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地獄で何が悪い。

ずっと普通に憧れていた。
小学校が終わったら友達と遊んで、その後は18時くらいに帰宅してお母さんの作ったご飯を食べて宿題をして寝る。「早く宿題やりなさい」ってお母さんに言われたり。あとは夕飯を作るお手伝いをしたり、今日の出来事を話したり。そんな絵に描いたような平凡な日常が私の憧れだった。


私の日常は、学校が終わったら学童に行って小さい子の面倒を見たり雑用をして、何かミスをしたら殴られ、ミスをしなくても叱られ、夜の1時にやっと帰路に着く、そんな毎日だった。家に着いたら心配そうな顔のお母さんに作り笑顔で「大丈夫だよ」って言う、それが日常だった。お母さんに暴力の矛先が行くのが怖くて、辛いなんて言えなかった。


そんな夜中に帰宅しているもんだから、一度だけ小学校に遅刻してしまったことがあった。先生は真っ直ぐな目で、落ち着いた声で「どうしたの」と聞いた。私は子供らしくない静かな音でただ目を涙で濡らした。声を出して泣くことすらできなかった。きっとこの時には大人を、いや、人間を信じられなくなっていた。先生に本当のことを言って、それがアイツに伝わったらもっと殴られると思ったから。


中学時代、見た目に反して荒れていた。スクールカースト上位の女の子が想いを寄せている男の子に告白され、そんなことつゆ知らない私は、あろうことかその告白を受け入れてしまった。始まった地味な嫌がらせ。虐待のストレスもあったため、悲しむどころか私は、悪口の手紙が回ってきたとたん立ち上がり、授業を放棄して職員室にチクリに行くような女になっていた。よく先生を巻き込んで喧嘩もしていた(もちろん言葉で)。過激派だ、今思えば。


普段受けている虐げに比べたら、嫌がらせなんてなんてことなかった。羨ましかった。あなた達は普通に生きれているくせに。人に嫌がらせする暇があるくせに成績が悪い奴らに、嫉妬していた。性格がひん曲がっていた、あの時は。私は勉強する時間すら与えられなかった。試験勉強は授業を真剣に聞くことで補っていた。


高校時代、法律に助けられ虐待が終わった。普通になれると思った。もう手遅れだった。今まで縛られていたものが多過ぎて、「私」はどう生きたいと思えばいいのかわからなかった。やりたいことを思い浮かべる権利があることすら知らなかったから。何度も学校をサボった。でもとりあえず、勉強はした。井の中の蛙だった私にとって、勉強は世界の解像度を上げるもので楽しかった。


大学時代、自分が上手く生きれないことに気づき始めた。鬱になったし自殺にも失敗した。挙げればキリがないので割愛するが、人と上辺だけでも良好な関係を築けない私は、結局フリーランスの道を選んだ。今は過去を悲観してすらいないし、人にもあまり興味がなくなった。なんならちょっと楽しんで生きている。大好きな人にありったけの愛情を注いで生きれる余裕があればそれでいいかな、くらいの心持ちで。


濃い23年間だった。
ベースは間違いなく地獄だった。
地獄で生きていると、たまにいいことが起きると物凄く幸福を感じる。
不幸が多いと、より一層幸福を感じられるもんだ。


今はあまり死にたいと思わない。
思わないと言ったら嘘になるけど、私の幸福な出来事の登場人物達が私を必要としてくれるから、もうちょっと生きてみるか、なんて思うのだ。


「人生は長い目で見たら喜劇だ」


そんなようなことを誰かが言っていた。
間違いないね。面白くてたまらないよ。
幸福も地獄も、私の人生という限りのある物語のストーリーでしかないのだ。


どんな出来事だって、私が思いっきり喜んで悲しんで感情を存分に動かした分、ページ数は増えていくだろう。


地獄で何が悪い。
きっと読者は楽しんでくれるさ。



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