多く持つ者がどれだけいるかではないか、と仮定したのである。
そしてグラノヴェターは、ある地域コミュニティの事例からそれを論じていく。
グラノヴェターがこの論文を書くよりも前、1960年代にシカゴのイタリア人街「ウエストランド」をフィールドワークしたガンズは、その調査結果から「都市でもコミュニティが持続している」と結論づけた。しかしグラノヴェターは、ウエストエンドでは、都市再生計画に住民参加がうまくできなかったのはなぜか、と問うた。
結論から言えば、ウエストエンドでは、親族・近所に限定される「密なコミュニティ」が散見されるのみで、それらを繋ぐ「弱いつながり」が希薄だったのではないか。そのために、「コミュニティはより結束し、協調して行動する」ことができなかったのではないか、と述べたのである。
なぜ、ウエストエンドではこのような状態であったのか。それは、男性の職場の多くが地域から離れた場所であったこと。そして、アソシエーション〜地域内の様々な"公式的"な組織活動〜がウエストエンドでは弱かったことをグラノヴェターは指摘している。(※当時の研究者の視点、あるいは調査対象が、男性に偏っていることは否めない)
グラノヴェターは同じ都市の別のコミュニティでは、都市再生計画に住民の意見をうまいこと反映させた事例を紹介している。そこでは、ウエストエンドで不足していた組織や職場を通じた「弱いつながり」が存在しており、それが成功の要因となったのではないかと説明するのである。
つまり、あるコミュニティ内において、普段会う仲良しな人々同士の強いつながり(ネットワーク論では「クラスター」と呼びます。感染者集団のみならず!)だけではなく,それを超えた異なるクラスター同士の弱いつながり(橋渡し)を形成するためには、
インフォーマルな交流だけを実施していたのでは限界があること。そして、
多面的・強制的に人と人とが出会う場を多く創ること
という2点がコミュニティ全体の結束力を高めるために重要だということをグラノヴェターの論文は示唆している。
組織運営・改革にも応用できるグラノヴェターの視点
この知見は、地域コミュニティだけでなく、会社や学校(学級・ゼミ)、サークルなどにも適用できるのではないかと考える。つまり、例えば会社で言えば、各部署で飲みニケーションを何回も開いているだけでは組織全体の活性化にはつながらない。それぞれの構成員が部署を超えたつながりを持てるプロジェクトチームを編成したり、関わり合う仕組みづくりを構築することが、その会社全体の活性化へとつながる可能性がある。
また、グラノヴェターは、弱いつながりがコミュニティ内にないことは、コミュニティのリーダーとのつながりも、希薄なものとしている可能性にも言及する。そしてそれは、リーダーへの信頼の欠如にもつながる、と。
このことも地域コミュニティを超えて、ある組織(コミュニティ)で活性化・改革したいときへの示唆を、与えているのではないだろうか。すなわち、その組織内で個々の関係が密なつながりを超えた、広いつながりの「橋渡し」が存在していなければ、それぞれの濃いつながりは分断されたものとなって、リーダーとのつながりや信頼性をもつことができない。ある会社のある部署で不満があったとしても、直接の上長にしかその不満を言うことができず、またその意見がどのように上に伝わっているのかは不明のままで終わる。
しかしメンバーが多様なチャネルを持っていれば、役員レベルがどう考えているかの情報が多様に入ってきて、上部層が自分たちを見てくれているかどうかという信頼性の担保をそこでもつことが出来る、という感じでの説明ができるかも知れない。(労働組合はそうした役割をもつ重要な組織である、とも言えそうだ)
選挙、あるいは「声を上げる」ために
もちろんグラノヴェターがもともとの事例として分析した地域コミュニティでも同じことが言える。生活困難な人びとが互いに助け合ったとしても、政治的に声を上げる「橋渡し」となるつながりがなければ、根本的にその生活の困難性を変えることはできないだろう。これをパットナムは「リンキング・ソーシャル・キャピタル」(連結型社会関係資本)と呼んだ。
選挙も同じこと。地方統一選挙の後半戦真っ只中であるが、誰に投票していいかわからない有権者も多いと思う(自分も、そう)。「弱いつながり」があってその政治家本人、あるいは近い人びとから情報を得られないのであれば、選挙公報に載っている情報や、マスコミの情報に頼らざるを得ない。
しかしそうしたマスコミ情報は、それほど人々の行動を動かすものではない、とグラノヴェターは言う。当時の諸研究の結果から紐解いたものであるが、しかし現在の日本の低投票率を予測していたかのような主張である。地域コミュニティ構造の変化が、間接民主主義の曲がり角を生んでいる、という主張は政治学者のみならず、マスコミでも盛んに言われる、手垢にまみれた論ではある。どのように候補者を選ぶか。選択肢がない。情報がない。選挙のたびに皆が嘆く。
これは、実は、どのように地域コミュニティのなかで弱いつながりの「橋渡し」を再構築していくか、という課題でも有るのである。
参考文献
Gans, Herbert. 1962. The Urban Villagers. New York: Free Press.
Granovetter, M. S. 1973. The strength of weak ties. American journal of sociology, 78(6), 1360-1380.
Keyes, L. C. 1969. The Rehabilitation Planning Game. Cambridge, Mass.: M.I.T. Press.
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