見出し画像

176. 吉田篤弘「天使も怪物も眠る夜」 【小説】

前回は同著者の「京都で考えた」をご紹介しました。

ここで言っているように、吉田さんの魅力は、ユーモアに富む言葉遊びやちょっと不思議な作品世界です。ゆるゆると流れていく言葉には不思議な心地よさがあり、大好きな作家の一人です。
今回はそんな吉田さんの小説作品についてです。


○天使も怪物も眠る夜
「小説BOC」に連載された、8作家による文芸競作企画「螺旋プロジェクト」の中の一作とのことで、プロジェクトが規定したルールが幾つかありますが、この作品だけを読んでも話は理解できるし、充分楽しめます。
ちなみにそのルールは
・日本で起こる「海族」と「山族」2つの種族の対立構造を描く
・全ての作品に同じ「隠れキャラクター」を登場させる
・任意で登場させられる共通アイテムが複数ある
で、他作品は読んでいないので、隠れキャラや共通アイテムはちょっと分かりません。
作家ごとに過去・現在・未来いずれかの時制を選んで書いていて、吉田篤弘の他には伊坂幸太郎、朝井リョウ、大森兄弟、薬丸岳、天野純希、乾ルカ、澤田瞳子が参加しています。

吉田さんが描くのは未来、2095年。
主人公が眠り姫を長い眠りから救うことを軸としながら、様々なエピソードが同時並行的に進んでいきます。
登場人物たちがそれぞれの生活を営み、それが思わぬところで連鎖していく、吉田さんらしい群像劇です。
あらすじから何となく推測できるかと思いますが、眠れる森の美女(いばら姫)に題材をとっています。

話自体も荒唐無稽で面白いのですが、やっぱり魅力的なのは個性の強い脇役たちの存在でしょう。
特に“余計な装飾や気取った物云いを好まない”食堂の大ママの言葉は全部抜き出したいくらい。

大ママは「毎日生きてるなんて奇跡の連続」で、「死ぬつもりで生きなさい」というのが持論で、客を「あら、ひさしぶり。アンタはもう死んだのかと思ってた」なんて言って迎えるのです。
主人公は何となく煮え切らないというか、ぼんやりした人だから、余計こういうガツンと言ってくれる名脇役がいると場面が引き締まります。

それからスキンヘッドの音楽家・ホシナの感覚も面白い。
自分の頭について、

小学校の教師は、黒板に「長い友達です」と書きながら、「髪」の一字を子供たちに教えた。しかし、どういうわけか、「長い友達」はホシナの頭からことごとく消え、どういうわけか、リアルな友人たちとも思うように仲良くできなかった。

と言い、また、
ドレミの音階は螺旋階段に似ている、と言う。

まっすぐにのぼっているのではなく、うねりながらのぼって、八段目に至ったときに、同じタテ軸の一番上にいる自分に気づく。これをオクターブと呼ぶ。八番目の音だ。

また洋数字の8を横倒しにすると無限の意味を持つことから、
これはたぶん偶然ではない。八番目に永遠が訪れるのだ。「8」はそういう記号で、音楽はいつでも「8」という数字によって祝福されてきた。

このくだり、以前読んだ螺旋についてのスピリチュアル本を思い出しました。

螺旋は何とはなしに特別な形のように感じる人が多いのでしょう。
螺旋階段はやっぱり美しい形をしているし、上下に続いていく螺旋を用はなくとも気がしたりしますもんね。

ちょこちょこと気になる小ネタもあって、
まず会社の社員にお菓子を用意する「オストアンデル課」。
オストアンデルって何よと思ったら、饅頭のことを指すインチキ外国語だそうで。押すと餡が出るから……インチキ外国語は面白そうだからちゃんと調べたい。

それから”釜座町”。
最初に出てきた時はまさか実在の地名だとは思わなかったのですが、京都の町を歩いていたらふと「釜座町」のプレートが目に入りまして。こんな所に京都の片鱗が! と先に読んだ「京都で考えた」を思い出しました。

もうちょっと考えさせるところでは、高度に進んだVRを体験するシーンがありました。

「われわれは本当に前へ進んでいるのか」
皆がそう思いはじめた。進歩や発展といった言葉に翻弄され、本来の意図からはずれて、いたずらに技術の更新を競い合っているだけではないのか。

そういえばこの小説はSFでもあるのだと思い出すとともに、単なるファンタジーではなく現実世界ともリンクしていることを実感します。
これからの未来はどうなっていくのか、科学技術を推し進めていくことは本当に必要なことなのか、あくまで空想世界の1キャラクターに警鐘を鳴らすような発言をさせるのは上手いやり方だと思います。
それはあくまで作品の中の一部分に過ぎず、作者の考えというのでも作品のテーマというのでもない。気にするかどうかは読み手に任せつつ、しかし確実に一石は投じている。


ところでこの作品、文庫版特典として「もうひとつのエピローグ」を収録しているのだそう。ずるいなあ。
わたしは単行本派なので文庫は買わないので、こういう売り方はちょっと困ります。これから読まれる方は、どうぞ文庫で読んで「もうひとつのエピローグ」とやらを教えてくださったら嬉しいです。

「ゴールデン・スランバー」という幻の酒が、作中の重要な小物であるこの作品。
とっておきの美酒など用意して、一献傾けながら楽しむのもオツかもしれません。

この記事が参加している募集

読書感想文

ほろ酔い文学

最後まで読んで頂きありがとうございます。サポートは本代や映画代の足しにさせて頂きます。気に入って頂けましたらよろしくお願いします◎