靴下中毒のキヨシさん
靴下を何枚も重ねて履いているおじいさんがいた。
コンスタントに4,5枚は履いていた。
と唐突に書き出してみたけども、とにかくそういう方がいた。
「え、冷え性すぎない? 分厚い一枚でよくね。マジやばたにえん」
と言う女子がいるかもしれないので説明すると、
認知症の方の特徴に「ひとつの行動に固執する」というのがある。
例えば、机をずーっとティッシュで拭いてみたり。もってきた鞄の中身を繰り返し出し入れしたり、メモ用紙にずっとなんか書いてたり・・・
例をあげればキリがないけども、介護界においてはあるある案件で
『こだわりの法則』なんて呼び名まで付いている。つまりこのお爺さんは、
靴下を履く。
という行為に執拗にこだわっていた。
名をキヨシさん(仮名)といった。
前にもファッションリーダーとしてご紹介したキヨシさん(仮名)、その人である。
奇抜なファッションで施設内でも有名なご老夫であったが、前回書き切れなかったのが、この靴下レイヤードファッションであった。
この、世にも珍しい、靴下の重ね履きがいつから始まったか定かでない。
キヨシさんのベッドの横には、上着や私物なんかをいれるボックスが置いてあり、そこに何足か靴下が入っていた。つまり靴下を自由にはける状況にあり、いつの頃から一枚、二枚、三枚、と重ね始めたのである。
いや。スタッフとてこれを放任していたわけではない。
靴下を重ねれば足が圧迫され、うっ血する可能性もある。見つければ即、
「キヨシさん!なんでまたこんな靴下はいてるんですか」
と椅子に座ってもらい、靴下を一枚一枚剥いでいった。
キヨシさんは足をあげて無言でそれに応じたが、顔はなぜかいつもちょっとムスっとしていた。
いったい何度この「靴下脱がし」の儀をやったか分からない。なにかのライブの大喜利で
『オリンピックの新しい競技は?』
みたいなお題が出て、答えがぜんぜん浮かばず
「………靴下脱がしっ」
と苦しまぎれに答えてまあまあスベった記憶がある。
キヨシさんのせいである。
――さて。
この重ね履きにはスタッフ一同手を焼いていたのだが、あるとき誰かが言った。
「てか、あの横の箱に靴下いれとかなきゃいいんじゃね?」
青天の霹靂であった。
なんて単純明快な打開策だ。本当だ。灯台もと暗し。
てことでキヨシソックスはすべて回収。利用者さん全員の着替えとかトイレペーパーとか置いてる荷物部屋に移動された。これでいいのだ。万事が解決――したように思われた。
しかしここで想定外の二次的な問題が発生した。
キヨシさんが荷物部屋へ侵入するようになったのである。
もちろん食い止めるが、スタッフとてキヨシさんの靴下のことを四六時中考えてるわけではない。
しかしキヨシさんはある意味、ずーーっと靴下のことを考えている。
「靴下ヲ奪回スベシ」
という異様な使命感を帯びた人間から、靴下を死守することはなかなか難しい。分厚くなった足元を発見するたび、あの不毛な儀式「靴下脱がし」を遂行するハメになる。
しかしこの重ね履き。繰り返し、繰り返し、行われることによって思わぬ事態になっていった。
ゴムがだるんだるんになり始めたのである。
そらそうだ。
5枚も6枚も年がら年じゅう重ねられたら、靴下側もたまったものではない。ゴミがゆるみ、ほとんどのキヨシソックスはルーズソックスみたいことになった。もはやどれだけ重ね履きしようが
「てか、これもう別に足圧迫しないんじゃない?」
って風潮となり、また新しい対策がとられた。それは、
もうほっとく。
である。
おや? 職務放棄ですか? 介護が訊いててあきれますね? やれやれですというフリーザ調の人がいるかもしれないので説明しよう。
実はこういった『こだわり』というのは長くは続かないそうである。
もって一年くらいと言われている。
健康や生活に支障さえなければ、気の済むまでさせてあげましょう、というのはマニュアルというか、推奨される対策のひとつなのである。
じゃあ、もうあまり気にしない感じで。と施設全体がなったとき――
また別の第三次問題が発生した。
ある夜勤のときのこと――
深夜、のそのそとベッドから起き上がってきたキヨシさんを見て自分は驚愕した。
足がロックマンみたいになっているのである。
「ちょちょちょキヨシさんっ?」
ロックマンが分からない人は申し訳ないのだが、とにかく足だけ異様なまでにぶっとい感じになっていたのである。これはさすがに放っておけない。近寄っていって自分は言った。
「え、これ何枚履いてるんすか!?」
4,5枚のレベルではない。傍の椅子に座ってもらい、また靴下脱がしの儀を遂行した。
「1枚、2枚、3枚、4枚、5枚、6枚……」
お菊さんスタイルで1枚ずつ引っぺがえしていくと
「あ」
と思わず小さく声が漏れた。だるんだるんのキヨシソックスに交じって、ぜんぜん違う感じの靴下を発見したのである。
「これ岡本さんのじゃないすかっ!」
キヨシさんの顔はムスっとしている。そう。別の利用者さんの靴下までも重ねられていたのである。
「ん? あっこれトキコさんのすよ!女性物ですよっ」
小柄なお婆さんの生地のうすい靴下であった。
どうやら、キヨシさん。自分の靴下だけでは飽き足らず、先の荷物部屋から目についた靴下をかたっぱしから履いてきたようなのである。
靴下専門の怪盗である。
といって
こういう『収集癖』のある利用者さんは結構いらっしゃる。キヨシさんだけではない。これに実は盗っている意識はなく、自分の物と他人の物の区別がつかないのが原因なのだった。
「ダメすよぉ、もう……」と、たしなめる程度にして靴下を脱衣していくと、また見覚えある靴下が出てきた。しかもすごい見覚えある。お年寄りっぽくないボーダー靴下である。
「ん?」
一瞬目を疑ったが、裏表にしてみたりして確信した。
「俺のやないかい」
……キヨシさんはムスっとしていた。
――数週間前。雨の日に濡れた靴下を干して乾かなかったのでその日はそのまま帰宅。後日回収しようとしたら無くなっていた。職員に訊いても「知らない」と言われ、もういいやって感じで消失した、かわいそうな靴下であった。
「え? マジでどこにあったんすか? これ?」
「………なにがあー?」
「……なにがあて。まあまあいいんすけど……これ返してくださいね??」
というとキヨシさんは意図を理解したのかしていないのか
「いいよぉー」
とスリムクラブみたいな返答があった。すべて脱がし終えると廊下に
14足の靴下の山ができた。
むろん過去最高記録である。
と、そのとき。その横をもっと収集癖のある金子さんというおじいさんが通りかかった。
「金子さんトイレすか?」
と訊くか訊かないかのうちに
金子さんは靴下の山を抱えてぜんぶ持ってこうとしていた。
「ちょちょちょちょちょちょちょっ」
全力で阻止した。
それからキヨシさんの靴下中毒は半年ほどで終息の方向に向かい、
むしろ裸足でいることの方が多くなった。ずいぶん前のことで懐かしい。
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