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“ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観” 第7章編
“ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観” 第7章編
今日のおすすめは!
D・L・エヴェレット “ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観”
屋代通子訳
*本との出逢い
堀元見さんと水野太貴さんのYouTubeチャンネル”ゆる言語ラジオ”で話題となったこちらの1冊。
イビピーオってなんだろう、水野さんが語らなかった箇所について自ら読みたいという想いで手に取りました。
学びがあった記述やピダハンの情報などを、これから各章毎に分けて読書記録を残そうと思います。
ゆる言語ラジオリスナー(ゆるげんがー?用例?)に楽しんで頂けたらと思います。
今回はお待ちかねのイビピーオ回!
ビギーとオイーのイビピーオとの関係、イビピーオの意味やエヴェレットと精霊との会合の様子、ピダハンの精霊の種類など、ピダハンの数や色彩感覚など、我々の価値観を揺るがすような興味深い文化や思想を丁寧にまとめました。
皆さん自身の人生観に立ち返る機会になればと幸いです。
それでは第7章からどうぞ!
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*第7章
〈環境に関する2つの言葉〉
*ビギー
ピダハンの考える宇宙はスポンジを重ねたケーキのようなもので、それぞれの層は”ビギー”と呼ばれる境界で区切られている。
空の上にも世界があり、地下にも世界がある。
病気になるのは、上のビギーの血のないものが、下に降りてきて置いていった葉っぱを踏むからだと考えている。
*オイー
ビギーとビギーの間の全ての空間、生存圏を示す。
我々の惑星や地表の土を表す。earthに似ている概念。
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〈ピダハンの数の概念〉
物を数えない。
計算の体系もない。
数の言葉もない。
体や棒切れなど何かを使って数えたり計算したりしない。
ピダハンには他の先住民のような「1と2と沢山」「全て」「殆ど」「それぞれの」「あらゆる」などという数量詞もない。
相対的な量を示す考え方しかない。
数は本来、数字としての一般的な性質が共通するものをひとまとめに分類して一般化するものであって、特定の物質にだけ見られる限定的な性質によって区分けするわけではない。
エヴェレットはピダハン達が商人に騙されずに交易したい為に数を教えてほしいと頼まれた。
8ヶ月間毎晩ピダハン達は積極的に習いにきたが、誰一人として1+1=2すら理解できず、身につけるのは無理だと断念してしまった。
計算能力を身につけられない理由
はピダハン達はポルトガルやアメリカなどの考え方のうちある種のものが自分たちの生活に侵入してくることをはっきりと拒んでいたから。
ちなみに
第3章時点で2歳だったエヴェレットの息子ケイレブが書いた「数の発明」は、ピダハン達と暮らす中で形成された視点から語られる数の本なので興味のある方は是非お手に取って呼んでみて下さい。
〈色を表す単語〉
色を表す単語がない。句で表している。
・黒→血は黒い。
・白→それは見える。それは透ける。
・赤→それは血。
・緑→今のところ未熟。
色は本来可視光線のスペクトルに人工的な境界線を引くという特異な一般化の役割を持っている。
ピダハンは色覚がないのではなく、色を見分けられないとか表現できない訳ではない。
私たちと同じように色は見えている。
だが、ピダハンは色彩感覚の一般化にしか用いることが出来ない融通の利かない単語によってコード化しない代わりに句で表現する。
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ちなみに
先天的に色覚を持たない全色盲でモノトーンの視覚世界で暮らす人々はピンゲラップ島とポーンペイ島に住んでいる。
ロビン・ウィリアムズ主演「レナードの朝」で有名な医師オリヴァー・サックスの著書『色のない島へ 脳神経外科医のミクロネシア探訪記』についての記事を近々公開しますのでもし良かったらご参照下さい!
〈ピダハンの語り〉
ピダハンは経験していない出来事については話さず、直接経験のみ語る。
(遠い過去の事も、未来の事も、空想の物語も。)いま自分たちが話している時間の範疇に収まりきることについてのみ言及し、それ以外の時間に関する事は言及しない。
単純な現在形、未来形、過去形は用いられるが、完了形や断言にならない埋め込み文などは存在しない。
例:「あなたが着いたとき、私はもう食べ終わっていた」(過去完了)
→「着いた」の過去形は今の時点であり直接体験のなのでOK
「食べ終わっていた」は今の時点より過去なのでNG
「あなたが着いたとき、私はもう食べ終わっているでしょう」(未来形)
→「食べ終わっているでしょう」は今の時点より未来なのでNG
「背の高い男性が部屋にいる」
→背の高いでは断定にならない、発話の時点と関係ないからNG
平均寿命が45年のピダハンは曽祖父母に会える経験は少ないため、血縁関係を祖父母までとする単純な血縁関係をとるのも直接体験の法則に当てはまる。
亡くなった人の話やその人から聞いた話は忘れてしまう訳ではないが、滅多に会話に上がらなくなる。
アメリカ人の平均寿命がピダハンよりも長い事をピダハンが疑問に思っている。
ある日「アメリカ人は死ぬのか?」と質問された際、エヴェレットは「そうだ」と答えたが、「証拠を出せ」と言われるのではないかと願ったと語っている。(個人的おもしろエピソード)
食料の備蓄をしない、貴重な道具を丁重に扱わないなども、いまを生きる直接体験の法則に則っている。
歴史や口承伝承、神話の欠如、おとぎ話も同様で、「実証」を重んじる。
ピダハンにとっての物語は現存する目撃者がいる出来事を語り、共同体を結びつける役割をしている。
例:川で一人で出産し死んだ母子の話。
(第6章の記事に詳細を書きましたので是非ご覧下さい。ピダハン母の強さに心打たれます。)
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ピダハンが物語を語る際のお決まり
・イギーアイ→語りの終了を表す。
・繰り返しの表現はピダハンにとってのお洒落な語り口
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*イビピーオ
xibipiio(イビピーオ)
→ある物質が視界に入ってくる、または視界から出て行くの意味。
視界に入ったり現れる物体の正体は問わない。
→実際に目撃したか、直接の目撃者から聞いた事に使用を限定している。
→夢も覚醒時も直接的な体験として扱う事で空想や宗教の領域の信仰や精霊を直接体験として扱う。
→英語圏にはない文化的概念や価値観を包含している言葉。
⇒エヴェレットはこの概念を「経験識閾」と名付けた。
*エヴェレットが体験したイビピーオの例
・「コーホイ イビピーオ」
→コーホイが消えた。
・「イプウーギ ヒ イビピーオ アブーパイ」
→イプウーギ、彼、来る。
・「ガヒオー イビピーオ アブーパイ」
→飛行機が着た。
*ビギーをイビピーオと扱う理由
ビギーとは、空の上の世界と地下の世界のこと。
ピダハンにとって、空と地面は目に見える為、別階層の存在である精霊も含めて、イビピーオとして扱っている。
ピダハンにおける精霊とは、木やジャガーなどの個々の精霊がおり、目に見えない精霊ではなく、自然の中に実在するものの形をとっている。
宇宙の別階層を目撃したピダハンがいる。
別階層の住人が、境界線を越えて降りて来てジャングルを歩き回った足跡をピダハンはたびたび目撃している、もしくは存在そのものを目撃する場合もあり、ジャングルの闇の中をぼうっとした影がさまよっているらしい。
人類は歴史を通して常に超自然現象を見たと主張してきた。ピダハンが特別なのではなく、霊魂など存在しない人間にとっては馬鹿げた話だと思うかもしれないが、それも1つの見方なのだとエヴェレットは語る。
ピダハンは夢の中でビギーを超えられるし、他の存在も夢の中で移動しているかもしれないと考えている。
夢(xaipipai,アイピーパイ)は、起きている(覚醒時)に見ている世界と質的に同じものであるので現実体験とみなす。
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*ピダハンの精霊の種類
精霊がどのような性質を備えているかによって形が変わるが、われわれが想像する精霊とは違っている。
精霊は人間型の生き物で、「カオアーイーボーギー(早口の意味)」と、それ以外の「カピオイアイ(それ以外の意味)」に分けられる。
これらは全て「イービイシヒアバ(血なし)」に属する。
肌の色が淡く、金髪の姿をしている。逆にピダハンや外国人などは血が流れている為「イービシ(血あり)」に属する。
アメリカ人などの白人は非常に色が白い為、血が流れているのか疑われることがあるが、エヴェレットなどが血を流すのを見る機会があり精霊ではない事を信じてもらえた。
しかし、時折水浴している際に、川に入る前と入った後のエヴェレットは本当に同一人物で人間イービシなのか、精霊カピオイアイなのか議論している事がある。
白人はみんな精霊で、自分に意思で姿を変えられると信じられている。
*エヴェレットが目撃した精霊 カオアーイーボーギ
最もよく語られるのは「カオアーイーボーギー(早口の意味)」で、ピダハンの身に起こるいい事や悪い事まで幅広い出来事の原因になる。
役に立つ助言をしてくれたり、気分次第でピダハンを殺す事もある。
雨の降らない夜に、よく村近くのジャングルから聞こえてくる甲高いファルセットがカオアーイーボーギー(早口)の声とされている。
①1回目の接触
エヴェレットが声の主を見に行くと、アガービというペキアル村から来たピダハンで、本人の許可を貰って声の録音をした。
翌日彼の家に行き、なぜカオアーイーボーギーになっていたのか尋ねると驚いた顔をし、カオアーイーボーギーがいた事をしらないし、ここにもいなかったと答えた。
②2回目の接触
エヴェレットがイサウーオイに精霊について質問すると、「今夜暗くなってから来るがいい。ここに精霊が来るから。」と招いてくれた。
夜、ピダハン数人が集まりジャングルに向かって丸太に腰掛けて待っていると、ファルセットの声が響き、亡くなって間もないピダハンの服を着たイサウーオイがジャングルから出て来た。
長い髪の代わりに頭から布を垂らして、女性と分かるように裏声で話している。
精霊は、自分が埋められている地面の中がとても寒くて暗く、死とはどのような感じ、地面の下には他の精霊もいる事を語った。
通常のピダハンの三項韻脚でなく、二項韻脚で発話している。
次に、素っ裸で低いしゃがれ声のイサウーオイが、良く知られたひょうきんな精霊として現れると、ピダハン達は笑い出した。
小ぶりな木の幹で地面をドンドン叩き、自分を邪魔するやつには害をなす、怖いものなど何もないと勇ましく話した。
次の朝、イサウーオイに感謝を伝えると、その場にいなかったと言って精霊の出現について言及しようとしなかった。
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*お芝居ではない
西洋人の価値観からするとお芝居と思うかもしれないが、ピダハン達は精霊を現実として見ている。
ピダハン達は精霊との交流中に決してイサウーオイの名で呼ばず、彼が表現している精霊の名で呼んだ。
シャーマニズムとは違い、精霊と1対1ではなく、ピダハンなら誰でも精霊と話す事ができる。
ピダハンがいつも白人のエヴェレットを精霊でないか、己の意思で姿を変えられるか本気で議論している事などを鑑みると、ピダハンはお芝居ではなく現実として見ていると考えられる。
ピダハンが精霊と交流している際、実際に彼らが「何か」を体験しているのは事実であり、それを精霊と名付けているのではないかとエヴェレットは考察している。
精霊の存在や血がない事が全てが正しい訳ではないと言い切れる。
しかし我々もよく日常的に正しくない経験をしている。
エヴェレットからの問い
Q
我々はピダハン達と違って、「実存すると理解出来ないものを実体験する」事は決してできないと言い切れますか?
A
いいえ、私たちも実体験している。
*実存すると理解出来ないものを実体験するという事
例
自分が立ち上がると飼い犬が一緒に立ち上がり、しっぽを振っている。
→餌を貰えるのだと分かってしっぽを振るのだと我々は解釈する。
そして確信があるかのように他人に話す。
⇒しかし、犬の知識と思想に基づいた行動なのではなく、単なる刺激に対する反応かもしれない。
街中で見かけた有名人に似ている一般人を、有名人だったと思い込んで、本人を見かけたと主張する。
宗教や物語など、生きた証人や目撃者がいない事、信じ込み、あたかも実体験したかのように語る。
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*イビピーオ回、いかがだったでしょうか?
*エヴェレットの指摘に私ははっとしました。
幼少期から本が大好きで、四六時中読書を楽しんできました。
しかし、それは自ら実体験したことではなく、イビピーオでないことに囲まれ、信じ込み、価値観を形成してきました。
ピダハンからみたら「なぜ?自分にとって大切な事なのに、なぜ有る確証もない事を一生懸命信じているの?」と首をかしげてしまうかもしれません。
私は無神論者でありながら読書体験には重きを置いている矛盾だらけな人間なのかもしれません。
突き詰めて考えていくと、敬虔なキリスト教徒だったエヴェレットが無神論者になったように、自分の価値観の土台を揺さぶられそうで怖さも感じます。
しかしながら、ピダハンについてこれから語っていく章にも価値観を揺るがすような話が沢山登場してきますので、丁寧に読み進めて参りますので
是非楽しんでいって下さい!
*それではまた次回お会いしましょう!
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