好きなことをする中で気づけること

私は結構な障害を持った母親に育てられてきた。
だけど、母自体は自分の障害や偏った価値観に
全く気づかずに生きている。

そのせいで、私も偏りが強いし、生きてく中で
様々な支障をきたすことがある。

母はいつも、とにかく決めつけて話をしてくる。
それを、私は受け取るしかなかったけど…。
それはもはや介護者というレベルでの受け入れ方だった。
だから、私はそういうことに抵抗がない。
そのおかげで、看護師という職業にも就けた。

私にとっては、言うことが一方通行で話が通じてない人
との会話には慣れっこで、それを医療の中では
コンプライアンスという言葉で表現したりする。

コンプライアンスが悪すぎるから、こちらの意図や説明が
全く通じていかないのだ。
そして、病気や怪我が悪化したり、生きづらくなっていたり、
家族に迷惑をかけていたりするのだけど…。
そういう人は実はとても多いと思う。

そもそも、物事の本質や意図とというものを
理解できるかどうかというのは、とても重要なことで。
そこがわかった上で、『納得できないから治療しない』
とはっきり伝えてくる人なら、方針が合わないという
だけで問題はない。
しかし、そこが分かっていなくて、伝えても理解できない
から自分の障害や疾病にも気づけず、頑なに持論で進む人
というのが、このコンプライアンス不良のひとなのです。

母は完全にコンプライアンス不良の、無自覚者で。
とんでもなく周りに悪影響を与えつつ生きている。

そういうことに、私が気づけるまでに38年が経過した。

ああ、だから私は看護師に抵抗がなかったのか…。
ああ、だから私は他人に話して無駄と思いこんでいたのか…。
ああ、だから私も頑なな部分があるのか…。

こんな風に少しずつ気づき始めることができたのは、
大好きなことを応援してくれる人と出会えたからだ
と思っている。

好きなことを続けることや、
夢を追いかけることの意義のひとつに、
こういう家族との間での大きな勘違いや
間違った価値観を改めさせてくれる効果
が確実にあると私は思う。


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