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私がいなくても、家族の日常は動く

出産して丸6年経ちますが、実は、夜に一人で自分のために家族を置いて外出するということをしたことがありませんでした。つい先日まで。
周囲にはもちろん、ダンナに子どものことを頼んで飲みに行くとか残業頑張るとか、そういうママさんもたくさんいます。でも私はできなかった。

しかしついに先日、一人で夜外出して、サクッと外で飲んで、23時過ぎに帰宅・・・ということをやってみました!その結果わかったのが、母である私がいなくても、家族の日常はちゃんと動いてた、という事実。だからってこれからどんどん外出するぞ!!遊ぶぞ!とはならないし、なんだそんなこと、って思う人もたくさんいると思うけど、丸6年できなかったことを踏み出したことは、自分にとってはすごく大きな一歩だったと思います。

なぜここまでできなかったのか・・・それは大きくは2つの要因があって。そしてなぜ今できたのか?も少し振り返ってみたいと思います。

子どもの頃ーすっごく寂しかった日の記憶

まだ物心つかないころ、私の母は時々仕事に出ていて、そんな時私はおばあちゃんの家に預けられていました。「朝起きるとお母さんがいなくて大泣きして、おばあちゃんは本当いつもいつも困ったんだよ」という話を、おばあちゃんの家に行くたびに、大人になっても何度も何度も聞かされるくらいに、寂しがって、ほんと大変だったみたい。

小学生になった頃には、お父さんと弟と3人で夕食をとる日も多くなりました。月に数回、お母さんが深夜まで仕事する日があって、この日は昼間学校でも本当に絶望的な気持ちで過ごしていたことを覚えています。ああお母さんは今日は帰ってこないんだ・・・って。夜、なかなか寝付けなくて、豆電球の薄明りの下で、外を通る車の音を一生懸命聞いて、ああまたお母さんじゃなかった、また違った、ってずっと待ってた(一度もお母さんの車の音をとらえたことはなかったと思う)。

だから私は大人になったら絶対子どもにさみしい思いはさせない。3年くらいがつっと働いてがつっと成長して、専業主婦になって子どもたちが家に帰ってきたら絶対おかえりって迎えてあげるんだって本気で思って、就職活動の時もそれで会社を選んだくらい(実際専業主婦にはなってないけどw)。

「自分のようなさみしい思いを、自分の子どもにはさせたくない」こんな言葉が自分の中に流れていました。

自分が母になってからー「いいお母さんになれよ」という応援

そして自分がいざ子どもに恵まれて。
いろんな人から、子育てがんばってねという趣旨のいろんな応援の言葉をもらったけど、その中でも一番私にとってパワフルだったのは、おばあちゃんの「いいお母さんになれよ」という言葉でした。おばあちゃんは、数年前に亡くなってしまったけれど、電話で話すと、最後にいつも必ず「頑張れよ、いいお母さんになれよ」と言ってくれてました。

おばあちゃんが亡くなった時は、ああ、いいお母さんになれよって一番優しく強く応援してくれる人がもういなくなっちゃったんだって、すごく絶望しました。

でもこの「いいお母さんになれよ」の意味を、私は多分勘違いしてたなって最近ふとしたきっかけで気づきました。

私は、自分のことを犠牲にして、家族をいつも最優先に考えて頑張らないといけないって思ってた。それはおばあちゃんが本当に完璧な専業主婦で、お料理、掃除、裁縫、畑仕事、そして圧倒的な明るさと寛容さ、何をとっても完璧な「お母さん」だから。おばあちゃんの母親像をなぞらないといけないと思ってました。

でもたぶんおばあちゃんの「いいお母さんになれよ」の意味は、そうじゃなかっただろうなと今は思います。

なぜかというとおばあちゃんは、私が初めて長男を保育園に行かせた日、「よかったねえ、初めて手が離れたね!お迎えに行く前に、喫茶店にでも行って、パンとコーヒーでも飲んで、リフレッシュして、それから元気にお迎えに行ってあげなさいね」と言うような人でもあったから。

おばあちゃんのような完璧なお母さん像を目指して頑張りなさいではなく、自分の自由もちゃんと楽しんでこそ、子どもに明るく向き合えるんだよってことをおばあちゃんはきっと教えてくれていたと思うけど、浅はかな私はその応援をちゃんと受け取れなくて、「自分のやりたいことを、子どもよりも優先してはいけない」って思い込んでました。

そんなこんなで6年。

なぜこのタイミングで、初めて自分のために外出してみようと思えたか。

昔からとっても気になっているピアニスト、アリス=紗良・オットさんのコンサート。場所は憧れのサントリーホール。19時から。コーチングの同期の仲間に、行ってみたらどうですか、とプッシュしてもらって、よし行ってみよう!と決めました。

この演奏会に行きたい、とダンナ選手に話すと、めちゃ協力的にいろんなことを考えてくれました。オーケストラのチェロ弾きの彼はサントリーホールにめちゃくちゃ詳しいので、ピアノの手元が見たいなら、LC列の何番の何列目がいいと思う、というようなことをサントリーホールの座席表を見ながら教えてくれたり。もちろん、子どもたち大丈夫かなあとか心配する気持ちも色々あったと思うけど、そうやって前向きに送り出してくれたのはすっごくありがたかった。

子どもたちも、寂しかったとは思うけど、泣いて止めたり駄々をこねたりは一切しなくて、わかったよー!え、おかあさんがピアノひくの?とか、そのまま飛行機に乗って島根のおばあちゃんちに行ったりしないよね?えへへへ、とか、そんなことを笑って話して送り出してくれました。実際、お留守番中は、お母さんちゃんと帰ってくるかなあ?お母さん帰ってくるまで待っとく!とか色々言いつつも、ダンナ選手と本を読んでおりこうに寝てくれたみたい。

自分を縛り付けているのはいつだって自分自身だ

とはいえ私は家族で過ごす時間もめちゃくちゃ大事にしたいし、どうしても!という時以外は、今後も夜に出かけるということを選ばないと思います。だけど今回家族のおかげで一歩踏み出させてもらって、気づいたことはすごくたくさんありました。

私がいなくても、家族の日常はちゃんと動くということ。

私が感じてたような寂しさと同じものを、いまの私の子どもたちが感じるとは限らないということ。別の人間なんだからさ。

そして自分の自由があってこそ、家庭の中で明るく強いお母さんでいられるという、おばあちゃんの応援の本当の意味。

コーチングの言葉でいうとこういうのは「ビリーフシステムの書き換え」という事象です。私の中に、

「自分がいないと家族の日常が壊れる」
「自分のようなさみしい思いを、自分の子どもにはさせたくない」
「自分のやりたいことを、子どもよりも優先してはいけない」

こういう思い込みがあって、これまでずっと自分で自分を縛ってきました。でもこれらのビリーフを書き換えたことで、私は今すっごく、楽になったし、前とは違う質感で、家族のためになることをしたいと思えています。

そして最後になったけれど、思い切って出かけた肝心のコンサートは本当に本当に素敵でした。まずホールに入った瞬間に、昔ダンナ選手に何度も連れてきてもらって二人で演奏会を楽しんだ時の思い出がぶわっと蘇ってきてまず泣く。そしてコンサート中も演奏が素敵すぎて終始泣く。どんな大変なことがあっても、勇気を持って前を向いてがんばっていきましょうねって、そんなメッセージをアリスさんのピアノから受け取りました。一生忘れられない夜になりました。

アリスさんも、ダンナ選手も、子ども選手も、みんなみんな、ありがとう!!

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