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小説:初恋×初恋(その2)


相川さんは私の本を手に取り、パラパラとめくり、そして何か言いたげに、でも何も言わずに本を元の位置に戻した。私は言い訳するみたいに「経済の知識はあって困らないわ。それに世間知らずが嫌なの。今まで一本のレールの上を何も考えずに歩いて来たから。でもこれからは一人で生きて行かないといけないし」と言った。

「複雑なようで人生はシンプルなんだ。全ては生きられない。一つの生き方しかできない。そしていつか一つを選ばなくてはならい。今は経験が足りないだけだ。長く生きると色んな事がわかってくる。そして何を取り何を諦めないといけないのかが解る」と言った。
「私はまだ何も選んでないわ。そして名前はつきこ。満月の月に子供の子」
「良い名前だ。誰が付けたのかな?」
「両親。満月の夜に産まれたから」
「満月の夜には色んな事が起こる」相川さんはそう言うと、ふと帰れないくらい遠い眼をした。

 それから相川さんはコーヒーの話しを始めた。どうしてここに居る人達はこの場所に、ちょっと高いそれほど美味しくないコーヒーを飲みに集うのか。相川さんはこの企業の戦略を説明してくれた。聞けば聞くほど納得したけど、すぐに何処かへ行ってしまった。そんな事どうでも良かった。今の私には明日からの生活の事しか頭に無かった。

「それほど美味しいとは思っていないコーヒーをなぜ、飲みに来たんですか?」と私は聞いた。相川さんはちょっと考えて
「この空間が好きなんだ。とても居心地が良い。ここで随分仕事をした。コーヒー一杯で長居もさせてもらった。だから最後に見ておこうと思った」と言った。
「最後?」と不思議に思って聞いたけれど、私の質問を無視して
「君は金が必要なのか?」と言った。見透かされている、と思ったけど、顔には出さないように注意した。そして
「ええ。一人で当分生きて行けるくらい」と答えた。
「車の運転は出来る?」
「勿論。大型は無理だけど普通車なら」
「じゃあ、僕と取引をしよう。君の身体を二日間借りる。明日から二日間。その間、君は僕の言う事に従ってもらう。法に触れる事はさせない。そしてその報酬に百万払う」

「百万?すごい大金」
「金を稼ぐのは大変な労力だ。株の利益で百万を得るには元手の現金と時間が要る。それなりのリスクもある。今の君には良い提案だと思うけど」
「私に何をさせようって言うんですか?」
「今は言えない。ただ黙ってついて来てもらう。そして指示に従ってもらう。抵抗は出来ない。その覚悟はして欲しい。その代わり前金として、今ここで十万円渡す。そして残りを全てが終わった後で支払う。どうかな?」
「まだ、あなたの事よく知らないし。知り合ったばかりだし。そんな提案、乗れないわ。それに、いったいどうやってあなたを信用しろと言うんですか?」
相川さんは、カバンから名刺と運転免許証と通帳を取り出して私の前に置いた。
「もしも明日、私が現れなかったらどうするんですか?」
「その時は、他を探すよ」
 
その時の相川さんの眼差しを、私は生涯忘れないだろう。強がった言葉の裏に隠れた哀しい眼に私は覚悟を決めたのだ。逆らい難い覚悟を。運命、と思った。そして、今、口に出して言ってみる。
「運命」



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