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子育てで躓いた話


長女1歳のお祝い

現在39歳の咲ちゃんです。
三姉って妹子育て中。

望むすべてを手に入れてきて
自由に、自分が思うとおりに生きてきた約30年間

28歳で結婚
29歳で妊娠

妊娠中にもやまない飲み会の誘い。
初期の頃は行ってた。

臨月になって、いつ生まれてもいいってなってから
行くのをやめた。

その時は「産んだらまた来るから誘ってね」
って言ってたんだ。

その時は、生まれてからの方が、行けなくなるなんて知らなかった。

そしてわたしが飲みの席に戻れるのはそれから10年くらいかかった。
産まれたら役目は終わりだと思ってたのね、本気で。
というか、わたしがいないと回らないと思ってなかった。(産むのはわたししかいないけど、他の人もお世話できるじゃん!って)

うちは同居だし、預けてどこでもいつでも行けると思ってた。
授乳が3時間おき(時にはもっと狭い間隔で)だなんて知らなかった。
生まれてから1か月家から出られないなんて知らなかった。

たった2時間、美容院へ行くだけで赤ちゃんが泣き叫ぶなんて知らなかった。
その赤ちゃんを抱えて、残された家族が怒るなんて夢にも思わなかった。
夜も繰り返される授乳とオムツ交換。睡眠すら自由にできないなんて知らなかった。

誰も教えてくれなかったじゃん。ってわたしはキレてた。
だけど、娘はかわいいし、一緒にいるのは嫌じゃない。
ただ、自分の時間が欲しい。

どんな局面でも「自分を諦めない」をモットーにしているわたしがとった行動は
赤ちゃんをベビーカーにのっけて連れまわすことだった。
お友達とのランチ、旅行など、当時まわりはみんな独身で、子供なんか誰もいないのに
当然のようにわたしは娘と一緒に遊びに行ってた。
まわりもやさしかったし、今までと同じ事もできるって、また自分で道を開いたと思ってた。

次女が生まれるまでは。

次女が生まれて、無事に1か月の産褥期も乗り越えて
今度は赤ちゃんと2才の長女を連れて歩く毎日。
長女はかなりおりこうさんだったけど、異年齢の二人を連れて歩く事にわたしは疲れ果ててた。

だけど、約束してるしランチいかなきゃ・・・旅行いかなきゃ・・・
1人で何でもできたから、助けてって言えなくて
ある日の夜に気付いたのが、ランチで友達と何話したか覚えてない事。
そう。わたしはランチのお店には居たけどやってることは子供の世話だけだった。
そして冷めた料理を、お友達の話を聞きながら食べる事。

記憶に残らないくらい大変だったのか、本当にそもそも話自体できないくらい動いちゃってたのかもうわかんないけど
こんなの友達にも失礼だし、子供にも申し訳ないなって。
長女には我慢させて大人の食事に付き合わせて、わたしも疲れるだけで、この時間意味あるのかなって。

移動の電車の中でも次女が泣かないように
長女が飽きないように、神経が擦り減る感じ。
そのうち、一人で、二人連れて電車にも乗れなくなった。
車も、私が運転している時に泣かれると焦っちゃうから、運転も怖くなって
ベビーカーで行ける徒歩圏内と、自転車で行ける場所しか行けなくなっちゃった。

遊びに行けない事がストレスで、夫は好きに飲み会に旅行に行ってるのに
夫婦なのになんでわたしだけ我慢しないといけないの?ってすごい喧嘩したり
何この苦行!ってストレスは子供に向いて
長女に怒鳴ったり、毎日毎日イライラしている母親に変身してった。

人生でこんなに怒鳴ってる日々なんかない
今だと余裕なかったんだなってわかるけど
当時はそんな自分もジャッジしてさらに不機嫌になっていった。

楽しい事だけして人生すごしてきたのに
一気に毎日がつまらなくて
したくないことして怒鳴ってその繰り返しで
もうこんな事いやだって色んな勉強を始めたんだ。

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