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北千住の片想い

毎年、夏が来るたび、思い出すことがある。
それは僕がまだ若い頃、将来の夢や展望を何も描けず、来る日も来る日もただ流されるまま漂い続けた日々。

伯父の紹介で就いた駅員の仕事もただ忙しいだけで、そこにやり甲斐や将来の夢など全く何も浮かんで来なかった。ただ目まぐるしい激務に神経すり減らし、疲れ果てては何をする気も起こらず、職場と一人暮らしの安アパートを往復する、そんな毎日だった。

そんな中で僕は漠然とこんなことを考えていた。
自分は何のために生きているんだろう? 
自分が生きる意味とは何だろう。
そんなことを闇雲に考えては、虚無的に時間ばかりを浪費させていた。

そんなとき、僕の目の前に現れたのが、長い黒髪をなびかせた、あの日の君だった。

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

それは空がまだ青い夏のこと
僕は北千住駅の改札を前にした所で
Suicaを忘れ、途方に暮れる君を見た
半袖の白いシャツから覗いた
細い二の腕は清らかだった

美大生だと思われる君は
いつも大きなキャンバスを抱え
プラットホームの端で
人の波を避ける様に
小さな吐息をひとつ吐いたね
その横顔は幼い少女の瞳だった

いつも何かに頑張っている
それは僕にもよく分かってたよ
君は君が思うほど孤独じゃないから
何かをすり減らして
生きている事になんて
気が付かない
そんな危うさを僕は感じていた

一度でいいから
君の描いた絵を
この目で見たかった
君の目に映った
この世界は
どんなだったの
夕焼けの色は
どんな色をしてた?
それとも
空はいつまでも
青いままだったのかな?


僕は電車が走り過ぎるのを見届け
いつもの様に職務に戻る
その中に君を見つけては
日々の安寧の糧にしてたんだ
それを生きがいにして
僕の生活は成り立っていた
君と同じ夢を見たかった
僕もまだ青い空を見てたから


君の姿が消えた日
僕は自分の犯した失敗に
どれほど心を痛め
涙した事だろう
君に何があったのか知らないが
ホームから落ちて行く君の姿と
迫り来る快速電車
停止信号を送る僕の指先は
間に合わなかった
とうとう最後まで
僕たちは出逢えなかったね
こんなに恋していたのに
サヨナラの言葉さえ
伝える事が出来ずに
君を亡くしてしまった


北千住駅のプラットホーム
僕はいつでも
君の面影を追いかける
今日も沢山の人たちが
夢を抱えて
未来行きの電車に乗り込む
その中にいつでも
君の姿を探してしまい
僕は一人立ち尽くす


あれから
長い長い日々が過ぎて
僕は仕事を辞め
今では
年老いた
ただの絵描き
毎日 毎日 
描き続けるのは
ただひとつ
空がまだ青い夏の日の
汗ばんだ君の横顔

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇

海を眺めながら絵を描いていたら、
近くで遊んでいた女の子がやって来た。
少し離れたところで母親らしき女性がさらに小さな子供の手を引いている。
時々ここで見かける親子連れだ。
「おじさん、どうして、海しか見えないのに、いつも同じ女の人の絵を描いてるの?」
その女の子は僕に訊いた。
「おじさんにはね、見えてるんだよ。この人の姿が」
「ふ〜ん」
僕の返事に女の子は分かった様な分からない様な顔をした。
足下に散らばった何枚かの絵に目をやり
「一枚ちょうだい」
と女の子は言う。
そこにあるのも全部少女の横顔の絵だ。
「いいよ。大切にしてね」と言うと、
「うん」と大きく返事して、大事そうに絵を一枚胸に抱えて母親の元へと走って行った。

その後ろ姿を見ながら
いつの日か、あの子が大学生になり
大きなキャンバスを肩に下げ
駅のホームに立つ未来を
僕はふと思い浮かべていた。

   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇
 

 出典
あいみょん
『マリーゴールド』
『ハルノヒ』
より


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