侵入者と戦うフサコさん
「ここはどこなの??」
と思って生活している利用者さんはけっこう多い。
もちろん施設へ来所するときに、家族に見送られ、車に乗り、
よろしくお願いします、つってスタッフに挨拶とかしてるんだが、そこはやはり認知症。ぜんぶ忘れてしまう。
普通に教えてあげればいいじゃん。
それな。と思う女学生もいるかもしれないが、そう一筋縄ではいかない。
「ここはお年寄のための施設です。〇〇さんはご高齢なのでご家族が心配して預けられたんです」
と説明を試みても、
ちょっと何いってるか分かんないです
みたいな顔になり、よしんばどうにか一応の納得を得られたとしても、5分後には
「で、ここどこなの?」
なんて没入。焼け石に水で、んでもっといえば、「ここどこなの?」と思っている内ならまだマシなのである。
いちばん対応に困るのが
『自分でシチュエーションを確立している人』である。
どういうことか?
フサコさん(仮名)というお婆さんを例にとろう。
ある日の夜勤。深夜1時ごろ。
すやすや寝ていたフサコさんが、布団の上でむくりと起き上がった。
そして数メートル先の椅子に座っている自分にこう言った。
「誰ですかあなた?」
「……………どうしましたトイレでしょうか?」
とてもイヤな予感がしつつも、自分はなるだけ優しいトーンで近づいた。
この方、日中は聞き分けのよい婆様であり、基本は昼間利用の方で宿泊は初であった。
つまり『夜版フサコ』は初めて見る。
「ねえって。誰ですかあなた?」
布団で正座しているフサコさんが語気を強めた。
あ、これたぶんヤベえと自分は本能的に思った。
「あのう。へへへえっと僕はここの職員すよ。安心してね。怪しいもんじゃないっす。トイレいくっす? えへへへへへへへ」
敵意のないことアピールするため笑顔に徹したが、それがよほどいやしい笑顔だったのだろう。
急に声を張り上げてフサコさんは怒鳴った。
「ここはあたしん家ですよ!? 出てけっっ!!」
「え」
「出てけぇぇぇ! 警察呼ぶよぉ!!!」
おいマジか。
なんて厄介な設定だ。と自分は思った。
要するにフサコ脳ではここは『自宅』と認識しており、そうなると目の前の謎の男――つまり僕はまったく見覚えのない不審人物で、夜中に忍び込んだ泥棒かなんかの類の侵入者で、激ヤバで、ともすれば襲い掛かってくるかもしれないイカれた超サイコパス野郎だわ!!
と思われているわけである。
「ちちち違いますよ。落ち着いてっ」
「出てけえぇぇっ!」
超サイコパス野郎を前にして一切ひるまないこのハートの強さ。あっぱれである。拍手を送りたい。
というのは別に後から思っただけで、この時は興奮気味のこの老婦の誤解を解くのに自分は必死であった。
「落ち着いてくださいあの」「あなた誰ですかっ!」「いま説明しますからえっと」「何なのあなたはっ」「ここはまずどこか分かります??」「あたしの家だよっ」「いやいやいやそれが違う。間取りとか見て」「あたしの家よっ」「え。いやほら家具とか」「あたしの家よっ」「違うんです絶対に」「警察呼ぶよぉ!」「待って下さい!ここは施設なんですっ。施設!」
「施設ぅー?」
ようやくそフサコさんが少しだけ訊く姿勢を出したので、噛んで含めるように自分は言った。
「フサコさんはご高齢ですよね? ですから一人で心配なのでご家族がこの施設へ預けられたんですよ。僕はそこの職員です」
「……何をそんな」
「いや本当。ここはお年寄の方のための施設なんです。だから安心して」
「だってあたしはそんなお年じゃないですよ?」
「いや、えっと、あの…お元気かもしれませんが、もう90も超えられてますんで」
「何言ってるんですかっ! 私は50ですよ?」
・・・・・・・
おいマジか。
なんて厄介な設定だ。
夏川純が3歳サバ読んでたのなんか可愛いもんである。
40歳のサバ。サバ読みギネス。というか厳密にいえば、サバを読んでる意識はない。ご自分は50と思い込んでるからまたややこしい。
「いや90超えられてますよ~ほらこの書類に生年月日が……」
「何言ってるんです!馬鹿なことをっ」
ぜんぜん聞く耳をもたない。そりゃそうだ。
仮に自分は現在38歳になるが知らない奴から急に現れて
『あんた78歳よ?』
と言われたらどうだろう?
何言ってんだ馬鹿野郎、というのは至極真っ当であって、そうこうしてる間にも「警察呼ぶよぉ!」
とか、まあまあでかい声で連呼するフサコ嬢。
温和な介護士の自分も、さすがに少し言葉強めた。
「警察呼びたいなら電話しなきゃダメすよっ。ご自宅なら、ほら電話の場所分かるはずですよ。分かりますかね。電話の場所が?」
「・・・・・・」
とこれに沈黙したフサコ嬢だったが、次の瞬間
「あなたが電話しなよっ!」
と、よく分からないことを言った。
「へ?」
「警察呼びなよっ!ほら電話しなっ!」
「ぼ、僕が警察を呼ぶのですか」
「そうだよっ!」
自首を強いられてしまった。
どう罪を償っていいか分からないので参ったなと思っているとその横を
「ちょいとお手洗いです。すいませんねぇ。どもども」
と中井さん(仮)が通りかかった。頻尿の中井さんであった。
「あ、気を付けてくださいね」
と声をかけてると背後からフサコさんが中井さんに向かって叫んだ。
「あなた、誰ですかっ?」
「ちょ、ちょちょちょっとっ」
流れ弾。
「ね! あなたは誰ですか!!?」
2人目の不審者となった中井さんが
「ええーーーなんだぁー?」
と振り返るので、
「いい!いい! 気にしないでっトイレに」と押し返すがその背後からまた
「誰ですかあなたぁっ!?」
の怒号が飛ぶ。
不審者がまさか集団に家に押し入ってるとは、フサコさんも思わなかったのだろう。
その気迫はなかなかで、中井さんがトイレから戻ってくるとまた
「ねえ、何なんですかあなたぁ!?」
とか叫んで、まあそんなことを10分くらいやってたのだが、もう侵入者相手も疲れたのか
急にフサコさんが無言で立ち上がった。
「トイレすか?」
と訊くと、フサコさんは話しかけんなサイコパス野郎みたいな顔をして、完全無視で歩き出したが、歩行に不安のある彼女を放っておくわけにもいかぬ。倒れないよう支えながら自分は付いていった。
「何ですかあなたしつこい」「いやトイレまで送ってきますから」「結構です」「一人じゃ危ないですから」「いいです」「はいちょっとストップ。扉あけますね」「結構です」「はい中入って。手すり捕まって」「結構です」「すいませんズボン下ろします」「結構です」
結構ですと連発しながらも、やはり一人ではいろいろ難しいので、指示にはちゃんと従うフサコ嬢。
便器に座るフサコさんの前で、がさごそとリハパンの交換作業を行っていたのだが、
その辺りでおそらくフサコさんも、あれ、なんかおかしいかも?? と思い始めたのか。こちらを見つめる表情から
――なんでこのサイコパス野郎、わたしの下の世話してるのかしら??
と思ってる感じが伝わってきた。
だんだんと設定が崩壊し、頭から煙がぷすぷすような雰囲気が見てとれて、ズボンを無事に履かせ終えて
「うし、OKっす」
と自分が一言いうと、フサコさんはどう言っていいか分からなかったのだろう。
なぜかちょっと半ギレで
「あいっ。ありがとっっ」
と言った。
ツンデレである。
なんだこれ。犯人と人質で友情が生まれたみたいな?ストックホルム症候群てやつ、まあ、とにかく素直になったフサコ嬢を手引きで寝床まで連れ、布団をかぶせた。
するとフサコ嬢は
「ねえ……あなた……」と自分を呼び止めて言った。
「みちおさん?」
自分は別に否定する必要もないので、
「はい。みちおです」
と答えた。
それ以来、自分はフサコさんの中で、みちおさん、という設定が多くなった。みちおさんが誰かは知る由もない。
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