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毒親育ち専門セラピストほりごめさきの「こころの履歴書」 前編

こんにちは!
インナーチャイルドセラピストのほりごめさきです。

日々、セッションを通して、
クライアントさんと、さまざまなやりとりをさせていただいています。いつもありがとうございます。

そのやりとりの中で、
わたし自身が、どんな経験をして、
どんなことに苦しみ、悲しんできたのか、
そして、どうやってこころの傷を癒し、
苦しみを乗り越えてきたのか、
その過程を知りたい、という声を
聞く機会がありました。

そこで今回は、わたしが人生の各段階で、どんなことを経験し、
どんなことに傷ついてきたのか、赤裸々に書いてみようと思います。

それとあわせて、どうやってこころの傷を癒したのかお伝えすることで、
同じような経験をした方の助けになったらうれしいです。

セラピスト・ほりごめさきの「こころの履歴書」。

よければ、お楽しみください。

今回は、誕生から小学生時代を振り返ります。


誕生から幼少期 甘えられないお姉ちゃん

1986年11月。
宮城県で誕生しました。

育った場所は、
目の前に田んぼが広がり、
家の周りを木蓮、梅、柿などたくさんの木に囲まれ、
つばき、かたくり、すいせん、りんどう、茶の花など、
素朴な季節の花に彩られた、
自然ゆたかな田舎町でした。

家族は、祖父母、両親、妹、弟の7人です。

妹は、わたしが1歳半のときに生まれ、
誰もが、ふたごと見間違うほど、そっくりな姉妹でした。

妹と、とても年が近かったせいでしょう、
わたしはとても、乳離れが早かったようです。
母に抱っこしてもらえった時間も、短かったと思います。
母に甘えた記憶はほとんどありません。

このため、母との愛着関係がうまく育ちませんでした。

愛着障害という言葉があります。親などの特定の養育者との愛着形成がうまくいかないことで、対人関係や情緒的な問題をかかえたり、困難を感じやすいことをいいます。(くわしくは「愛着障害」という本をお読みください。)この本を読んだとき、愛着障害を持っているひとの特徴のほとんどが、当てはまることに気づきました。
乳離れが早く、母に甘えられなかったで、とても悲しくて、寂しくて仕方がなかったこと。この思いは、1~2歳のわたしが負った、こころの傷です。それを癒すために、当時の自分を抱きしめ、甘やかしてあげるイメージをたくさんしました。母がしてくれなかったことを、母に代わって、おとなの自分がしてあげる。そうすることで、甘えられなかった寂しさが少しずつ癒えていきました。


幼稚園のころ 友達も逆上がりもできない子

幼稚園に入園したころ。
友達がまったく、できませんでした。

いつもひとりでぼんやりして、
廊下をとぼとぼ、歩いていたことを覚えています。

母との間に、愛着関係がない育ったので、
他人とどうやって関わればいいのか、
わからなかったのだと思います。

これにくわえて辛かったことは、
友達ができない自分が恥ずかしくて、
なんだかとても、ダメな子になったような気がして、
そのことを家族のだれにも話せなかったことです。

つらく、寂しい気持ちをわかってくれるひとは、
だれもいませんでした。

幼稚園の先生は、やさしくも厳しい先生で、
「逆上がりができないと教室に入れません!」
みたいな、ことを、平気でいうひとでした。
他のみんなはすんなりできたのに、
わたしひとりだけ、できなかったのです。

もう二度と教室に帰れないんだ。
わたしひとりだけ取り残された、見捨てられた。
絶望感に襲われて、大泣きしました。


おとなにとっては、小さく、些細なできごとであっても、それを生まれて初めて経験する子どもにとっては、人生を左右しかねない一大事に感じられることがあります。逆上がりができないくらい大したことではないし、誰かを傷つけるわけでもない、そんなことで、人間の価値は左右されないし、二度と教室に帰れないわけない。おとななら、そう理解できます。でも、当時のわたしは、本当に自分が情けなくて、どうしようもないダメ人間のように思えて、先生が怖くて、心から怯えていました。
この傷を癒すために、まずは、その気持ちによりそって、共感してあげること。涙をふいてあげ、なぐさめてあげること。わたしはあなたの味方だよ、怖い先生から守ってあげるよ、大丈夫、ちゃんと教室に帰れるよ。そう、いい聞かせてあげること。逆上がりができるように、背中に手を添えて補助をしてあげるイメージもしました。誰かに甘えることのできないわたしが、おとなのわたしに甘えて、助けてもらう。イメージの中でそんな体験をたくさんさせてあげることで、こころの傷を癒していきました。


小学生のころ  クラスメイトの暴力

ひと月に一度は必ず風邪を引く、
体の弱い子だったそうです。

運動会など、行事の翌日は
必ずといっていいほど熱を出したと聞いています。

愛着に問題を抱えている子どもは、免疫力が低いという説があります。小学生のころのわたしを思い出すと、まさにその通りだなと感じます。また、「母に甘えたい」という思いを持ちながらも、それを言葉にできなかったため、病気になることで、母に甘えようとした、とも考えられます。
この場合、仮病を使ったとか、わざと風邪を引くようなことをしたとか、そういうわけではありません。当時のわたしは、愛情に飢えていました。愛されたい、甘えたい、抱きしめてもらいたいという、強い強い思いをいつも抱えていました。無意識の中にある欲求が、病気になるという現実を引き寄せていたのです。


当時、いちばんショックを受けたできごとは、
クラスメイトに暴力をふるわれたことです。

休み時間に、校庭の朝礼台の上で
友達とおしゃべりをしていたら、
突然、背中をドンッ、と押されて、
突き落とされてしまったのです。

頭を打ったらしく、その直後の記憶がないのですが、
気が付いたら、担任の先生に抱えられて、
保健室に連れて行ってもらっていました。
手足をすりむいて、顔にも怪我をしました。

その後、保護者同士でなにかやりとりがあったようですが、
わたしには、くわしいことは知らされませんでした。

暴力を受けたこと、怪我をさせられたこと。
このことで心も体もひどく傷つき、
怖い思いをしたのは、当然のこと。

けれど、それ以上にわたしを苦しめたことは、
それから7年間、暴力をふるったクラスメイトと、
同じ教室で過ごさなければならなかったことです。

人口の少ない田舎の町の学校は、1学年、1クラス。
中学に進級しても、クラス替えはありませんでした。

子どもにとって、学校は日常生活のほとんどを過ごす場所です。
前触れもなく、突然わたしに暴力をふるうかもしれないひとが、
いつも、同じ空間にいる。

小学生のわたしにとって、
どれほど、大きなストレスだったことか。
どれほどの恐怖を、毎日毎日、味わわされていたことか。
思い出すとぞっとします。

席替えで、となりの席になってしまったこともありました。
「この人のとなりの席はいやです!」
と、先生に訴えましたが、
が、その要望は聞き入れてもらえませんでした。

わたしの言うことは、ただの
わがままと受け取られてしまったのかもしれません。
けれど、当時のわたしは、
自分を守るために必死だったのです。

それからは、いつも緊張と不安、恐怖ととなり合わせの日々でした。

家庭でも甘えられず、学校でも気を抜くことができない。
表面上は平気なふりをしていましたが、
こころの中は本当に苦しくて、つらいばかりでした。


当時、わたしの周りにいた大人達は、思いつく限り、できることはなんでもしてくれたと思います。クラスメイトに対して教育的な指導があったでしょうし、両親は相手の両親に対して、伝えるべきことはきちんと伝えてくれたでしょう。それについては、感謝しています。
ただ、当時のわたしのつらく、苦しい気持ちに対する共感は、ありませんでした。わたしのこころのケアをするという視点が、抜け落ちていました。痛くて怖い思いをしたこと、そうした張本人と同じ教室にいるのは恐ろして、苦痛だったこと、その思いに耳を傾けてほしかった。わたしのこころを守ってほしかった。安心て勉強ができる場所を用意してほしかった。当時のことを思い出すと、そんな願いが浮かんできます。
その願いは、インナーチャイルドの願いです。その思いを、イメージの中で叶えてあげるというワークをたくさんしました。また、体が感じた痛みを癒すため、体をなでて、さすってあげるイメージもしました。緊張や不安は、体をこわばらせ、筋肉を固くします。それをじっくりとほぐしてあげることで、当時、わたしが感じていた恐怖心、緊張感を開放し、癒していきました。



それからのわたしは、
ちょっとだけ、性格が変わりました。

言葉がきつく、乱暴になり、
わたしを傷つけようとするものに
手を上げて、暴力をふるうようになってしまいました。

緊張感や恐怖心と戦って、克服しなくちゃ。
自分を守るために戦わなくちゃ。
無意識のうちに、そんな決意を
固めてしまったのだと思います。

その結果、クラスメイトを殴ったり蹴ったり、
たくさん、ひどいことしてしまいました。
正論を振りかざして、言葉のナイフで
友達を刺してしまったこともあります。

この場を借りて、謝ります。
傷つけてしまって、泣かせてしまって、本当にごめんなさい。

そうまでして、かたくなに自分を守らなければいけないほど、
当時のわたしは深く深く、傷ついていました。

恐怖心や緊張感、不安感と戦うため、怒りの感情を燃やしていたわたし。この気持ち癒したいと考えたとき、「もっともっと怒りを発散したい!爆発したい!」という気持ちがあったので、怒りの発散のワークをたくさんしました。枕を殴る、カラオケで大声で歌う、怒りの気持ちを乗せて、ノートに気持ちを殴り書きする。イメージの中ではもっともっと、過激に、派手に、怒りを爆発させました。
イメージで相手をやっつけるって、思っている以上に効果があります。アクション映画や血みどろのスプラッタ映画を見ると、すっきりしまた。怒りをぶつけたい相手を、けちょんけちょんにぶちのめしたい、血みどろになるまでめった刺しにしたい、そう思ってしまうくらいの、怒り以上の恨みや憎しみが、わたしの中にはありました。それを、イメージの中でどんどん発散しました。


誕生から、小学生のときまでのできごとを振り返ってみました。

こうして思い返すと、小さなころから、過酷な環境でよく生きてきたなと思います。

これまで頑張ってきた自分を、たくさん、ほめてあげたいです。

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これは、赤ちゃんのわたし。たぶん、貴重なひとりっこ時代。かわいい。

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なにかこぼした、わたし。ほっぺの感じが田舎っぽくて、かわいい。

次回は、中学生から高校生のころのことを振り返ります。


インナーチャイルドセラピスト「こころの履歴書」後編はこちら。


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