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迷宮happy?

迷探偵でその名も高い万画一道寸(まんがいちどうすん)が警視庁捜査一課の小泥木警部(こどろきけいぶ)に呼び出されたのは、六月のしょぼしょぼ雨が降る梅雨の最中であった。
大森の山の手にある割烹旅館『潮月(ちょうげつ)』の離れに間借りさせて貰ってる万画一は出掛けに女将さんに呼び止められ、番傘を差し出された。しかし、万画一はさっと空を見上げると、
「いやいや、この程度の雨なら、そんなもの必要ありませんや。あっはっは」
と言って愛用のお釜帽をくるりんぱと頭に被ってにっこり笑うのであった。
「まあ先生ったら、万が一この後大降りになったら、どうすんのですか?」
「あ、上手い、それ、ぼ、ぼくの名前ですよ。あつはっは」と微笑み、そのまま往来に飛び出したのであった。
その時にはこの後、難解極まる迷宮入り寸前の事件が待ち構えているとは、経験豊富な彼でさえ思いもしなかった。

警視庁捜査一課の会議室に到着すると早速、小泥木警部が万画一を迎えた。
「万画一さん、お忙しい所をどうもすみません」
「いやいや、ぼくなら大丈夫ですよ。それより、何かありましたか?」
「それが、お聞きになっとりませんか? 今世間を騒がせとるアイドルの密室殺人事件ですよ」
「何ですと! 詳しくお話して頂けませんか」
「もちろんですとも、殺されたのが足草の演芸ホールで今一番の人気者、花柱京(はなばしらきょう)と言います。これがブロマイド写真です」
万画一はそれを手に取って繁々と眺めた。
「ほう、なかなかの美少女ですね」
「そうです。そうです。何しろホールに行く大抵の男どもは彼女が目当てでしたからな。そりゃ相当な人気でしたよ」
「で、その子がどのようにして?」
「ええ、それが……」
小泥木警部からの説明は大体次の通りであった。

事件は今から遡ることひと月程前の事になる。
花柱京は足草演芸ホールの楽屋で絞殺された状態で発見された。
第一発見者はマネージャーの小杉吉郎(こすぎよしろう)。彼はリハーサルの時間が来ても楽屋から出て来ない京を呼びに行ったら、部屋には鍵が掛かっていて、ドアを叩いて何度呼び掛けても、まるで返事がない。
そこで外出していた支配人が帰るのを待って、スペアキーを使ってドアを開けて貰った。
すると部屋の真ん中で紐の様なもので首を絞められて京は倒れていたという。
楽屋には他に出入り口は無く、窓も内側から鍵がしてあり、完全な密室状態だったという。
密室の謎はともかく、殺害の動機のありそうな者を数人絞り出した。
先ずは、マネージャーの小杉。京とは一時恋愛関係にありながら最近京に別の恋人が出来て別れたばかりとのこと。
その新しい恋人というのが演芸ホールの運転手、又吉悠(またよしゆう)という男。恋愛関係が上手く行ってたかどうかは誰にも分からない。
そしてもう一人、京と同じアイドルで人気ナンバーワンの座を争っていた田辺道子(たなべみちこ)。
道子は人気面で京に差をつけられていたという。
だが、この3人には全員完璧なアリバイがあり、指紋だとか、重要な手掛かりも得られず、捜査は難航し、このままで行くと迷宮入りかと言われているところだという。

「ま、こんな訳です」
小泥木警部は額や首筋に浮かんだ汗をハンカチで拭いた。
万画一は思考を巡らせる様な素振りを見せて、
「その絞殺に使った凶器はなんですか?」と尋ねた。
「あ、それがこちらです」
と小泥木警部が差し出したものは、なんと縄跳びのロープだった。
「これが……、どうしてこんなものが」
万画一はそれをまじまじと手に取って眺めた。
「それは、彼女達はステージ上で激しく飛び跳ねてダンスをするもんですから、トレーニング用にいつもレッスンルームに置いてあると言うんですな。
レッスンルームというのは、楽屋の隣にあって、少し広いフロアなのですが、いつでも出入り自由で、縄跳びもたくさん常備されており、すぐに取り出せるものだという事です」
その縄跳びのロープの部分は麻紐かなんかで出来ており、これでキツく絞めると結構強い力が加えられる。
「でも、これ、首を絞めるには少し細すぎやしませんか?」
「あ、これをですね、二重に巻き付けてあったらしいです。そうするとより強力になりますから」
「あぁ、そうですか、なるほど……、縄跳び、ダンス、二重、ね」これらのキーワードから何か思い付くものはないかなと万画一は呟いてみた。
でも、それだけでは何も思い付く筈も無く、
「そうですか。では、とりあえず、現場を見せて貰えませんか」と、言った。

そんな訳で、万画一探偵と小泥木警部は足草演芸ホールへ向かう事となった。

足草演芸ホールの支配人山中武司(やまなかたけし)は50歳前後のでっぷりと太った男だった。
「今、ウチは常時20人程のアイドルタレントと契約してるんです。彼女らは単独の歌手でもあるけど、ここの舞台じゃチームになってダンスを披露したりレビューを繰り広げますから、月に何度かは集まってレッスンをしてますよ。ホールでは『足草20(あしくさにじう)』というアイドルユニットで、もっか売り出し中なんですよ。知りまへんか?」
山中は関西出身らしく訛りのある言葉遣いで説明をした。
万画一は芸能関係には疎かったので、アイドルの事は何も知らなかった。
「花柱京はそのセンターを担う一番の人気者だったから、こちらにとっては大きな損失ですよ」
と山中は心底残念そうに呟いた。

花柱京が殺された現場は今も封鎖されており、死体発見当時のままの状況が保存されていた。
部屋の中は警察の手によって厳重に調べられているので新しいものが発見出来るとは到底思えなかったものの、万画一は万が一秘密の抜け穴でもないものだろうかと壁や天井、床下などを念入りに調べてみた。
しかし結局、徒労も虚しく何も発見する事は出来なかった。

「時に警部さん。ドアの鍵は内側から掛けられるんですね」
「そうです。そうです」
「それで、その時部屋の鍵は、どこに?」
「ここに倒れていた花柱京のすぐ横に転がっていたんですよ」
「何? それは本当ですか? それで、スペアキーはいつもどこに置いてあるのですか?」
「全ての部屋のスペアキーは支配人室に保管してあって、支配人以外が手にする事はないというのですが、たまたまその時、支配人の山中はホールに居なかったと言うんです」
「どこに行ってたのですか?」
「昼飯を食いに出ていたという事で、ちゃんとウラも取ってあります」
「その時スペアキーはどこに?」
「裏口横の支配人室の壁に掛けてあったというんてす」
「じゃ、誰でも手に取れる場所ですね」
「そうです。そうです。だけども、それを取りに行ったり戻しに行ったりすると掃除係の婆さん、名前を渡辺照子と言いまして、その婆さんがいつも目を光らせているんで、その目を盗んでスペアキーを取りに行くのは不可能だという事です」
「そうですか、なるほど、あ、あのう、支配人さん、あなたが昼食から戻られた時、誰かがスペアキーを動かした様な形跡はありませんでしたか?」
万画一は支配人を呼び寄せ、そう質問した。
「いや、何も、おかしな点はありまへんだな」
それを聞くと万画一は背を向けて、
「そうですか、なるほど、う〜む、そうなると、共犯という可能性があるかも知れないな」
と独り言をボソボソと呟いた。
「どうですか? 万画一さん。何か分かりましたか?」
「いや、まだ何も分かりません」
万画一は頭の上の雀の巣をモジャモジャと掻き回し始めた。
今度ばかりは小泥木警部もお得意のフレーズ、「よし、分かった」を使う事も出来ずにイライラがつのっていた。

「とりあえず、マネージャーの小杉さんに会いましょう」
万画一はそう提案した。
「分かりました」
小泥木が小杉に連絡を取るとこれから足草に向かうという。そこで小泥木達は臨時の捜査会議室をレッスンルームに設けて、小杉の到着を待つ事にした。
その間に万画一はふと思い付いて、裏口横にある支配人室を覗いて見た。
暗い廊下の先、裏口に出る直前の右横にその部屋は有り、机と電話があるだけの狭い部屋だった。壁にはスケジュール表やら例のスペアキーが吊るされていた。棚には支配人が書いたとみられる関係者の住所録などがあり、パラパラと万画一はそれを開いてみた。
特に変わった点も見つけられず、戻ろうとしたその時に、掃除係のお婆さんと出会った。
薄汚れた割烹着姿で日本手ぬぐいで頰被りして、ゴム手袋を嵌めて箒を手にしている。
婆さんは生活臭溢れる一種独特の雰囲気を周囲に漂わせていた。
殆ど90度近くに腰を曲げているので、顔はよく見えなかったが、頬のシミやほつれた白髪を振り乱しているのが印象的だ。
万画一がその横を通り抜けようとすると、
「あんだ誰ね?」と突然口を開いた。
「い、いや、ぼ、ぼく、探偵の万画一です」
「んだが」
婆さんはジロリと鋭い目で一瞥すると、曲がった腰でよろよろと裏口に向かい掛ける。
万画一はふと思い付いて、
「あのー、ちょっと……」
と声を掛けてみた。

部屋に戻った万画一は待機する小泥木に、掃除係のお婆さんに会った話をした。
「事件当日に管理人室へ出入りした者はいなかったかと訊いてみたんですけどね」
「で、どう答えました? あの婆さん」
「いやね、誰も見ておらんの一点張りですよ」
「そうでしょう。あの頑固婆あめ、でも、どうせ、何も出て来んですよ。ちょっとおつむが弱いらしいですから。仕方ない」
小泥木警部は渋面を作った。

やがて、マネージャーの小杉が足草演芸ホールに現れた。
「忙しい所をすみません」
万画一は頭を下げた。
「事件の事ならもう全部警察に話しましたけど」
小杉は眼鏡を掛けたインテリっぽい風貌で、プライドが高そうな男だった。
「率直にお伺いしますが、あなたと京さんのご関係ですが、新しい恋人が出来て、彼女を恨んでいましたか?」
「いや、別れた後の事なので、恨んではいませんが、個人的には面白くないのは事実です。でも、だからと言って殺しだなんで、京は売れっ子でしたからビジネスとしても損失ですよ。こちらにとっては」
と未だ憤懣やる方ないと言った表情で小杉は息巻いた。
それから当日の様子やそれまでに誰かに殺害を匂わせられる様な出来事は無かったかと万画一は尋ねてみた。
「例えばですね、ストーカーまがいの異常な執着心を持っているファンの方とか、あるいは誰かに誹謗中傷を受けていたとか、そんな事は有りませんでしたか?」
「いいや、そんな話は聞いた事ありませんよ。もちろん追っかけするファンはいましたが、そこまで過激な事は無かったですよ」
「なるほど、ところで、京さんが楽屋で一人でいた時、あなたはどちらに?」
「楽屋とは反対方向のホール前でポスターだとか、グッズ販売の準備をしていて、楽屋の方の事は何も知らなかったんです」
「そうですか、その事を誰か証明出来る人はいらっしゃいますか?」
「事務所のスタッフが数名いました」
「ええ、その件は確認済みです」
小泥木警部もそう答えた。
結局、小杉からはそれ以上、真新しい収穫は何も得られなかった。

次に呼び出したのは運転手の又吉悠である。
なかなかの好男子ではあったが、線が細く、頼り無げな様子であった。
又吉は殊勝な態度で慇懃に頭を下げた。
「あなたと京さんのご関係についてお訊きしたいのですが」
「はあ、なんなりと」
「恋人同士であったとか」
「はい、そのつもりでお付き合いさせて頂いてました」
「きっかけはあなたの方からですか?」
「はい、京は移動の際、運転手にいつも私を指名してくれまして、車内でいろいろお話しする内に私が惚れてしまいまして、小杉さんとお別れした事を聞いて交際を申し込みました」
「なるほど、それで、お二人の間で揉め事の様なものは、何かありませんでしたか?」
「いいえ、とんでもないです。京はアイドルとしてスター街道まっしぐらでしたが、本当に性格の良い子で、交際は順調そのものでした」
「では、京さんが殺害されて、あなたは、どんな思いでしょうか?」
「言うまでもないですよ。こんな悲しいことはありません。一刻も早く犯人を捕まえて欲しいと思っております」
「ふ〜む、ところで事件当日、あなたは何をされてましたか?」
「はい、午前中に京を迎えに行き、ホールへ送り届けた後、ガソリンスタンドに向かい給油と車の洗車をしておりました」
「万画一さん、その件も警察の調査で間違いない事が確認されております」
「そうですか、ではもう一つお聞かせ下さい。亡くなる直前、京さんに何か変わった点はありませんでしたか? 例えば、誰かに脅されていたとか?」
「いやあ、全くいつも通りで、そんな風には見えませんでした。何も思い当たる事はありません」
その言葉に嘘はない様だった。

その次に京とライバル関係にあったという、アイドル田辺道子が現れた。
さすがにトップアイドルだけあって可愛い顔をしている。ややポッチャリしている所も逆にそこが男性受けしている要因らしい。
「田辺さん、あなた花柱京さんが亡くなって、センターに抜擢されて、万々歳でしたね」
万画一がこう話し掛けてみると、田辺道子は血相を変えて、
「何いってるだべやー、オラァー、京とは大親友なんだべさー。探偵さん、オラのこと疑ってるのか? それはちょと酷いべやー。こんなに京が居なくなって悲しんでんのにー」
と、泣き喚くのだった。
「あー、ごめんごめん、悪かった。そんなことは思ってないから、どうか落ち着いて」
と万画一も慌てて宥めに回った。
「けれど、あなたのお父さんもお母さんも喜んでいるんでしょう? あなたが活躍して」
「なあに言ってるだべか、オラにはおっ父もおっ母もいねえから」
「そうなの? じゃ、誰に育てて貰ったの?」
「小ちゃい頃から親戚の家を転々としてたからあ」
「そうなのか、君も苦労してるんだね。さあ、分かったから泣かないで、もう行っていいよ」
田辺道子は見た目も中身も可愛い健気な娘であった。
「警部さん、調書によると田辺道子は事件当日、別のスタジオで写真撮影をしていたとの事ですね。それは間違いありませんか?」
「ええ、そこは念入りに調べました。田辺がそのスタジオを抜け出す機会は全く無かった模様です」
「他に容疑者は居ませんか?」
「その日ホールにいたスタッフや関係者は全員当たってみたのですが、特に何の動機も決め手も無く、お手上げ状態なんですわ」
小泥木警部は弱った顔をして、その身を小さくした。


結局、何の成果も上げられず、小泥木警部と万画一道寸は足草演芸ホールを後にしようとしていた。
迎えの車を待つ間、小泥木警部はずっと顰め面を浮かべたまま、降り続く雨を眺めていた。
「どうしますか、万画一さん、署の方に戻りますか? それともどこかで一席設けますか?」
「あ、いやいや、僕ねちょっと用事を思い出したもんですから、どこか途中で降ろして頂けますか?」
「え、そうですか。それは別に構いませんけど、今日はすみませんでしたね。雨の中だと言うのに。しかし、この様子だとこの事件は、やっぱり迷宮入りですかねぇ。密室トリックの謎も解けないし……」
小泥木警部はため息を漏らした。
「はあ、それは、何とも……」
と、万画一もため息をついた。


それから一週間程経った頃、小泥木警部は万画一道寸探偵から足草演芸ホールに来て欲しいと呼び出しの連絡を受けた。

その日、足草演芸ホールのレッスンルームに集められたのは、警察側として、小泥木警部とその部下2人、そして、事件関係者として、被害者花柱京のマネージャーで元恋人の小杉吉郎、ホールの運転手であり現恋人の又吉悠、それと、演芸ホールの支配人の山中武司、それから、山中支配人の斜め後ろに小さく掃除係のお婆さんも控えていた。

万画一探偵は、全員集まった所を見計らうと、コホンと咳払いをして、
「さて、今回の事件は……」と話し始めた。

「ま、万画一さん、まさか、犯人が分かったとでも仰るつもりですか?」
「ええ、もちろんです。警部さん」
「え、そうなると、密室トリックの解明も?」
「あっはっは、あれは密室トリックと言えるほどのものではありませんよ」
万画一探偵はモジャモジャ頭をポンポンと叩いて、にこやかにそう言い放った。
「えっ、では、どういう訳で?」
「いや、簡単な事ですよ。犯人は縄跳びの紐で花柱京さんの首を絞めた後、スペアキーを使って鍵を掛けたのです」
「え? 一体、誰が?」



「犯人は田辺さんです」




全員が息を呑んで周りを見回した。
そう言えば、関係者でありながら田辺道子の姿だけが見えない。
「田辺道子が犯人だったのか!」
「田辺道子はどこへ行ったぁ?」
小泥木警部が叫んだ。


「いえいえ、そうではありません。警部さん、落ち着いてください」
万画一探偵は目をしょぼしょぼさせながらそう言った。
「で、でもあなた、今、犯人は田辺さんだと……」
「はい、田辺は田辺でも田辺道子ではなく、田辺照子さんの方です」
「え、誰? それ?」
小泥木警部と部下の2人は慌てて事件調書の書類を捲って当該者の名前を探した。
そんな名前あったっけ?
「犯人はここでは偽名を使ってます。というか本名に『わ』を付け足してるだけですけど」
「田辺に『わ』を付け足す? わ、たなべ、わたなべ?」
警察のひとりが気付く。
「渡辺照子! あの掃除の婆さんか!!」
「何だと! 掃除係の婆さんだと!」
大声を上げたのは小泥木警部だ。
みんなの目が片隅で蹲る様に座っている掃除係のお婆さんに注がれた。

「田辺……照子さん、それがあなたのお名前ですね」
掃除係のお婆さん、いや、田辺照子は項垂れながらも、観念した様に静かに立ち上がると頰被りを外した。
顔の肌艶やシミ、白髪が目立つものの腰を曲げずに背を伸ばして真っ直ぐに立つと、思っていたより若い女性である事に気付く。まだ50歳前後くらいだろうか。
「田辺道子さんはあなたの娘さんですね」
えっ? またもみんなが目を見開いて掃除係を見る。
「はい」
田辺照子は静かに頷いた。
「あなたが娘さんをどんな事情があって手放してしまったのか、ぼくは知りません。だけど、花柱京さんを殺害したのは、道子さんを足草20のセンターに立たせるためですね」
田辺照子は静かに嗚咽して、
「本当にオラはバカなことをしてしまっただ」
と項垂れた。

「万画一さん、あなた、どうして、この人が田辺道子の母親だと判ったんですか?」
小泥木警部は驚きを隠せず万画一に尋ねた。
「先ずは、言葉遣いです。二人とも東北訛りのイントネーションがありました。それで、管理人室にあった住所録で渡辺さんの現住所を見て、後は役場で田辺さんの謄本を取り寄せたのです」
「それで、二人が親子だと調べが付いたのかね」
「まあねぇ」
万画一はモジャモジャ頭を手で撫でようとして指先が縮れた毛髪に引っかかってしまった。

「あんた、偽名を使っていたのか?」
小泥木警部は照子を睨んだ。
「いんや、おらはちゃんと、支配人に名前さ訊かれて、おらはたなべてるこだべって言ったさー」
「そうなんですよ、警部さん」
「どういう事ですか? 万画一さん」
「管理人室の名簿は、山中さんが直接その都度相手から名前を聞いて書き込んでる様なのです。字を見て分かりました。それで、照子さんが、おらは、たなべてるこだべと言ったのを、おら、わたなべてるこだべって聞き間違えたみたいですね」
「この婆さんの言葉は聞き取りづれえんだよ!」
山中支配人は激昂して吐き捨てた。
「なるほど、そういう事か、そいつは盲点だったわい」
小泥木警部は部下に目配せして、田辺照子が逃げ出さない様、部屋のドア前に立たせた。

「もう一度お訊き致します。田辺照子さん、あなたが花柱京さんを殺害しましたね」
万画一探偵の言葉に、
「はい、間違いねえだ。あん子さえ居んければ、道子はこん世界でやって行ける、そう思ったべや」
田辺照子はそう告白した。
「そんな事をして、娘さんが喜ぶとでも思っていたのかね?」
小泥木警部が訊いた。
「本人が喜ぶとは思わねえけんども、結果的にそんで将来が開けるんだら、親として、最期にそれだけはしてやりたかったべや。そうすりゃあん子はひとりでも大丈夫だべさ」
「最後とは? どういう意味かね?」
小泥木警部の質問に、万画一が、
「あ、警部さん、その件に関しては、後ほど、それより、照子さん、事件当日、あなたの取った行動をここで仰ってください」

田辺照子は少し居住まいを正して語り始めた。
「はい、あの日、花柱さんが楽屋に一人でいて、管理人さんが昼食に出掛けられて、他には誰もいなくなったべや。そんな幸運な巡り合わせに、何か運命的なものを感じたべさ。このチャンスをモノにするしかねえ。もうそれ以外の事は考えられんべさ、オラに何か悪魔の様なもんが乗り移っただ。けんど最初は話をするだげのつもりだったべや……」
「それで?」と小泥木警部。
「ところがオラの様なもんが、道子の母親だと知ったら、花柱さんは笑い出したべや。こんネタで道子の人気は失落するとな、オラをなじったべや」
「花柱がそんな事を言ったのかね!」
「へぇ、そんで、つい、カッとなってしまっただ。そんで、そんで、気ぃ付いたら、傍にあった縄跳びの紐で、あん子の首っ玉を、オラは絞めてただ」
万画一探偵は静かに目を閉じた。
小泥木警部はふうっと息を吐いて、
「密室にしたのもあんたの仕業か?」と訊いた、
「少しでも発見を遅らせようと、探偵さんが言われた通り、スペアキーを使うてドアの鍵を閉めた、それだけだべさ」
小泥木警部ははっとした。
「指紋が発見されなかったのは、そのゴム手袋のせいか!」
「あ、こではいつも嵌めてるから」


とその時、突然、部屋のドアがバタンと開いた。
そこに居たのは、田辺道子だった。
「な、なんて事したんだ……」
茫然と青い顏をしている。唇がわなわなと震えて、言葉が出て来ない。
「み、道子さん、い、今の話を全部聞いていたのかい?」
万画一が驚いて問い掛けた。
「万画一先生がオラだけ呼ばずにみんなを集めてるって人から聞いて、変だなと思ったべや。だから来てみた」
「道子くん、君はこの人が君のお母さんだということは知らなかったのかね?」と小泥木警部。
「うすうす、感じてたんだべ、でも、でも、こんな事するなんて、バカ、バカ!」
と道子は照子に殴りかかる。
ドア付近に待機していた警察官の2人が慌ててそれを止めて引き離す。


パトカーが到着した。
小泥木警部は万画一探偵に深々と頭を下げた。
「万画一さんありがとうございました。事件は無事解決しました。では犯人を連行致します」
照子の方はチラッと道子に目をやったが、結局、最後まで何も言わずにパトカーに乗せられ、連れて行かれた。
道子はそれを茫然と見送っている。
万画一探偵は田辺道子の肩に手を置き、優しく語りかけた。
「お母さんは癌を患っていてね、もう長くはないそうだよ。もちろんそれで許される事ではないんだけど、君だけはお母さんの気持ちを無にしないであげて欲しいんだ」
すると道子は潤んだ瞳で、
「もうオラはとっくの昔におっ母に別れを告げているから、大丈夫っす」と答えた。

「そうか、これから君はしあわせをいっぱい作れる人になるんだろうな」
「探偵さん、そうなれば、最高だべやー」
そう言って、道子はキラリと瞳を輝かせた。


終わり


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