事の背後にあるもの
さて、物語はものについて語るのです。
ものという古語は、形のハッキリしていないという意味を持ちます。それに対して、明確な形があれば事と呼びました。
ものとは目に見えない働きです。
例えば重力。確かに働いてはいるけれど見ることができません。磁力も同じでしょう。
こうしたものを表現するために、日本語では神という文字が使われました。
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ここでの神は宗教の人格神ではありません。
申し示す存在と言いましょうか。
例えば、雨は天が申した姿なのです。雨が降れば人は傘を差します。これが示すです。
ずぶ濡れになれば風邪をひきましょう。風邪をひくという自然現象もまた神なのです。
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物語はもの=神について語ります。
なぜかといえば、神=大自然の法則がどう働くのかを深く理解するためです。
神=大自然の法則を理解することは人にだけ許された特権である──私たちのご先祖様は、そう考えていたらしいのです。
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さらに、理解と言いましても、現代社会で使われている通常の理解とは少し違います。
理はことわりと読み、大自然の法則つまり神のことです。そして、解するとはバラバラに解すことを意味します。
物語とは神を理解するために語り、理解するとは神をバラバラに解すことである──
あはは~スビバセン。なんだか堂々巡りの言葉遊びをしているように感じるのですが。
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では、どうして神を理解したいのか。
心地よく生きるためです。
神=大自然の法則を理解すれば、万能な力を自由自在に使うことができましょう。
逆に言えば、私たちが不快になるのは神なる法則をうまく使えていないからなのです。
古人はそのように考えておりました。
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物語=ものを語るとは神なる法則を理解する行為です。古代人にとって、大自然の法則は神そのものでした。
そして、私たちの肉体生命と比べ、神なる自然は悠久ともいえる存在であったはずです。
神を理解すれば永遠不滅の生命が得られる。そのような思想も自然と生まれましょう。
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私は物語を書こうと考えました。
いつの頃からか定かではございません。
身の周りで起こる些事から神なる法則を感じ取り、言葉に起こして理解が深まるのです。
その理解は、必ずしもこの人生で活かせるとは限りません。生命が永遠不滅に続くなら、次の人生に活かしてよいのです。
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いずれ必ず、逝く時が参ります。
執着し、幸せを追い求め、苦悩なさっても構いません。この世で満たされることは決してないのです。
満たされた時は終わります。
ではまた💚
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