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【エッセイ】脳疲労回復


 とりあえず先に断っとくけど、癒やしとか安らぎとかそういう意味合いとは真逆の事を書くつもりのなので悪しからず。

【映画】エリ・エリ・レマ・サバクタニ神よ、神よ、なぜ我を見捨てたのか

 これは20年近く前に制作された映画である。私は公開当時に鑑賞した。
 映画が本題ではないのでサラッとした説明をする。

「ある時期に世界中で”死にたくなる病”が蔓延する。理由は全くわからないが、それを治す方法は2人の男が発生させる音を聴くこと」

 ザックリ言えばこれだけであるし、本稿にとって重要なのもそれだけなので、ほかは省く。

 現在、配信されているのはU-NEXTのみのようである。

 DVDも販売されているが、高い。私はこの当時に買ったので安く買えたのだけど。

アンビエント

 アンビエントという音楽のカテゴリーがある。
 いわゆる環境音楽で、生活の様々な場面でBGMとして流れても気にならない、生活に溶け込んでしまうような音楽で、一般的にはどちらかと言うとリズムが希薄であまり起伏のない静かな音楽を指す場合が多い。
 個人病院などで、院内に流れている音楽はジャズかアンビエントが多いような印象がある(私調べ)。
 良くも悪くもブライアン・イーノが有名である。

ノイズ

 アンビエントと対極のように思われている音楽のカテゴリーとしてノイズがある。
 ノイズ・ミュージックという呼び方をする人もいるけども、 私はちょっと分けて考えたいので単にノイズと表記する。

 これが冒頭の「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」で題材とされている音楽になる。
 音楽とは言っても、いわゆる音楽の定義には一切当てはまらない。リズムもメロディーも和音も存在しない、その名の通りの騒音・雑音である。
 映画内では楽器やエレクトロニクスを使っているが、楽器を全く使わない演奏もあるし、ラジオを使ったりハンマーやサンダーなどの工具、ドラム缶等を使った金属音で演奏するスタイルもある。

 私自身が映画公開の当時、この映画に登場するような音楽を演奏していたという関係もあって鑑賞したわけで、特にこの時期に鬱であったとか、過剰なストレスを受けていたということではないのだが、このようなノイズといわれる音楽には、過剰なストレス状態で疲労を起こした脳を一時的に回復させる効果があることを体験しているので、その事を書きたいと思ったのだ。

 余談になるが、主演の浅野忠信は映画監督の石井岳龍のMACH1.67というノイズユニットに参加していたことがあるし、中原昌也は「暴力温泉芸者」「HairStylistics」名義でノイズの演奏家としても有名であり、作中での演奏シーンも実際に行っている。

無意味であること

 アンビエントには薄っすらとではあるが、メロディーが存在することが多い。
 しかし、これもいろいろ考えられてあって、ポピュラーミュージックのように一定の形式で作られ、ある程度の規則性を持って繰り返される音楽ではない。
 うっすらと、人の脳を刺激しない毒にも薬にもならないようなメロディーが流れるのだ。

 ノイズの方にはそれすらもない。
 音楽として聴くとしても、そこに目的もなにもない。あるのは演奏している人間の精神のゆらぎだけであり、殆どの場合、再現は不可能である。
 音楽というよりは音である。音楽という形を持ち、そこに歌詞が乗れば人はそこに意味を探し、その意味を好きになったり嫌いになったりするわけだが、ノイズで使われる肉声は単に声であって、殆どの場合言語ではない。物音の一種として使用されるだけである。

 音楽から刺激を取り除いて環境に溶け込ませるアンビエント、それを更に解体して単なる音として無秩序に並べるノイズ。

 どちらも人の思考を止め、脳の働きを休める効果を持っている。

時間

 ノイズにも実はいろいろある。
 うるさいだけではない。
 ほとんど波を感じない一定の音を長時間鳴らし続けるドローンの中にはあえて微音で録音されたりライヴで演奏されたりするものもある。

これはオシレーターの放つサイン波を使った演奏をするSachiko.Mと坂本龍一の共演。

 次はReizenというギター奏者。
 ギターを使ったドローンで、私はこの人のライブを観たことがあるが、ギターに触るのは最初の数秒だけで、後はディレイというエフェクターのノブをほんの僅かずつ動かすのみなのだが、演奏の最初と最後で、全くちがう音響に変化している。最初はギターの音なのだが、最後はもう全然別の、たんなるフィードバックになっている。
 この人はこれを長い時間をかけて構築していくのだ。
 ライヴ中も、眠っているわけではないのに意識が飛んでしまうことが何度もあり、我に帰るたびに音の変化に驚かされるという体験をした。

 この様に人から時間の感覚を奪い、感じるか感じないかという程度の音の変化を与えることによって言ってみれば一種のトリップ感覚を与えるような演奏もある。

 上記、ふたつの動画で登場する人たちのライヴも私は経験したことがあるが、圧倒的であった。

 音量、音圧、フィードバックによって耳から猛烈な量の情報が一気に脳に押し寄せるため、思考が麻痺し、何も考えることができなくなって、全身から力が抜けていくのを感じる。これが30分から1時間の間ノンストップで行われるので、終演後はヘトヘトに疲労すると同時に、明らかにストレスの軽減を感じることができる。
 完全に熟睡した後にスッキリと目覚めるあの感覚以上の爽快感が残る。

音源として

 この人も1990年代から活躍されていて、界隈では世界的に有名な方なのだけどある日、この人の音源を聴きながら眠ったところ、ものすごく深く眠ることができた。このすさまじく騒々しい音を聴きながらである。
 10年ほど前のこの時期、不眠になり薬を飲んでも眠れなくなっていたので、救われたような気がした。

 ノイズの音源には前述のとおり、規則性も繰り返しもないので、マンネリ化しにくいという特性がある。
 バロウズのカットアップ作品や、ジョイスの意識の流れで書かれた作品を読んでいて、栞を落としてしまうとどこまで読んだのかわからなくなってしまうというアレである(笑)
 本当に繰り返し繰り返し長期間にわたって続ければどこかで飽きは来るのだと思うが、一般的な音楽とは比較にならないスパンである。

意味を放棄する

 以前も何かで投稿したと思うが、私がノイズを演奏していた時に、とある自称「前衛芸術プロデューサー」から、「こういう活動をすることになんの意味があるんですか?」という質問を受けたことがある。
 返事は「意味はない」の一言である。

 単なる「音楽」としての体裁を整えて始めて意味を持つのが「音」である。しかし、意味を持った「音楽」以上の情報量を一気に放つことが「音」には可能なのである。

 疲れてしまったのなら、強制的に休ませてしまうことだ。


神よ、神よ、何故我を見捨てたのかエリ・エリ・レマ・サバクタニ?」

 問題があるのは神ではないし、見捨てられたわけでもないのだ。
 よく、スマホやPCを閉じて情報を遮断させる「デジタル・デトックス」というような事をいわれるが、要するにこれと同じことなのである。
 音楽ではなく音という、意味を放棄した原始の表現を浴び、自らを侵害する情報を強制的に遮断することで救われるという人もいるということだ。
 もちろん誰でもというわけではないし、好き嫌いがあるのも承知している。
 だが、思考を閉じて感覚を開くことには、精神を安定させる一定の効果があると、私は思っている。
 それをやや強引に実行する手助けをしてくれる手段のひとつがノイズなのではないかとも。

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