「ご飯はまだか」の青木さん
「飯はまだかぁ?」
「おじいちゃん。さっき食べたでしょ?」
「あーそうか。で、飯はまだかぁ?」
執拗なまでにループするこのやり取り。
巨匠志村けん氏の「飯はまだかぁ」の名セリフが脳裏に刻まれてる世代はきっと多い。子供のころ何も考えず、鼻垂らして、しむけんサイコーげらげらげら、と笑っていたんだろうが、介護の現場に入って知ったことがある。
実はあれはまったく、デフォルメされた世界ではない。
介護の現場においては超日常茶飯事、通例行事。超あるあるネタだったのである。はじめて、リアル「飯はまだか?」に遭遇した時には
「し、し、志村けんだっ」
と思い、妙な感動すら覚えたものである。
しかしそうはいっては、あれはやはりパターンの決まったコント。
リアルでは全然違う展開が待ってたりする。
「さっき食べたでしょ?」と石野陽子嬢にいわれた志村爺さんは
「あーそうかぁ」
と一旦ではあるけども一応納得してくれる。つまり物忘れはひどいが、非常に聞き分けの良い、温和な爺さんなのである。しかし現実では爺さんといっても、千差万別。志村爺さんのような人ばかりではない。
大変主張の強い、実に堂々たる態度のご老台だっている。
誰のことか、そう、青木さん(仮)である。
「ご飯はまだですか?」
朝食後から約10分。
自分が洗い物に専念していると、ソファー席から、背筋のピンと伸びた、自分と身長もあまり変わらない青木さんが、こちらを見てニコやかに丁寧にそう尋ねた。
普段青木さんは、ひとりで毎朝体操をするなど、非常に健康的で元気なハッスル爺さんである。
自分は答えに窮しながら石野陽子になった。
「……さっき食べましたよ」
そう返すと青木さんのニコやかな表情が阿修羅のごとく、みるみる怒りの形相に変わった。
「えええ? 食べてないですヨ私? 何言ってるんですか君」
「いや10分前に召し上がりましたよ……卵焼きとお浸しと」
「いーや食べてないですね。なんでそんな嘘をつくんです」
「いやいやそういわれても、食べましたから……」
「食べてないですヨ!? 早く出してくれないか!」
「いや、だって」
「君は私を飢えさすつもりかっ!!?」
こうなったらもう手遅れである。
致し方なく、二回目の朝食を出すまで、絶対に機嫌が直らない。
認知症の方のおっしゃる事を【否定するのはいけない】という介護界の鉄則がある。がしかし、この食後の「飯はまだか?」に関してはあまり有効ではなく、否定もせずに、
「そうだったね、すぐご飯出しますねー」
なんて言った日には本当に飯を出さねばならなくなり、出さない限り先方の不穏ゲージがどんどん溜まり、どこかで爆発しかねない。
この青木さんの「飯まだか」現象は、施設内でかなり問題になった。
なぜなら、これがたまに事ではなかった。
毎日である。毎回である。よく考えてほしい。食事というは一日三食ある。
ほぼ毎食後に
「ご飯はまだですか?」
と来る。我々はそのたびに食事を提供せねばならず、でなければ怒り狂い、下手したら暴れだすような勢いの、図体のでかいハッスル青木さんである。
つまり、一日六食。
大食いタレントか。
とツッコみたく気持ちはわかるが、そこはやはり利用者さんの健康管理に気を遣う介護施設、まさか普通に六食も出すわけにいかない。とられた対策は、
『一食の量をかなり少なめに抑える作戦』
である。
青木さんには少なめのご飯を提供し、飯まだかコールが入ったらば(かなり高確率)少なめの二食目を提供する、というカオスな待遇となった。
そしてみんな正直こう思っていた。
――超面倒くさい。
そりゃそうである。利用者さんは青木さんだけではないし、他にいっぱいやる事もある。
なぜご飯を二度も提供せねばいけないのか……
しかしそれも束の間――
事態はさらに悪変した。ある朝、自分が青木さんから飯まだかコールが入り、2回目の朝食を提供、10分ほど経った時のこと。台所にいる自分にソファー席から青木さんが言った。
「ご飯はまだですか?」
自分は耳を疑った。
青木さんの目の前に歩いて行って
さーんかーいめぇー
とアンガールズ田中さんの言い回しで叫びたい衝動。予期せぬ展開にさすがに自分は語気を強めた。
「いやいや青木さん! ご飯食べましたよ?」
「えええ? 食べてないですヨ? いつですか?」
「いつって10分前!とその20分前に……」
「どういうことですか、それは?」
青木さんに説明する術は自分には無い。
昼のスタッフの人に事情を伝え、どうにか昼食の時間まで「今作ってますから」と引っ張り倒してもらいどうにか事なきを得た。
そんなこともあり、こりゃいかんとなったスタッフチームはまた別の作戦を決行した。
『食後の器を下げない作戦』
これは実に素晴らしい作戦である。
「ご飯はまだですか?」という魔のセリフを青木さんが放つのは、言うまでもなく、
俺はご飯を食べてない!と思っているからに他ならず、じゃあ、食後の器をずっと目の前に置いておくとどうだろう? あ。俺は飯を食ったんだ。そうだ、食った!何食ったか覚えてはいないけど食った!
と思い続けることができるわけだ。
これは抜群の効果を発揮した。
テレビを見ている青木さんが不意に
「あ、ご飯食べたっけ?」
と、頭の中で、絶対に思ってるに違いないなんかちょっとピクっとした顔をする。
けれどストンと目を落とせば食後の器が並んでいる。あ、食ったか。てな具合にまたテレビへ向き直る。これでようやく事態は収束した。
かに思われた。
何事も慣れというものがある。
ある日、食後の器をしっかり眺めていた青木さんが、顔をまたあげて
「ご飯はまだですか?」
と問うたのである。当然、誇らしげに自分は言った。
「いや、食べましたよ青木さん。ほらそこに器があるでしょう」
「ええ? これ私が食べたんですか?」
「そうですよ。味噌汁のお椀と、お皿と」
「いいえ食べてませんヨ?」
「いやいやいや……」
「これ私のじゃないですよ? 君なんでそんな嘘つくんだ?」
「いや嘘でないですよ、あの」
「君は私を飢えさすつもりかっ!!?」
ぼーっと生きてんじゃねえよ
のチコちゃんばりに叫んで、鼻息が噴き出たらもう終わり。万事休す。
作戦会議へ。
てか、そもそも器下げない作戦は、洗い物がいつまで経っても片付かないのよね、とか別の問題点も併発しており、またも少なめを二食提供するしかないのか……と思われた。そのとき
これは自慢じゃない。自慢じゃないけど自分が、僕が、すごい新作戦を閃いたのだ――これがこの問題を完全解決することに。その作戦とは
『食後にご飯の感想を書いてもらう作戦』
である。
作戦内容は簡単。青木さんのご飯が済んだタイミングで近寄り
「青木さん、すいません。この紙に名前と今の食事の感想を書いてください。メニューの参考にしたいんすよ」
と言って紙とペン渡す。すると青木さん、いいですよー、なんてニコニコしながら
「あれえーと、何食べましたっけ。物忘れがひどくてあはははは」
なんて笑ってるので、よく知ってますよー、とか余計なことは言わず
『なめこの味噌汁 味よし。豆腐ハンバーグ 絶品。』
とか書いてもらい、それをずっと目も前に置いておくわけだ。
器は全部下げてよい。紙一枚あればよい。肴はあぶったイカでいい。
これはまぎれもなく、
自分が食事をした
という証拠になるのだ。自分の字体というのは年をとっても自分でよく認識しているし、ちゃんと名前も書いてある。
なめこの味噌汁、味よし、と書いた人が
「ご飯は食べてません。何食べましたか?」
とは、どう間違っても言えない。
こうして「飯はまだか」は完全封印された。
一日三食の健やかな食生活が青木さんに戻ったのだった――
その後、数か月ほどで青木さんは別の施設に移動されたが、
その折にこの『ご飯の感想作戦』も伝授された、とのこと。
今ではどこにいらっしゃるか分からない。
今もどこかで食後の感想文を眺めているかしら。
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