現役高校生によるチャリカス入門🚴
どうも鯵です。ASIAN KUNG-FU GENERATION ファンかつ魚好きアニヲタチャリカスです。愛車はCAAD10、愛してるぜcannondale 😘
ハッ、きっしょ笑(真顔)
てな訳で私がロードバイクに何故乗るようになったのか、そしてロードバイクの楽しさを伝えていきたいと思う。
私が初めてロードバイクに興味を持ち始めたのは中学3年のころ。当時受験も終わって卒業式まで殆どの日が午前のみ学校で、午後には帰ってくることができた。その時ふと、受験終わりで浮かれたクソガキは思ったのだろう。
「荒川の河口まで行きて〜」
これがチャリカスへの道、第一歩である。中学1、2年生のころは釣りにハマって近場(5kmくらい)の公園へ小物釣りをしに行く日々であった。それもあって海や川に行きたいと思う気持ちは強かったのかもしれない。また「やりたいこと最優先‼︎(錦木千束風)」
中学校から帰って家に13時ごろ着。リュックに水筒、財布、印刷したGoogleMapの経路等を詰めてママチャリでいざ荒川河口である葛西臨海公園へ。
ママチャリというのは意外にも最高の自転車であると考える。カゴ付きでサドルもふかふか、体勢も楽で欠点である重さと遅さは元吹部の体力でなんとかなるものだ。荒川河川敷は綺麗に整備され、葛西臨海公園までも荒川に沿って走るだけで良いのでスマホ無しでも簡単に葛西臨海公園に着くことができた。帰りも家に着いたのは20:00とかだが難なく帰れた。「だがそのママチャリがクロスバイクやロードバイクであったらどうだろう、もっと早く帰れるぞ」と河川敷を走るスポーツバイク達を見て幼魚鯵は思った。
それから高校生にもなり9ヶ月後、親からの誕プレでクロスバイクを買ってもらった。メタリックブルーの地にシルバーの文字が入ったシンプルなクロスバイクだ。そして2回ほど乗り、骨折した。東京ディズニーリゾートへのサイクリングで荒川河川敷走行中にスカイツリーを見ながら車止めに単独で事故って右手小指骨折。実にはやい。車体の方はフォークが少し歪み、ブレーキがズレただけで済み、事故現場近くの自転車屋に持ち込んで20分くらいで直った。不幸中の幸いである。普通の人ならここで帰宅するか、連絡して迎えに来てもらうだろう。しかし若魚鯵はそのまま走った。何故だろうか、アドレナリンドバドバだからだ。ルートを少し変更してスカイツリーまで寄り道してからTDL前まで向かい、帰路はお台場の方まで遠回りしてから帰った。活きのいい魚だこと。
骨折が治ったのは2月下旬であった。それからというものクロスバイクに更にハマりだし、有馬ダムへのロングライドを境にロングライダーチャリカスとなった。部活の友人との多摩地方の温泉&ゲーセンライドやソロでの江ノ島往復140キロライド、部活の友人と行く2度目の江ノ島140キロライドを走った鯵はクロスバイクでの物足りなさを感じ始める。「ロードバイクに抜かされまくるし、ギア足りないし重い」と。
しかしロードバイクは高額である。鯵、バイト編の始まりである。バイトして貯めたお金+誕プレ代(8:2で自腹)で遂にロードバイク購入‼️同時にバイト編も終了。高校3年の春、やっと手に入れたロードバイク。バイチャリで購入したcannondale CAAD10 2011年モデル。
ロードバイクでの初ロングライドは尾根幹を通り相模湖への往復150キロライド。アルミなのに8.3キロと軽いし、何よりスピードがすごい。2011年モデルと10年以上落ちかつ中古であるにも関わらず150キロを江ノ島140ライドより速いタイムで走ることができ、さらにロードバイク沼へとハマった。チャリカス完成である。この1ヶ月後に山中湖へ220キロライドを敢行したが、別の機会に書こうと思う。
こんな拙い長文を読んでいただきありがとうございます。チャリカス大学生になれるよう受験勉強頑張りますので、投稿頻度がこの世の終わりな鯵を温かい目で見ていただけると幸いです。
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