180. 戦後少女マンガ史 【本】
これは本当にすごい本です。
1980年までの少女漫画の歴史をほとんど網羅していると言っても良い、現在においても唯一の少女漫画通史です。
戦前の少女雑誌時代から、今調べようと思っても資料の散逸などで困難を極めるであろう貸本時代のことまで、なるたけ詳細に調べ上げられており、少女漫画の歴史を学ぶ際に避けては通れない必読書でしょう。
作者はコミックマーケットの代表や日本マンガ学会理事も務めた、無類の漫画博士とも言うべき米沢嘉博という漫画評論家。
その深い造詣に裏打ちされた記述は、いかにして少女漫画が生まれ、発展してきたのかを分かりやすく展開していきます。
もちろん実物を読んでいただくのが、少女漫画史を理解するには一番良いのですが、ここでは僭越ながらわたしの気付きを中心に、エッセンスを抜き出して概略をまとめておこうと思います。
本文に入る前、米沢さんがどういった意図でこの本を書いたのかが語られる序文「はじめに」で、のっけから学ぶことがありました。それは、漫然と漫画を読むだけでなく、周りの状況にも目を配る必要があるということ。
どう言った歴史背景の中に、少女漫画が展開してきたのかを念頭に置いて読むことで、読み取れる情報が格段に増え、作家や作品を横断的に見ることができるのです。
言われてみれば当たり前のことのようでもありますが、作家・作品論の多い漫画評論の世界において、直接に影響を受けた作家に留まらず、漫画界、特に少女漫画界全体の流れの中で作家・作品を捉える向きは案外少ないような気がします。
本編は、少女漫画前史として少女小説の話から始まります。少女雑誌が漫画中心になる以前は、美しい挿絵入りの少女小説を中心とした読み物でした。
この時期に活躍した挿絵画家には知らない名前も多くあり、今度改めて調べてみようと思っています。少女小説や挿絵画家についての研究書や紹介も最近しばしば目にしますし、この界隈も深掘りしたらどこまでもいかれそう。
(一応先日書いた「ふろく展」で少女雑誌について触れているのでリンク貼っておきますね。3の項目です。)
そんな少女雑誌に最初に掲載されていた漫画は、ある女の子キャラクターを主人公にちょっとした出来事を描くような、短いキャラクター漫画でした。中でも松本かつぢの「くるくるクルミちゃん」は少女漫画の先駆けと言われています。当時の雑誌を見たわけではないので何とも言えませんが、もしかして今の新聞や雑誌に四コマ漫画が連載されているのと似た感覚のお楽しみページだったのかもしれません。
そこに少女漫画初のストーリー漫画として登場したのが、1953年に「少女クラブ」で連載が始まった手塚治虫の「リボンの騎士」です。この作品は西洋風の国を舞台にしたファンタジーで、本当は女子なのに男子と偽ることを強いられているサファイア王子が翻弄される謀略と色恋沙汰の一大ドラマとなっています。
先日読み返したのですが、リボンの騎士にはいくつかバージョンがあり、わたしが読んだのは「なかよし」バージョン。「双子の騎士」という続編もあるそうです。また、その煌びやかな世界観には手塚治虫の宝塚へのノスタルジアも込められているんだとか。
この「リボンの騎士」及び手塚治虫の影響は相当なもので、最初期のストーリー少女漫画は彼を筆頭にファンタジーが量産されました。ここで手塚作の少女漫画が列挙されていたのですが、思っていたよりずっと多くて驚きました。(同時に少年誌の方でも数多く作品を手掛けていたので、少女漫画が多いというよりは全体の作品数が膨大なのです)
このままファンタジーが主要ジャンルになるかと思いきや、その後少女小説を手本とした生活感のある作品へと主軸が移り、ファンタジーものはぐんと減ってしまいます。
ただ生活感があると言っても、この頃の主人公の少女たちは少年漫画に出てくるような敵キャラ(悪人)を相手にしながら、ピストルもロボットもなく、運命に翻弄されながら幸せな暮らしや母親を求めて涙ぐんでいる、といったようなお涙頂戴ものばかりだったようですが。
生活と空想・遠い世界への憧れは少女漫画の二大潮流と言って良く、1958年から立て続けに発表された高橋真琴のバレエ漫画で、バレエが初めて取り入れられ、少女漫画が憧れの世界へと帰ってきます。当時(今もわりとそうかもしれないけど)、バレエは限られたお金持ちの子供だけが習うことのできる、憧れの習い事でした。少女たちは、生臭くない、憧れ夢見、溜息さえ吐いていればいい世界を求め、それはバレエであり、外国であり、“異世界”だったのです。
高橋真琴はイラストレーターの顔しか知りませんでしたが、実はいわゆる少女漫画っぽいアレ、「無意味なスタイル画」を編み出したのもこのお人。話の筋には関係ない少女のイラストを挟み、美しい絵のための“見せるマンガ”は、画家志望だった高橋真琴だからこそ生まれた手法なのだそうです。
間を置かずファンタジーの復権も起こり、それは1960年に連載を開始した水野英子「星のたてごと」がもたらしたものでした。手塚治虫を始めとしたトキワ荘メンバーに影響を受けた水野さんの描くドラマは骨太で後の世代に多大な影響を与えました。ファンタジーはこの後、主流とは言えなくとも連綿と続いていくことになります。
「星のたてごと」の功績はもう一つあり、それはこの作品が少女漫画最初のラブストーリーであること。
読みながら「あれー? 『リボンの騎士』も恋愛漫画だったよね?」と思ったのですが、読み返してみると「リボンの騎士」はサファイアとフランツの恋路が基盤にあるけれど、恋愛心理は思ったより描かれていないんですよね。サファイアの失脚を狙う敵キャラとの争いに主眼が置かれており、ラブストーリーかと言われると確かにちょっと違うかも……と思い直しました。
その後、今度はまた少女の生活に近い恋愛が重視されるようになり、学校漫画が現れます。それまでは“生活”と言うと家庭や友情をテーマにした作品が多く、同世代の女の子の恋愛が主題になることはありませんでした。先述した薄幸な美少女や、さらに時代を遡ったコマ漫画のキャラクターとは違う、現実に生きる身近な少女達がここに登場するのです。
恋愛要素の強い学園ものを開拓したのは西谷祥子でした。彼女は水野英子作品を好み、ファンタジーものやSFなども残しているそうですが、人気の核となっていたのはやはり学園恋愛もののようです。
米沢さんによると、「こうあるべき」と教育的であった少女小説に対し、少女漫画には次第に作家自身の「こうありたい」という願望が反映されるようになっていったと言います。(これについては、少女小説にも“エス”などありますし一概には言えないように思うのですが、少女小説には疎いのでひとまず置いておきます)
より共感できる内容になっていく、つまり描き手側にもより感情移入が求められるようになっていく。自身も感情移入しながら描けることが重視され作家の低年齢化を促進し、今日まで続く読み手が描き手へと変わっていくサイクル・作家と読者が渾然一体としたフィールドが醸成されていくのでした。
話をちょっと戻して、貸本漫画のことにも触れておきましょう。
50年代末〜60年代は貸本漫画の最盛期でもありました。裕福な家庭の子供が読む雑誌に対し、貸本の少女漫画はそれほど裕福ではない家庭や若くして働いている女の子たちに絶大な人気を誇りました。戦後の混乱期で、貧困や戦争孤児の存在が多くの人にとって身近だった頃のことです。
米沢さんが「貸本出身のマンガ家達しか、真の意味での生活マンガを描く作家はいなかった」と言っているように、必然的にその内容は読者の生活を反映したものでした。
たとえば先日読んだ水木しげるの貸本少女漫画では、貧困で我が子を手放した母が生活に少し余裕ができてその子を探していたり、満州からの引き揚げなどが題材に取られていました。(近日中にinstagramに感想をアップする予定なので、またその時にリンク貼ります)
貸本で活躍している作家が雑誌でも描くようになったというケースも多く、著名な女性作家で言うと、矢代まさこやわたなべまさこは貸本でデビューしてから雑誌へと活躍の場を移していきました。
最初は貸本の方がメインだったのが、なぜ徐々に漫画雑誌へと比重が傾いていったのか。その背景には二つの理由があります。
まず人々が戦後の貧困から脱却し、時代が高度経済成長期へ突入したこと。貸本漫画が描いてきた「貧困」が身近なテーマではなくなってきたのです。
それと、少女雑誌が大型化し、視覚メディアが中心になり、さらには月刊から週刊へと発酵頻度が高くなったこと。このことにより、誌面を埋めるために漫画の需要が拡大し、雑誌業界では作家が大量に必要とされました。初めは貸本で人気のある作家に原稿を依頼して、次第に貸本で育ってきた第二世代の作家を発掘するようになり、少女漫画雑誌は一大産業へと育っていきました。
そうして貸本少女漫画は1968年にはほぼ終焉を迎えることになります。
ちなみに大阪の松屋町と上野のアメ横が貸本漫画の二大拠点だったそうです。どちらも問屋の集中するエリアですが、問屋に混じって貸本屋も並んでいたのかしらん?
何にせよ、60年代には“典型的少女漫画”が確立されていました。
つまり技術面では、ムード、かわいさ、センス、スタイル画、華やかさ。
少女漫画と言われてまずぱっと思い浮かべるこういった要素で出来ている漫画について、米沢さんはこのように表現しています。
そしてストーリー面では、ラブコメ。
西谷祥子によって切り開かれた、青春恋愛物語というジャンルは、少女漫画の主要テーマである“幸せ”を、“すてきな男の子と結びあうこと”の幸せへと変化させました。
とにもかくにも見た目と恋に恋する心理描写が重視されるわけです。
顔のアップが多く、背景にやたら花が飛ぶのは、作者の画力の問題もあったようですが……。とりあえず花があれば画面が華やかですし、結局キャラクターの表情に一番目が行きがちなので、理にかなっているとも言えるかもしれません。
“恋愛”を追求していくと、恋に恋するだけでは収まらず、当然肉体的な描写も必要になってきます。そういった「性」の描写は少女漫画界に大きな衝撃をもたらしましたが、肉体的な恋愛に比重が置かれるようになってくると、それはもはや少女漫画を逸脱することになります。そうしてこの時期に、少女より対象年齢が高めに設定された“レディースコミック”も誕生するわけですが、ここではその名前を記しておくに留めます。
このようにして一旦の完成を見せた少女漫画。
ここに革新の風を送り込むのが、我らが花の24年組というわけです。
(24年組については昭和少女漫画好きの皆様には説明など不要でしょうし、ご存知ない方はwikipediaなどでさくっと概要が見られますのでそちらをご参照ください。)
それまでに培われてきた少女漫画セオリーを覆す、実験的ですらある作品群は、しかしまぎれもなく少女のための漫画でもありました。たとえ主人公が少女でなくとも、夢の世界に生き、理想を語り、叙情性に溢れ、編集部の危惧とは裏腹に当時の読者の人気を得ていきます。
24年組の中でも、少年漫画誌にも寄稿したりSFものを多く手掛けた萩尾望都や竹宮惠子は男性ファンも獲得していきました。一方で大島弓子作品はリアリティやドラマツルギーが希薄で少女趣味の傾向が強く、同じ24年組とはいえ男性ファンは少なかったようです。
萩尾望都や竹宮惠子の活躍により、「物語指向を持つ作家は、SF作品を一作は描く」という状況が生まれ、雑誌でSF 特集が組まれたりもするように。
わたしが↑この記事で言いたかったのって、突き詰めればこの時代の漫画を忘れないで! ってことだったのかもしれない、と思いました。
またこの本では、木原敏江の評価がぶっちぎりで高いです。
とまで言われています。
その理由として、木原作品には平凡な少女ときらきらしい男の子のロマンスが多く、”平凡な少女が平凡なままで、素敵な人に愛される”という何とも少女漫画らしい甘い夢の世界を描いていることなどを挙げています。
絵柄も美麗で目は大きく輝いて、バックには花が乱れ咲き、美少年・美青年たちがコマの中にひしめき合う。主人公の少女よりも、むしろ少年たちが読者の目を奪うその作風。BL系の作品ではさらにその耽美さが追求されています。
倒錯的だったり異種婚など、従来の少女漫画からすれば“げてもの”に分類されそうなものも多く存在し、それが24年組たる一つの所以でもあろうと思うのですが、内容の如何を問わず通底するロマンティシズムが、「少女マンガそのもの」と言わしめたのかなと解釈しました。
蛇足ですが、「銀河荘なの!」に登場するイカルスのモデルがQUEENのフレディー・マーキュリーと知ってびっくらこきました。囲み目メイクに黒髪おかっぱなので、てっきりクレオパトラモデルかと思い込んでいたんですよね。(そして古代エジプト好きなのも相俟って、本作で一番好きなキャラはイカルスでした。いや、フレディーモデルでも好きなのに変わりはないんだけども)
無論、従来の少女漫画も健在で、正統派路線と、変わり種路線で雑誌も分かれていました。
週刊誌は人気作家の連載が中心で、別冊に新人養成の短編読み切りを掲載していたことから、異端だった彼女たちの作品に発表の場が与えられやすかった背景もあるようです。(この別冊とか増刊とかの仕組みがいまいち分かっていなかったのですが、なるほどそうした使い分けをしていたのかと納得しました。)
1980年に刊行された「戦後少女マンガ史」は、このように少女漫画と一括りに言っても捉えようがないほど多岐にわたる時代の到来で終わっています。
そんな訳で80年代以降の少女漫画の動向は説明できないのですが、80年代後半くらいからわたしの慣れ親しんだ絵柄から大きく変化していくように思います。これはアニメの影響も大きそうなのですが、その辺りの研究はまたの機会に……。
そして現在ではインターネットの普及により、漫画を取り巻く環境も大きく変わりました。少女・少年・青年といった区別もかなり曖昧になってきて、少女漫画みたいな絵柄の少年漫画とか、少年漫画みたいなバトルもりもりの少女漫画なんかもちらほら見受けられます。
今後少女漫画がどういった方向へ向かうのかは分かりませんが、新しい作品とともに、往年の作品もぜひぜひ読み継がれていってほしいものです。
最後に、この偉大な通史の感想をまとめておきます。ここまでお付き合いいただいた方で、しかし読むか否か迷っている、という方などの一助となればと思います。
わたしは「知らない作家を一人でも多く知りたい」「少女漫画の来し方を理解したい」という思いでこの本を手にしたので、目的は十二分に達せられました。
ネットで調べても出てこないような作家の詳細な情報が分かりためになりますし、巻末の貸本と雑誌の年表も大いに役立ちます。
あくまで概論であり作品論ではないので、気になった作品はここからさらに自分で調べていく形になります。なお、5、60年代の少女漫画に関しては、先日出版された「少女マンガはどこからきたの?」が漫画家の立場から深掘りしているので、こちらも参考になりそうです。(わたしはまだきちんと読めていないのですが……)
読みながら、百花繚乱時代をリアルタイムで経験された著者を始めとした年長の方々が羨ましくて仕方ありませんでした。
今この本で紹介されていた作品を一生懸命後追いしている最中ですが、願わくばその時代の空気感の中で味わいたかった。
そう考えると、現代の空気を反映しているはずの今の作品をあまり読んでいないのはもったいないのでは?とも考えてしまうのですが、わたしはやっぱり70〜80年代の少女漫画が好きなので、ある種俯瞰するようなこの距離感も含めて楽しんでいきたいです。
ちなみに記事内で引用しているinstagramはわたしの漫画紹介アカウントです。
我が家の漫画を分析・紹介する目的で作りましたが、最近は広島市まんが図書館で読んだ漫画をご紹介しています。
ご興味あれば合わせてチェックして頂けたら嬉しいです、よろしくお願いします!
最後まで読んで頂きありがとうございます。サポートは本代や映画代の足しにさせて頂きます。気に入って頂けましたらよろしくお願いします◎