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*4. 芋づる式読書マップ【後編】

芋づる式読書マップという、本好きにはきっとたまらない岩波書店のキャンペーンがある。本を一冊選び、その本から連想するものを選ぶ、というのを繰り返していく。

3月末に、家で読書を楽しめるようにとこのマップがネット上で話題になったようで、twitterをきっかけに知った私は、家の本棚から芋づる式をしてみた。

A4用紙に書きだした27冊のうち15冊を前編の記事で紹介したので、この記事では残りの12冊について。

まずはマップの全体像から。(自分用に走り書きした雑なものですが…)

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前編記事で紹介したもの(番号を緑で振っているもの)は初めから終わりまで15冊繋がっていたが、後半(青の番号)では枝分かれ部分を回収していくため飛び飛びになっている。

(前編)13. カトリーヌ・ムリス『わたしが「軽さ」を取り戻すまで』

→連想キーワード「シャルリ・エブド」

16. 鹿島茂+関口涼子+堀茂樹『シャルリ・エブド事件を考える』

 2015年1月7日に起きたシャルリ・エブド襲撃事件について、2015年3月に白水社から出た特集である。事件をどのように捉えたのか、かなり早いタイミングで30人あまりの識者の見解をまとめた一冊だ。もう5年も経つが、この年の暮れには同じパリで同時多発テロが起きた。Facebookのアカウントにフランス国旗を重ねるフィルターが導入され、一部では炎上もした頃。現地に住んでいた時期があり、フランスとの縁を強く感じている私にとっては衝撃の大きい一年だった。特に同時多発テロについては、知り合いの知り合いレベルであれば直接の犠牲者も出ている。
 シャルリ・エブド事件の日本での報じ方は様々だった。それまでのイスラム原理主義者によるヨーロッパでのテロとは異なり、その人の「表現の自由」の認識によって全く違う受け取り方をしたのではないだろうか。その意味では、表現と国家との関係性や前提条件が大きく異なるとしても、本書内の小論は、昨年の「あいトリ」騒動を考える上で様々な視座を提供しているようにも思う。

→「テロ」

17. 永井陽右『ぼくは13歳、任務は自爆テロ』

 国際協力に漠然と興味のある中高生、大学生にお勧めしたい本。もちろん大人でも。大学在学中からソマリアのテロの問題に取り組んできた著者は、あとがきで、国際協力に強い関心があり意欲的な学生は日本にたくさんいるが(2010年代半ばを大学で過ごした私の体感では、当該分野に関する学生団体やNGO等に所属する学生は相当多い)、「テロや紛争」を扱う団体や人が少なく置き去りになっていると指摘する。言われてみればそうである。私は社会人になってからこの本を読んだが、自分がそうだった…とはっとした。
 そこには、「危なくてわかりづらい場所への近づきづらさ」と、どうして「テロを起こすのか、それも少年が自分の体に爆弾を巻き付けてまでテロを仕掛けるのか」想像する難しさがあるのではないか。
 この本を読んでいるとまず、テロに向かう若者の背景を想像しやすくなる。そして、テロリストにならないという別の選択肢を彼らに気づかせる、あるいは選択肢を周りの大人と作る必要性に気づかされた。そのために世界で動いている人は既にいるのだ。テロを完全に防ぐことはできないが、テロは原因がなく発生するものではないのだとよくわかる。少しずつその原因を封じていくことからテロのない未来を目指せる。それに、ソマリアとは過激化のリスクが比べようにならないが、日本社会の中でも決して無縁のことではないのだろう。

→「戦争と子ども」(→ここから前編の①カルヴィーノに繋がる)


10. 渡辺正峰『脳の意識 機械の意識』

→「脳と心」

18. 養老孟司・村上和雄・茂木健一郎・竹内薫『脳とサムシンググレート』

 テレビや著作でも知られる科学者4人の対談。2009年刊のため情報は少し古いが、専門用語が連発されるわけではないのでサクサク読みやすい。また対談ならではの脱線もあり内容がとにかく幅広いので、この本をきっかけに特定の分野への興味が生まれるかもしれない。へぇー!、いやそれは違うのでは…、それどっかで聞いたな…といったツッコみを入れつつ楽しめる。

→「心と遺伝子」

19. ゲアリー・マーカス『心を生み出す遺伝子』

 同じ脳や心の話をしていても、18番よりも随分と専門的な本である。
 「生まれと育ち」の真の関係を明らかにすると聞けば、「人間は生まれたときに遺伝子で既に運命が決まっているのか?それとも育ち(環境)が左右するのか?」という単純な問いが思い浮かびそうだ。どちらも影響する、と答える人が多いだろうし実際その通りなのだが、この本のテーマはそこにない。一般的に、生まれ育ち論争は能力についての影響(勉強ができる・運動神経が良いのは、遺伝子で決まるのか~)を前提に受け止められがちなのに対し、本書では「心(心の病気や考え方など)への影響」を論じている。「環境が一部の遺伝子の心への働きかけに関係していることを私は本書で初めて意識した。これほど分析が進んでいるとすれば、おそらく治療もかなりのスピードで研究が進み、良くも悪くも選択肢が増えている。よく知らないというだけであまり良い印象を持っていなかったのだが、近い将来のために遺伝子改変について理解を進めていきたい。

→「心」

20. パトリシア・ウォレス『インターネットの心理学』

 今ほどインターネットに人々がどっぷりと浸かっている状況も珍しいのではないか。外を出歩かない代わりに、家での仕事や友人と話すためにウェブシステムを利用、買い物にECを活用、外で遊ばない代わりにネットのコンテンツを楽しむ、SNSで情報収集するなど、インターネットを活用しながら私たちは日々過ごしている。インターネットを止められたら生活が終わりそうだ。依存しているといっても過言ではない。
 本書で論じられるインターネットの悪い面は、インターネットを通じた人同士のコミュニケーションに主に焦点があてられている。ありがちな、現象を説明した一般論で終わらず、心理学の研究成果をまとめた本質的な問題提起になっている。特に興味深いのが、オンライン上での誹謗中傷が起きる理由の心理学的分析と、オンライン上の自分の印象形成(どのようにネット上で自分を見せるか・セルフブランディング)や向社会的行動(思いやりや援助を示す行為)に関する章だった。本書の良さは解決策よりも問題分析にあると思うので、すぐに心が穏やかになるわけではないだろうが、なんとなくネットで嫌な思いをした・ネット利用の難しさを感じたことがあるという方は一度手に取っていただければと思う。

→「集団心理」(→前編⑧『寛容論』へ)

→「心」

21. 藤原正彦『心は孤独な数学者』

 数学者で作家の藤原正彦が、ニュートン、ハミルトン、ラマヌジャンという3人の数学者について書いた評伝である。中学生の時くらいに読んだので、数学に強くなくて全く問題ない。私はこの本からインドのラマヌジャンに興味を持ち、その後に彼の人生を映画化した『奇蹟がくれた数式』(少し登場人物らを美化しすぎているかもしれない)や、彼をイギリスに呼び寄せたハーディのラマヌジャン伝(短い、ラッセルも出てくる)も読んだ。彼が特殊なのは、イギリスの占領下にあったインドに生まれ、すさまじいスピードで定理を生み出していくのだが、それらを明確に証明することができず(証明を後から考える)、夢の中で女神が教えてくれたものだからというのである。しかも、彼の公式がほぼすべて証明されたのは最近のことだ。なんとも異才。彼はケンブリッジの数学者ハーディに見いだされ渡英するが、第一次世界大戦下で野菜の調達も難しかったようで6年後に病死してしまう。

22. ジュセッペ・ピントル『スタンダール スカラ座にて』

 スタンダールの日記や手紙の中から、ミラノの劇場スカラ座に関する文章を集めた、少しマニアックな本だ。国際スタンダール学会を記念して、また「スカラ座のスタンダール」展開催に合わせてスカラ座博物館から出版された本の訳書である。スタンダールといえば、自身と同時代を生きたロッシーニの伝記を書いたことでも知られるオペラ愛好家であるが、この本からは彼の好みや愛情がたまらなく伝わってくる。特に手紙は、批評というには情熱的で個人的な描写が目立ち、当時の歌手については全く知らないが面白い。どうしても作品自体が現在には伝わらず手がかりの少ない舞台芸術だからこそ、舞台装置や歌手、観客の振舞いにいたるまでの記録は貴重な同時代評である。

→「オペラ」

23. 『大世界劇場』

 相当古い本だが、たまに読み返す。アレヴィンとゼルツレの2人の論文を合わせている。アレヴィンはヨーロッパの祝宴(馬上槍試合や舞踊)の歴史をひもとき、バロック芸術と祝宴の関係性を示す。バロック演劇に関する章ではルネサンス演劇を水平的と形容し、バロックの垂直的演劇について、舞台装置や大道具の効果と共に「垂直性」を論じていくところが面白い。またゼルツレは、5つの祝宴の様子を一次史料から詳しく記述する。研究の進んだ今では、こうした祝祭の記録を目にする事は珍しくはないが、アレヴィンの文章で外形をぼんやりとしか捉えられなかった祝宴の様子が版画図版とともに目に浮かびやすい。

→「祝祭」

24. 『ベルニーニ その人生と彼のローマ』

 「彼のローマ」とはまたなんとも自信たっぷりの表現だ。とはいえ、ローマとヴァチカンが舞台の、同地で撮影された映画『天使と悪魔』を見ていれば、あっち向いてベルニーニ、こっち向いてベルニーニという風にかなりの頻度で出没する。映画内で大きな存在感を示す彫刻《四大河の噴水》も教皇庁のお膝元のサン・ピエトロ広場も《聖テレジアの法悦》もサンタンジェロ城前の橋の天使像の一部も、ベルニーニが手掛けた!というわけで、このタイトルも納得の人物である。
 本書は多数の傑作を残した芸術家本人について書いた伝記で、美術史家による伝記としては珍しく、作品の解説とは切り離した彼自身のパトロンや家族らとの交流など、ベルニーニの人となりを示す本だ。人間味があふれていて面白い。特に個人的には、一時期バルベリーニ家の舞台芸術と風景画のパトロネージについて専門的に調べていたことがあるので、ちょうどその時期のベルニーニと教皇についてまるで物語のように(といっても書簡などの一次史料に基づいて)書いている本書はディープで興味深い。

→「ローマの美術」

25. マリオ・プラーツ『ローマ百景 Ⅰ・Ⅱ』

 次の本へと結びつくキーワードは、この本のためにあるようなもの。著者は騒がしくて汚ない交通路を皮肉りながら、この街の魅惑を存分に語っていく。最初の数章はピラネージやプッサン、クロード・ロランを出しながらローマを表現する美術と文学の議論にあてられる。17世紀、18世紀にかけてのローマの姿を想像し興奮してきたところで、プラーツは現代のローマが継承する歴史を紹介していく。見過ごしてしまいそうな建物や場所が歴史的にどのような意味を持つのかを丁寧に解説し、街の埃や湿度まで伝えてくるような、最高のローマ観光ガイドである。あの通りを曲がるとこの建物が…という風に細かい記述が多いので、そこまでローマの街をよく知らない私には建築物の外観を撮影した写真が沢山掲載されているのがありがたかった。いつかローマをゆっくりと訪れる際のために熟読して、真横にあるパラッツォに気づかなかった…ということがないようにしたい。

→「ローマ愛」

26. 牧野宣産『ゲーテ「イタリア紀行」を旅する』

 ゲーテの「イタリア紀行」自体を読みきるのは難しい(しかも岩波文庫でも潮出版でも現在品切れ)けれども、この本は、そのゲーテの文章を引用しながら平易な文章と豊富な写真(200枚!)と共に彼の2年弱の旅を追った著者の旅の記録である。といっても、ただの現代人のイタリア紀行文ではない。著者はあくまで読者にとっての案内人で、適宜ゲーテの言葉を引用してその思いを想像しながらその文章に出てくる名所や芸術品を解説していく。ゲーテが旅したころと見た目を保ったままの建築物や絵画や彫刻などの写真を見ながら読み進める事で、いつ頃に何を見てどのようなことを思ったのか、手紙の文面から情熱が鮮明に伝わってくる。

→「美術を巡る旅」(→13. 『美術の力』)


27. 小林標『ラテン語の世界』

 この本はラテン語学習者でなくても充分楽しめる。私もできない。正直イタリア美術史をかじるなら、やっておくにこしたことはない(実際少し読む必要があり訳に頼った)し、学ぶ機会はあったのだけれど自分には負荷が大きすぎて避けてきた。(だって格変化とか難しいんだもん!)そんな「ラテン語…うっ」という私でも、ラテン語を様々な側面から(歴史・文法・文学・語彙・言語体系)解き明かした一般向け新書は、「ラテン語やってみたい」熱をまた呼び覚ますのである。遺跡の碑銘を読んでみたいとか、外国語の語彙を増やしたいだとか、詩を読みたい等々。そこまでマニアックなラテン語への関心がなくとも、より身近な英語やフランス語がどれだけラテン語から影響を受けているのかや、古代ローマで使われたラテン語が現代まで生き延びてきた背景(そういえば昔の日本人はどのような言葉を使っていたのか?と気になってきた)などに関する記述は興味深い。

振り返り

発見が多いので、前編に続いて今回も振り返りをする。

前後のキーワードとの関連性は本来この「芋づる式」では特に必要ないのだけれども、やってみたところ私は前のキーワードに引きずられやすいようで、何らかのテーマに沿って数冊続いていくのがわかってきた。とくにこの後編は枝分かれした先の数冊ごとに書いていることもあり、テロに関する本、脳科学か心理学、祝祭かローマ、というグルーピングが自ずと見えてくる。

それから前編でも割合として小さかったが、後編ではなんと一切小説が入らなかった。これは自分で選んでおきながら想定外。フィクション縛りでまたやってみてもよいかもしれない。小説の方が、キーワードの連想から今まで意識していなかった読み方が見えてきそうだ。

本棚を整理したりこういった選書をしたりすると見えてくる偏りは、それ自体が悪いとも思わないが、この分野については補強したほうがよいのではないかと気づいたり、自分の積読傾向(持っていても読まない本のタイプ)、読んだが手元にない本(図書館で借りるなど)が判明したりもする。

最後に、手元にある本が版元品切れ状況であることはそうそう珍しくない…とamazonのリンクを貼りながら改めて残念に思う。もちろん、中古本をネットや書店で買ったり図書館で探したりできるが、手にした本を手放しづらいのは確かだ。

さて、前回の記事で宣言したので、これからは少し時間をかけてイタリア文学に関する記事を用意したい。この記事のようにつまみ食い・いいとこどり?で本を短い感想文で紹介するのは比較的短時間で書けてやりやすいのだけれど、バラバラしたものではなくて、できれば作家同士の関係性を示したり文学史に沿った紹介をするか、一冊を深く読み解いていくか、どうしようかとちょっと考えている。

いずれにせよ本について書くのが良い気分転換になることを実感したので、これからも書き続けていこうと思う。

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