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『さよなら』を言う前に

 拝啓、愛しい人。どうしていますか。
あなたは今でも、東京のどこかで暮らしているのでしょうか。それとも、すでに遠い他国へ旅立ってしまいましたか。それがあなたの夢でしたものね。そして今はしあわせなのでしょうか。

 あの日、思いがけなく東京駅に見送りに来てくれたあなたの姿が、今でも目に焼き付いて離れません。3月にしては珍しく雪が舞い落ちる、そんな日でしたね。新幹線を待つホームであなたはひらひらする雪を手で掴もうとしては、全然掴めないやって、照れ笑いを浮かべてた。そんなあなたの髪の毛にちらほらと雪の結晶が乗っていて、わたしはそれをぼんやりと見てました。

 故郷に帰って小さな子供の先生になると告げた時、わたしを責めようともせずに、あなたはほんの少しだけ寂し気な表情を浮かべて軽く微笑み、いいねと頷いてくれました。あなたの夢に寄り添えられないのは残念だったけれど、わたしは自分の描いた道を捨てられなかった。

 だけど、もしもあの時、あなたに強く引き止められていたなら、わたしはどうしていただろう。心の底ではそう願ってはいなかったか。

 ねえ教えて、本当にわたし達は恋をしていたのかしら。あなたと過ごした日々はどれもキラキラとして今も輝いて見えるけど、いつもあなたの瞳がわたしを通り越して別の景色を見ていることに、わたしは気付いてました。それはわたしを抱いてくれているその夜の瞬間でさえ、消え去りはしなかった。思い出すたび、どこか遠くを見つめるあなたの横顔だけが目に浮かびます。

 実際にあなたがわたし以外に数人の女性達とお付き合いをしていることを知っていました。そんなことは必死に耳を塞いでいても、運動靴に沁み込んで来る雨水みたいに、噂は勝手に忍び込んで来るものです。でもそれが許せなかった訳ではありません。

 ただあなたの瞳にわたしが映っていたのかどうか、それを知りたくて、わたしは時々あなたを試すようなことをしてしまいました。仮病を使ったり、他の男性と遊んでいるフリをしてみたり、用もないのに突然気まぐれに約束を反故にしたり、それらはすべてあなたの反応を見たかったからです。

 結論から言うとそんなわたしの小さな企ては、すべて無駄骨でしたね。ひらひらと春風に舞う桜の花びらみたいに、いつもあなたは爽やかで何も気にせず受け流してしまいました。それはやさしさだったのでしょうか。それとも、他の子達ともよくある些細な日常だったのでしょうか。

 新幹線がホームに入って来て、じゃあねと言って、わたしは7号車に並ぶ列に加わりました。車輌に乗り込むまでのほんの短い間、わたしはあなたの視線を痛いほど背中に感じていたのですよ。鳴り響くサイレンの音の隙間を縫って、どこからかわたしを呼ぶ声が聴こえた気がしたのは、その街で暮らした年月が別れを告げる叫び声だったのかも知れませんね。

 本音を言えば、あなたと一緒に旅をしてみたかった。それが出来なかったのは、わたしのつまらない意地と変なプライド。どうして素直になれなかったのだろう。そうすればもっとあなたの愛を独占できたのに……

 ああ、今更こんなことを書き綴っても仕方のないことですね。最期のお知らせです。わたしはあした結婚することになりました。過ぎ去った季節に想いを馳せるのはもうこれでやめてしまおうと思います。

 わたしがこの出すあてのない手紙をしたためているのも、過去のわたしにお別れを言うためです。それでもわたしは最後にこれだけは言っておきたい。

 わたしはあなたを愛していました。それは湖のような静かで深い愛情でした。
 心からあなたのしあわせを祈っています。永遠に。

敬具
 

 手紙を書き終えた私は、それを小さく折りたたんでパステルカラーの封筒に入れ、引き出しの奥深くへ仕舞った。その時ふと、目にしたものがある。白い小さな袋。それは以前、貴方から渡された旅のお土産。中を覗いてみるとピンクの勾玉の形をした綺麗な御守り。その御守りとともにそこに一枚の紙切れがある。開いてみると懐かしい文字。書かれている文字をひとつひとつなぞってみる。もうその言葉は何度も私の瞳の奥で繰り返され、すっかり覚えてしまっている。
 
『いつかサチにしあわせが訪れますように』
 
 次第にその言葉は貴方の声となって私の胸に響いた。しかし、その言葉はその時の私を悲しくさせた。なぜなら、私のしあわせは貴方と共に生きることだったから。傍にいるとしあわせでもあり、同時に悲しくもさせられる存在。それがあの頃の貴方だった。


 貴方が別の女性達と旅に出ていたことを後で知った。その時になって私は思い出す。ふたりで旅に出よう。そんな言葉を以前に聞いた時、私は俄かにその現実性に戸惑い、試験が近いからという理由で一旦断ってしまったのだ。

 結果、貴方は旅の相手に別の女性達を選んだ。私の知らない間に。その事実を知った時、私の心は一度死んだ。

 私は悔いた。もしもあの時、別の答えを出していたら、違う未来に出逢えたのかと。そしてあなたには、何故、と問いただしたい気持ちもあった。でも、私はそれをしなかった。貴方の瞳に映る世界に、私がいないことを感じてしまったのだ。貴方は旅をする人。私はそうではなかった。それだけのこと。

 貴方とその女性達に何かあったのかどうかは知らない。けれど、男女を問わず貴方はいつもたくさんの友人達に囲まれていた。それが貴方の魅力でもあったから。

 今になって思う。貴方という人間の広さを、あの頃の私は受け止めきれなかったのかなと。
 手にした御守りを握り締めながら、本当は私の方が大きな愛で包まれていたのではないかと、そう思えてならない。

 私は何気なくその御守りを袋に戻そうと持ち直した。その瞬間、初めてその裏側に書かれた文字に気がついた。
『幸』と書かれたその文字は、それが幸運をもたらせるための御守りだったから。
 それと同時に、サチという私の名前を表す漢字でもある。
 貴方がこの御守りを選んだのは、そういう理由もあっての事かと、
それを今になって……。
 私は両手を強く握り締め、唇を噛んだ。

 動き始めた新幹線の車窓から、ホームにいる貴方の顔が見えた。その眼差しが、その口元が、何か動いたような気がしたのは、春という季節のせいなのか。何もかもが蒼い季節の物語であったような気がする。

 愛しい人よ、どうかしあわせに暮らして欲しい。それを傍にいて見守れなかった私の下した決断が、悔恨となってこの胸を過ぎって止まない。
 あした嫁ぐはずの私ではあるものの、そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。
 
 
 




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この作品は、

「拝啓、愛しい人。どうしていますか。」

で始まり、

「そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ」

で終わるという、

Twitterのタイムラインに流れて来る
「診断メーカー」に出た結果に従って、創作を試みた作品です。


フォロワーさんがこれに挑戦されていて、私もチャレンジしてみたくなったので書いてみました。

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