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月灯りのミウ  13/16

(第13話)マコトの話


突然の異動を言い渡されたのがおよそ3年前、そして今回また突然の異動で僕は再び東京に戻って来た。
この3年間は仙台の街で過ごした。仕事も日々の生活も可もなく不可もなく、何とは無しに過ぎて行った。
付き合った女性もそれなりに一人二人いたのだが、何か決定的なものが見出せずに、それきりになってしまった。
仙台の街自体は好きだった。杜の都と言われるだけあり、空や木々の緑は目に鮮やかだった。広瀬川の流れも歌にあるとおり、穏やかで人の心を豊かにさせてくれた。
そんな暮らしやすい街を去り、3年振りの東京。
ほんの少し見ない内に人も街も知らない顔をして通り過ぎる。この渋谷のスクランブル交差点、一度の青信号でどれくらいの人が行き来するのだろうか? 
これだけ人がいたらひとりくらい、覚えている人もいるかもしれない。だが多くの事柄は時間が経てば、忘れてしまっている。
僕は知ってる顔の誰にも会わず、雑踏の中をひたすら歩いた。

確かこの辺だったな。記憶を頼りにとあるJAZZ BARを探した。
この街に来ると妙な胸騒ぎがして仕方がない。
僕は今でもあの夜のことを思い出す。
ミウというセミロングの髪をしたスタイルの良い女性。そして彼女と体験したあの不思議な夢のような白いモヤが立ち込める不思議な空間への移動。
今でもあの事は現実の出来事だったのか、幻想だったのか判然としない。もう3年も前の話だ。

BARはすぐに見つかった。以前と同じ佇まい。店内もほぼ変わりはない。東京に戻ってようやく顔馴染みの友人に会った気分だ。
カウンター席に腰掛けハイボールを呑む。カウンターの横の壁にはダーツのボードが昔のまま取り付けてあるのに気が付いていた。
マスターにダーツで遊んでも構わないかと了解を取り、3年振りにそのボードに向き合った。
懐かしい感じだ。何投か投げて見るも調子は出ない。どうもコツを忘れてしまったようだ。なかなかボードに矢は刺さらない。

「良かったら俺にも一度させてくれないか」
と突然に声を掛けられた。
「あ、良いですよ。どうぞ」と僕は場所を譲った。
「一本でいいよ」とその男は言った。
男は狙いを定めるとサーっとその矢を放った。矢はボードの真ん中に突き刺さった。
「すごい!」僕は声をあげた。
「やってみろよ」その男は言った。
「えっ、僕ですか? いや遊びでやってるだけなんでダメっすよ」
あれ? 何だろ、この感じ……
ともかくラインに立ち矢を放った。
軌道は逸れたはずなのにボードの真ん中に吸い込まれるようにして刺さる。思った通りだ。
「あ、やった!」自然にそう言っていた。
「お、やるじゃん、マコト!」そんな声が飛ぶ。
誰が言った? 
誰が僕の名を知ってるんだ?
それにしても何だろ? 
この既視感は?
振り向くともう、男は居なくなっていた。

東京での仕事もまた可もなく不可もなくと言った感じで、特に嫌気が起こりさえしなければ当分の間はこの仕事を続けていける自信はあった。
週末には件のJAZZ BARにまた僕は通い始めた。
そんなある日、僕はJAZZ BARの入口付近に貼られていた広告類を何気なく眺めていた。
そして、その中にひとつとても気になるPOP広告を見つけた。

それはベーカリーショップの広告で、店名が『月灯りのミウ』と名付けられていた。
月灯り、ミウ、その2つのキーワードが僕の心を捉えた。
都内にいくつかチェーン店があるみたいだが、本店は案外ここから近いところにある。
今はもう夜だから閉まっているかもしれないので、翌朝、そっとその店舗を覗きに行ってみようかという気になった。
ベーカリーショップとミウのイメージがどうにも繋がらない感は拭えなかったが、どうにもそのネーミングは気にかかる。

翌日の午前、さっそく僕はそのベーカリーショップ『月灯りのミウ』に足を運んでみた。
この街並みに似合うオシャレな外観、テラス席などもあり、持ち帰りだけでなく、店内で飲食も出来るようだった。
適当な調理パンとクロワッサンの2つを選び、珈琲をオーダーした。店員は若い女の子でおそらく学生アルバイトだろうと思う。顔に見覚えはなかった。
ふと思いついてそのバイトの子に尋ねてみた。
「この店はいつオープンしたの?」
「あ、はい、たぶん1年くらい前だと思います」
「あ、そうなの。この『月灯りのミウ』という店名には何か意味があるの?」
そのバイトの女の子は、突然意外な事を訊かれて戸惑い、少し考えるふりをした。
「あ、私、バイトなものですから、詳しいことは、よく分からなくて、すみません。オーナーを呼びましょうか?」
「いやいや、ちょっと思い付きで訊いてみただけだから、構わないよ、大丈夫。ありがとう」
と、僕は手を振り、支払いを済ませてレジカウンターを後にした。

商品をトレイに乗せてテラスのテーブル席へと腰を落ち着かせる。
ふんわりとしたパン生地を両手で引き裂く、焼き立ての香ばしい香りがふわっとあたりに広がる。珈琲も良い豆を使っているのだろう。こちらも良い香りがする。口に含むとコクがあり、それでいてまろやかな味わいだ。
休日の昼下がりにこんな贅沢なひとときを過ごせるなんて、流石に東京の洗練された店舗だ。仙台にもそれなりにオシャレなカフェはたくさんあったが、この店のようにまるで一流ホテルの朝食を連想させるほどの焼き立てのパンを食する機会はなかった。
夢中になってふたつ目のクロワッサンに齧り付いたとき、ふいに肩を叩かれた。

えっ、と振り向いた僕の目の前に、現れたのは、白いシャツに茶色のパンツスタイルでセミロングの髪を頭の後ろでアップにまとめた女性。
それは紛れもなくミウだった。


続く


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