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東京オリンピックとヨシコさん

2021年7月23日。東京オリンピック開会式。


みなさんご覧になったろうか?


視聴率56%っつう、なんか昭和のテレビみたいな
力道山とか、8時だよ全員集合の停電のやつとか、そんな数字を叩き出したとの事なので、きっと観た人も多いだろう。


家族で観た人。1人で酒飲んで観た人。友達とわーわーツッコみながら観た人。
いろんなパターンがあるだろうけども自分はというと、
この歴史的瞬間をヨシコさん(仮)と見た。
ヨシコさんというは、ご想像通り。そう。利用者様のご老婦である。


――といっても最初は自宅で観ていた。ドラクエの入場曲が流れてきて、
おおーーーと興奮したあたりで、あえなく出勤時間に。夜勤の日であった。


……最後まで見たかったなあ……

と思ってバイクを走らせる。
もちろん介護施設にもテレビくらいあるが、ご存じのようにご老人の就寝時間は、とっても早い。
出勤時間の8時すぎには消灯され、施設内は静まり返っており、
テレビで開会式の続きを流しておける環境ではない。


ところが――施設の玄関について、自分はおや?と思った。


中がなんか明るいのである。


「おざまーす……?」


と入っていくと、なんというレアケースだろか??
ヨシコさん。山田さん(仮)という爺様。そして先輩のスタッフ。

3人が明々とした電灯の下、テレビ画面に釘付けになっているではないか。

「おざっす。入場ドラクエだったよ、今ファイナルファンタジーだ」


と先輩スタッフが第一声で言った。
早々に交代業務済ませ「あとはよろしく、消灯は任す。頃合いを見て」
といって先輩は帰っていった。

ベッドに座っているヨシコさんの隣に陣取って、テレビを眺めた。
その他の利用者さんはテレビから離れたベッドで寝ていたが、
明るすぎてはいけないので半分だけ消灯した。


「すごいわねぇ。東京でしょうこれ??」

ヨシコさんが訊く。


「そうっすよ。国立競技場すよ」

「わたしねぇ、スポーツ大好き。高校野球なんかも見るの」

確かにヨシコさんはニュースでスポーツのハイライトなんかやってると、いつも食い入るように見ている。

「じゃあ、このオリンピックも楽しみすね」

「そうなの。楽しみなの」

「前の東京オリンピックも開会式も見られたんすか」

「うん見たよ。10年くらい前かしら?」


「……………………へえーすごいっすね」 


ここで余計な訂正をしないのが熟練の介護士の技である。

常人ならここで、んなアホな君、そんな最近なわけあるかいな、パラレルワールドかっちゅうねんと関西弁でまくしたててしまうに違いない。


「おやすみぃ」

と後ろで声がした。
何のイベントかは恐らく分かっていなかった山田さんが脱落した。
トイレへお連れして、書類とかの仕事を済ませ、またヨシコさんの横へ戻った。


「ああーーー眠たいっ!!」


唐突にヨシコさんが叫んだ。

……眠たいんだ………
………そりゃそうである。時計の針は10時を回っている。
いつもは7時くらいにはぐっすり眠っているのだ。なかなか無理している。

「どうしよう、眠たいっ。日本はいつかしら? 日本が見たいの」

テレビでは各国の入場シーンが延々と続いていた。

「日本はたぶん最後じゃないすかね……開催国だし」

「あと、どれくらいかしら。眠たいのに」

「どうします? もう寝た方が?」

「…………うーーーん見たいなぁ、日本見たい」

「気持ちはわかるんすけど時間も時間すし」

「あああああー、袴着ててほしいなぁーー!!」


「!?……はい?」


急に別な角度のことを言われて自分はビクっとなった。

「日本、袴着ててほしいぃーっ!!ハカマ!!!!」

「え? あ、日本選手がですか?」

「そう!!ハカマ着ててほしい!!」

なるほど………


確かに袴着ててほしい。と自分も思った。


素晴らしいアイディアじゃないか。
記念すべき日本でのオリンピック。男は袴、女は美しい着物を纏って、入場する姿はさぞや恰好いいだろう。
小林賢太郎氏の後継はヨシコさんにすべきだった。


「絶対、袴着てるのがいいーーっ!」


かといって別にそんな大きい声で言わなくてもよいので、
ハカマ妄想で異様にぶちあがるヨシコさんを、しーーーーっとたしなめた。


「日本見たいなぁー。でも眠たい。見たいけど、眠たいのよ」


ここまで見たがっている彼女を無理に寝せては気の毒である。
「どうしましょう? 寝ます? まだ見ます?」
判断をヨシコさんを任せた。


「んんん…………………」


しばらく悩んでから彼女は意を決したように言った。


「私、起きてる」


これがオリンピックの力。ひと夏の老婦の夜更かし。そのテレビを見やる視線は実に力強い。最後までお供しようと誓った。

「暖かいお茶持ってきますわ」

「あら、ありがとう」

茶をすすりながら、ヨシコ嬢はたまにコックリコックリと落ちそうになるが、頭をぶるぶる振ったりして日本選手団の入場を待っている。


――しかし長い。
なんて長いだ? この開会式。こんなに長いもんなの?
ぶっちゃけ自分的にはもう別にいいかなーって感じにすらなってきていたが、そこらで次回開催国のフランスが入場し、次は日本が来るぞムードになった。

「あっ!? そろそろじゃないですか?」

睡魔を追い払うようにヨシコさんの肩をとんとん叩いた。

「え! 日本なのっ? 来る?来るの?」

「来ます来ます! 来ます来ますよ」

「どこ? あああーー袴着ててほしいー!!」

「しーーーー声はおさえて!」

「袴着ててよねーーー!」

「着ててほしい! 着ててほしいけど声おさえましょう!」

袴を熱望する介護士と利用者のボルテージが一気に上がったところへ
よ、待ってました。日本選手団が現れた。

「あ! 来たー! 来た来た来た来たっ。日本すよこれっ! 袴は着てない! 袴は着てないけども、でも日本すよヨシコさんっ!」


八村塁選手を先頭に白ジャケットと赤パンツに身を包んだ日本選手が入場すると
ヨシコさんの目がギラギラ輝き、そして叫んだ。


「ニッポン!!! チャチャチャ!!!」


「……っ!?」


覚醒したヨシコさんが、深夜の介護施設で手をパンパンパン!叩き始めた。


「あ、ちょ、しーーっ…しーーーっ」


「ニッポン!!! チャチャチャ!!! ニッポン!!! チャチャチャ!!」


さすが東京オリンピック。90歳もすぎた老婦にここまでアドレナリンを吹き出させるとは。

「寝てる人がいるから、ちょ抑えて、しーーーーっ」

「ニッポン!!! チャチャチャ!!! ニッポン!!!」


「うっせえよおぉっーーー」


向こうのベッドからさっきまで仲間だった山田さんの怒鳴る声がした。ヨシコさんのテンションを収めて、山田さんのベッドへ走り機嫌を取った。
「よし……じゃヨシコさんそろそろ寝ましょうか」
「これで終わりかしら?」
「んん……まあまだ聖火台に火つけてないんで、まだあると思いますけど、時間も時間だし」


「………………私、起きてる」


「…………」

たぶんもう11時も過ぎていたろう。彼女にとっては異例、ていうか介護施設的に異例である。

「分かりました。……じゃ聖火つけるとこまで」

それからドローンが地球の形になったりする中、睡魔に襲われ、だんだん寝てるのか起きてるのか分からない風情になってきたヨシコさんだったが、
それを限界値に到達させたのは、

そう

バッハ会長であった。


彼が13分。
――いや体感なら30分以上の、校長風ロングスピーチを続けると、
ヨシコさんは頭をぐわんぐわん回しはじめた。


「ヨシコさん? ……大丈夫?」

「…………」
返事はない。
ただ頭をぐわんぐわん回している。
エクソシストだ。もうこれは寝てもらおう……と思ったそのとき、

ヨシコさんは顔ぐっ!と上げて画面のバッハ会長に叫んだ。


「ご挨拶はもうそのへんにしてくださいっっっっ」


……………国民の声を代弁した叫びであった。


そのままヨシコさんはベッドに沈み、3秒後には寝息がすーすー聞えてきた。
大阪なおみ選手がようやく聖火台を灯したのは、その約1時間後。

――10年ぶりの東京オリンピックはやっと開幕した。

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