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天使のくれた時間(The Family Man)【ぐすたふ】のシネマ徒然草子.Chapter6

久しく投稿が空いてしまいました。
少しドタバタしていて、毎日投稿など有言実行することができず。
毎日投稿が目標ではありますが、私はまず自分のペースで投稿をすることを心がけることから始めようと思います。
と、挫折の言い訳から始まりますが、今日も行きましょう!

 ※記事の中にはネタバレも含まれますので、これから映画を見ようと思っている方は作品概要以降、ご自身の判断で読んでいただけますと幸いです


ー目次ー
 1.作品概要
 2.ぐすたふの「ここを見て!」
 3.ぐすたふのひとりごと


1.作品概要

 邦題:天使のくれた時間(原題:The Family Man)
 監督:ブレット・ラトナー
 主演:ニコラス・ケイジ、ティア・レオーニ、ドン・チードル他
 制作国、日本公開年:アメリカ、2001年

 ※画像はNetflixサイトより、お借りいたしました

 ストーリー概要:
 投資家として大成功を収めていた主人公ジャック。
 独身ながら、自身の仕事にも生活にも満足していたが、あるクリスマスの日、かつての恋人ケイトから電話があったとのメモが。
 ケイトとはかつて結婚を約束するまでの仲であったが、ジャックは彼女と一緒にいる未来よりも、自身の仕事を選んだことで二人は破局を迎えていた。
 突然の電話に、長く記憶の奥底に仕舞われていたケイトとの過去を思い出すジャック。
 そしてそんな日の帰り道、立ち寄った店で偶然出会った青年から、謎めいた言葉を投げかけられる。
 不思議に思いながらも家に帰り眠りについたジャックだが、朝起きるとそこは昨日まで過ごしていた自分の部屋ではなかった。ベッドの隣には女性が、そして目の前にはクリスマスだと騒ぐ子供たちが。 
昨日までと全く違う世界・生活に迷い込み戸惑うジャックだが、この出来事が彼にもたらす気づきと変化とは…? 


2.ぐすたふの「ここを見て!」

今回のおすすめシーンは、ジャックとアニーが雪遊びをするシーン。

そこでアニーは「本物のパパだ」と呟くのです。

異世界(パラレルワールド?)に迷い込んだ当初、アニーはジャックに対し「本物のパパにそっくりね、宇宙人でしょ?」と問いかけるのです。

そこから時間が経ち、このシーンでこのセリフ。
最初は「パパ」ではなかったジャックが、一緒に過ごす時間を重ねていくなかで、最後はアニーの「本物のパパ」になっていったのです。

それはそのあとのジャックのセリフからもわかります。
(このセリフはぜひ映画を見て実際に聞いて欲しい!)

我々は最初から「何者」か決まっているわけではなく、
経験から生まれる行動・態度・習慣・思考が「何者」であるかを作り上げていくんだと思いました。

だからこそ、その一つ一つを大切にして日々生きていきたいな、と。
そうしたら、私も私がなりたい「何者」かになることができるかもしれないと。

そういったことを見たあとに思いながら、でもそんな深く考えずにこのじゃれ合うジャックとアニーの二人を、ケイトのように優しく眺めて欲しいシーンです。


ちなみに、このセリフと映画を通してもう一つ思ったのが、子供の方が(意外と)見かけに騙されないのかも?ということでした。
我々大人は、自分の目で見たものを信じて疑わない。
多少の違和感があっても、何かしらの理由をつけて納得させて終わらせる。

でも、子供はそうはいかない。
なんでこうなんだろう?なんでこうじゃないんだろう?
そういう湧き上がる疑問を素直にぶつける。

うーむ。いつか子供ができた時、このことを忘れずに、きちんと一人の人間として応対できるように真摯でいたいな。


3.ぐすたふのひとりごと

この映画って結構荒削りな作りだな、と勝手に感じてるところが随所にあるんです(笑)。
(だってそもそも天使どこいったのよ?たいてい他の映画だと、影から微笑ましく見てたりとか、そういう最後の納得いくシーン作るじゃないですか王道アメリカ映画なら、と勝手に思ってしまってます。)

最後、ジャックとケイトが空港で一緒に話すことになるシーンも、おお、ハッピーエンドに繋げたな、と感じてしまったり。(これは私がひねくれているのか…。)

でも、なぜか、見終わった時に妙な納得感があるんですよね。

ジャックがこの世界に留まることを望んでも、結局元の世界に戻されてしまったという融通の効かないところもありながら、最後はケイトと一緒に話す時間を過ごせたりという思いがけずうまくいくことがあったり、なんか人生そのものなんです。映画の進み方が。

望んだように、想像したように進むわけじゃない。
でも悪い方向に進むだけじゃなく、思いがけずうまくいったり。

映画を見た時、はちきれんばかりの幸せに包まれるわけでもなく、立ち上がれなくなりそうな不幸感に占められるわけでもない。

この映画の空気感って「人生」そのものだな、と感じるんです。

それがこの納得感の理由なのかもしれません。


そういう映画って、とても貴重だなと感じます。

そして「天使のくれた時間」という放題をつけた方々、すごくチャーミングな感性だな、と思います。


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