見出し画像

帰国日記②宿泊客たちの沈黙

緊張と興奮がまどろみに変わりかけた夜半過ぎに、ベッドが揺れた。

それは最初は、私自身が動いたことで起きたただのマットレスの振動に思えた。数秒して、部屋の窓枠や棚の扉がきしきしかたかたと鳴り、私はそれが地震だと分かった。

私が思ったのは死ぬことだった。やがて衝撃が起きて、鉄骨のがれきに飲み込まれて、死ぬ。私はスキポール空港で見送りに来た夫が、私の死を知って呆然となる姿を想像した。実家の父と母が地面にひざを付く姿を。私は、知らない場所で、知らない人たちと一緒に生き埋めになるのだ。

部屋は7階で、窓の外では同じくらいの高さの建物が工事をしていた。私は昨日ホテルにチェックインして、ひととおり見て回った。ビジネスホテルのシングルルームだから、とくに目新しいこともないけれど、冷蔵庫のスイッチを入れたり、ハンガーをかけるフックを見つけたりした。そのときに遮光カーテンを開けて、向かいの建物を見た。灰色のネットに包まれた建物は、鉄の足場に囲まれていた。
その建物は私の気持ちをとても滅入らせた。くもり空の中で建っていく(または直されている)ビルは、将来への期待とか、希望とか、そういうものをまったく放っていなかった。ただ金の動きに合わせて施工され、20年か30年後には解体される運命の、重く無機質なかたまり。

揺れていた私は、ホテルじゃなく、向かいのあの建設途中のビルに自分がいるような感覚になった。足場と、かすみのようなネットとともに、私の身体が崩れていく。


私は起き上がって、自分がどれだけ怒っているのかに愕然とした。怒っていて、恐怖していて、呆れていて、そしてとても孤独だ。

飛行機に乗る前日まで、緊張していてろくにぐっすりと眠れなかった。いつものように、空港に遅れる夢を繰り返し見た。機内でも浅くわずかな睡眠しか取らなかった。

地震が私に現実をたたきつけた。
お前はこの自然災害にあふれる国に生まれた。
お前はたった1年外国に住んだだけで、帰ってくる場所はいつもここだ。人は不気味で、湿度が不愉快に高く、忘れたころに地面が揺れて人が死ぬ国。

私は暗い部屋のベッドで呆然と座っていた。揺れはもうおさまっているのに、昂ぶりはどんどんひどくなった。鼓動がドッドッドッド、と鳴って手のひらと足の裏にじわりと汗がにじむ。

振動が起きたとき、たった数分前のことを私の頭は何度も再生した。隣の部屋から、「きゃあ」というような、驚き恐怖する声が聞こえたような気がした。それは「ぎゃあ」だったかもしれない。その声は壁を通ってまるで私の部屋の中で放たれたように鮮明に聞こえた。そのときすべての壁は取っ払われ、宿泊客と私はひとつの部屋に寝ているような感覚があった。
けれど、思い出すたびに記憶がごちゃごちゃとからまり、私の空想か、私自身の声だったのかもしれないと思った。

とにかく、その声はもう聞こえない。揺れによって目覚めたはずのたくさんの宿泊客は、名前のない匿名の人であり、彼らにとって私もまた、匿名の存在だ。

力が入った身体は、お酒なしではほぐすことはできない。枕のそばの明かりを点ける。着いたあとすぐにスーパーで買って、冷蔵庫に入れておいた白ワインをグラスに注いで飲む。冷えたワインなのに、喉と内臓が温かくなるようだった。

私は携帯でTwitterを開いて、「地震」と検索した。関東地方で震度3。揺れに怯えた人、驚いて起きた人のツイートが次々に続く。私は「怖い」とツイートした。

それが、15日の軟禁生活の最初の夜だった。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?